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【連載】長谷川 濬―彷徨える青鴉

 
長谷川濬 作品2

「サハリン航海記」
 

プロローグ

 昭和二十九年九月二十六日(日)の夜。私はサハリン沖を、五八八六トン余の貨物船に乗組み、ウグレゴールスク向け(旧名恵須取)新聞替取紙積込みのため航行していた。その夜こそ、あの青函連絡船洞爺丸をてんぷくせしめた台風が猛威をふるった時で、私の乗っていた貨物船S丸も、この台風の目に狙われてまさにSOS直前の危機にまで追いこまれ、辛うじてその目よりのがれ、予定よりも二日おくれてウグレゴールスクヘ入港した。
 私の数ある北方航路で、この台風に遭遇したのは忘るべからざる経験であった。風速三五米の海上で、空船のまま、公称三、○○○馬力の汽機一ケの貨物船がどんなぐあいに航海して台風よりのがれたか――私は通訳であるから船のことには素人である。その時ブリッジで、エンジンルームで、ボイラー前で、無線室で、甲板で船員達がどんな風に働いていたか私は知らない。私は汚いスペアールームのベッドにむらがる油虫と同居していたのであるが、船のローリングのため、ベッドに安定して横たわることが不可能であったので、ベッドのへりにつかまっていた。その前に、私は荒海を見物せんとしてサロンを通り、バスルームのよこを抜け、甲板に出ようとして片足を出し、首をややつき出した瞬間に、風力が予想以上に強いので、本能的に出るのを中止した。そして、(これは容易ではない。あぶない)と直感した。キャビンに戻ろうとした時、防水合羽に身を包んだチーフオフィサー(一等航海士)にぱったり出会った。
「ひどい風ですね。大丈夫ですか」と私はたずねた。若い士官は、悠々として動じる色もなく答えた。
「大丈夫ですよ。ゆっくりお休みなさい」と云ってさっさとブリッジの方へあゆみ去った。私はこの一言で安心してキャビンに戻り、着衣のままベッドに横たわってごろごろとゆられ、ころがっていた。油虫が机の上を這い廻り、白ペンキの板壁をよじ登り、止ってひげをふり廻している。私は油虫退治を中止した。殺意がにぶったのである。彼等も私と同様、この荒れ狂う海上にいる。万一船がひっくり返ったら、私も油虫も一緒くたに海上に投げ出されるんだ。天より見れば人間も虫も同じであろう。こう思うと何も知らずにうろちょろはい廻つている油虫があわれに見えたので一蓮托生の因果を云いふくめる意味で、私は油虫の横行を黙認していた。油虫退治を断念し、彼等に仏心を起したほど船はゆれたのである。いきなりサイレンが鳴ったので私はとび起きた。(いよいよ、来たな)と直感した。それはサイレンでなかった。突風が猛烈にすき間からサロンの廊下にふきこむので、その空間が管楽器の作用を起して音を発するのだ。つまり廊下がラッパとなったのである。この巨大なラッパをふくのが風速三〇米を越す自然の仕業であることを知った私は、よろめきながら恐ろしい風のうなりをきき大いに不安を感じ、覚悟してベッドに横わった。ローリングが猛烈で立っておれなかった。
 食器の大量破壊の音がひびいた。時々船全体がビリビリ震動する。スクリューの空廻りだ。船は大波をかぶってる。私は扉のすき間から突入する風の音とラッパの音をきいて風力の強弱を判断していた。同室者油虫諸君は相不変横行かっぽしている。こんな時こそ虫も人間も一様に哀れな存在である。この自然の脅威の前には何もなし得ないただの生物にすぎないと半可通の悟りをひらいた私の浅薄なあきらめは、私が船員たる経験皆無の素人であったからであろう。この嵐の中で真の船乗りは悟りをひらかず決死の覚悟で自分の力を自分以上に発揮してたたかっていたことを、翌日の朝知った。
 私はベッドに横わって風の音をきいているうち、その音が一瞬とぎれてきたのに気がついた。風が断続してふき出したのだ、弱まったり、強くなったり、そして時にはとぎれる。この現象を知った時、私は安らかになって来た。(風は弱まりつつある)と判断したのだ。そして私は眠りに落ちた。緊張より解放された私は眠ったのである。着衣のままで・・・
 翌朝・・・私は目覚めるや甲板に出た。船は舳を高く立てて青光りする大うねりに乗って誇らしげに走っていた。白いしぶきを真向にかぶって・・・。その時、私は快哉を叫んだ。(大丈夫だ。この通り走っているぞ!) 私はらんかんにすがりついてブリッジヘ入った。そこはいつもの通り、冷静でしずかである。目のギョロッとした肩巾の広いずんぐりした船長がびっこをひいて快活にあいさつした。
「どうでしたか、ゆうべは? この通りきり抜けましたよ」「はあ・・・覚悟してねていました」と私は答えた。
「無事であるとお宅へ電報打ちませんか?洞爺丸はてんぷくしましたよ。ニュースが入りました」
「どうやまるが、それは大変でしたね。」
 私ははじめて昨夜の嵐の恐ろしさにびっくりした。船長はニコリとして云う。
「大変でしたよ。全員オールナイトでたたかったんです。ぼくはここで七転八倒で、この通りきずだらけです。大洋でしけをくわなくちゃ、ほんとの船乗りになれませんよ。ははは・・・・・・」と阿々大笑した。船長は転びながら全智を傾けて全船員に命令を下していたのだ。
 ポンプ排水能力を上廻る多量の浸水で、エンジンルーム排水作業にメスルーム・サロンまでかり出され、オールナイトで水とたたかい、スピード低下を防いだのだ。エンジンが平常通り動き、スクリューシャフトが廻転率を低下させない限り、スクリューが完全たる雄ネジとなり水圧を雌ネジとして廻転させるドリル推進作用をつづける限り船は前進する。そのために重油ではなしに、石炭のみを燃料としているこの船のコロッパス(石炭はこび)や火夫がどんな働きを終夜つづけたことか、私は充分察しられた。嵐の中で油虫に仏心を起す余裕なんて甘ちょろいものだ。スクリューが水をノーマルにかき分けている間、船の運命は船長の判断如何に在る。彼の腕の見せ処だ。方位と舵のとり方をクォターマスターに下知すればいい。荒れ狂う大洋を我が物としてマスターする船乗りの真面目が発揮されるのだ。それがために船長の航海経験による状況判断と即決的智能の働きが船を支配するであろう。現にS丸はあの嵐を乗り切って走っている。しかし船長は全身打撲傷だらけで笑っている。激動するこのブリッジで転びながら命令したのだ。私は改めて船長を見た。けろっとしてチーフオフィサーと海図を見て、コンパスをいじっている。えらい男だ。彼こそほんとの船員であろう。
 私はブリッジの中を見渡した。すべて平常通り整然としている。一つの乱れもない。激斗の跡も見られない。クォターマスターは悠々と舵輪を握り、羅針盤を見ている。展望台であり司令室であるこのブリッジよりながめる海はすさまじかった。時化の直後の海は、凄く蒼味がかってギラギラ光り、小山のようなうねりは白いしぶきを立てて猛り、船をほんろうしているが、海そのものが何かすがすがしく新鮮で、いま生れたばかりと云ったようなよろこびがみなぎっている。私はブリッジを去って甲板へ下りると、機関長が印度産の紅雀がとび交わす丸い大きな鳥かごを高くささげて、雀共を日向ぼっこさせていた。雀共が小さくさえずりながら明るい朝の陽をあび、羽をこまかにふるわせてうれしそうにとび交わしてるさまを五十がらみでチョビひげの機関長は目を細くしてながめている。のん気なかっこうだ。
 「機関長、ゆうべは大変でしたね」と私はあいさつした
 「や、もう大丈夫です。入港が一日か二日おくれるでしょう」彼も海の強者だ。
 私はサロンに入ってびっくりした。鉄の支柱にとりつけられてある大テーブルが横ざまに倒れている。根元から無残にもぎとられているのだ。食事は当分第二食堂へとはり紙されている。私は改めて台風の威力に敬意を表し、自分のキャビンに入った。油虫が我物顔に散歩している。(コン畜生!) 私は矢庭に古雑誌をとりあげ、片端からつぶした。忽ち二匹つぶれた。だしぬけの攻撃に彼等はあわててすき間や穴の中へにげかくれた。仏心不要である。仏心忽ち変じて夜叉心となる。もはや命は大丈夫と安心したとたん殺意を抱く浅間しい人間と変じた私は油虫退治に専念した。苦しい時には油虫にも仁慈をほどこすが、一難去ればこの通りの夜叉ともなる。念仏忽ち罵詈となるのだ。
 船は快スピードでサハリンウグレゴルスク向け針路をとり直した。追風である。甲板にカンカン虫然たる火夫やコロッパスがダンブルからはい上って、新鮮な空気を吸って談笑している。すがすがしい彼等の声をきくと私もたのしくなる。これが船乗りのよろこびだ。船は二十八日午後十一時ウグレゴルスク入港。陸の灯が点々とつらなって、山は低い。若松港を出て七日目に陸の灯を見た。

1.鳥居と老松

 入港手続をすべて終えたS丸は赤い腹を出して碇泊している。私は甲板からウグレゴルスクをながめる。新しい建物が建造中だ。倉庫がならんで汽車が小さく黒く動いている。なだらかな丘が後ろにつづいて、そこに白い大鳥居が目立つ。日本領時代の名残りである。恵須取八幡か、とにかく神杜の神聖たる象徴たる鳥居がそのままソヴェート領にポツンと残存しているのを見ていると、妙な気になる。(俺はいま、昔の日本へ外国人としてやって来ているんだ。戦争で敗けて領土をソヴェトにとられ、昔の日本製紙工場で作られる紙をとりに来ているんだ。追い出された昔の家の主が、もといた己が家におめおめと新しい家主に他人行儀のあいさつに御伺いし、自分が作っていた品物を買いに来てるとはなるほど、これが戦争のありのままの鏡なんだ)私は白い象形文字然たる鳥居を見て、色々なことを考えた。海岸にびっしり並んだ家々、港の船やはしけ、・・・かつて日本人が営々と働き、生活をいとなんだ恵須取の町はいまソヴェート人が住み、日本人住宅にも全部ソヴェートの人々が生活しているんだ。そば屋や飯屋はどうなったのであろう。鳥居はあっても社殿は見当らたい。日本人が自ら火を放って焼いたのであろうか、ソヴェート軍侵入の時はどうであったろう…私自身が満洲でソ軍侵入当時の混乱と恐怖を経験している。恵須敢の混乱と戦斗の光景がありありと浮かぶ。そして日本人が徹退する時の情景も大体想像がつく。鳥居のそばに黒ずんだ古松の一本が、南画風の枝ぶりを見せている。この松が何よりも日本的情緒を漂わして無言の日本ぶりを見せているのが印象的だ。私はこの町をすでに異国の町としてながめている。別に慣りとか無念の情がおこらないのはどうしたことか!没法子に徹してるのか、あきらめであろうか、とにかく平然と旧恵須取の町をながめている。もし私が旧恵須取の住民であったならばこんな平静な気持ではいられないであろう。きっと生々しい感情の波にほんろうされたであろう・・・。
 私には憤りより、むしろしずかな悲しみの情が胸底に、澱む。
 日本人は満洲の各地にも神社を造り、例祭を行い、日本人は日本内地同様にお祭気分を味わった。敗戦と共に社殿と鳥居を残して引揚げた。残ったそれ等の営造物は、他民族には縁なき無用の長物と化したであろう。そのほか、ばかでっかい忠霊塔をとりこわしもせず、そのまま残した。いかにも日本軍の威力を外地に誇ったその象徴――ミリタリズムの記念物――あれが敗戦のコウ(口偏に廣)=荒野に夕陽を浴びてそそり立っている風景こそ、まさに日本敗北の象徴であり、近代日本の歴史の姿そのままにうけとられる。満洲だけではない、世界到る処に各民族のかかる悲しき勝利の記念碑は残存するのであろう。人々よ、記念碑をいたずらに建つる忽れ、それはいずれ敗戦のモニュメントたるであろう。今猶くりかえされる歴史の輪廻である。民族興亡の姿を、私はウグレゴルスクの鳥居にも見て、俺達は明治大正昭和の年代に生れて、大いなる試練を経て生きて来たとつくづく感じ、そのそばに生えてる古い松の木にも何かをもの語りたいなつかしさをおぼえた。特に私の如く満洲引揚者として民族移動の大変動の実相にふれた者にとっては憤りよりも戦いの悲しみが胸をしめつけるのだ。
 私はハイネの詩を思った。荒れはてた北方に、独りたたずむ山頂の松の木をうたったハイネの詩を。この一本の松の木がたたかいの跡をそのままに物語っているようだ。私はこのサハリン旧日本領土をながめつくづく日本敗けたりの感を深くした。満洲を追われた私が東京を彷徨し、いまサハリンにまで…これも戦争のもたらした私の人生の変転である。黒ずむ松の古木に日本敗戦の感慨を新たにすると、私に思い当る色々な木があることを連想する。私が少年時代、海の見える生家の庭にアカシヤの若木を植えたことを・・・その木は年々大きく育ち、茂り、私が故郷を出るとき、見上げる大木となって葉を豊かに茂らし涼しい木陰を投げていた。トゥルゲーネフも木を愛し、自分の領地スパスコエの庭に樫の木を植えて、それが大木となっていまだに残っていることや自分の散歩する区域に愛する木をえらび、それにホーマーと名づけて、必ずその木の下でいこい、めい想にふけったことや、旅順、水師営の庭に、一本のなつめの木があって、それが両将軍の会見を鮮かに彩るモニュメントとなっていること。
 その他世界到る処に思出の木があるだろう。あのぼだい樹、あのサボテン、あの棕櫚の木、やしの木と人間の歴史やものがたりに連る自然記念物がたくさん生い茂っていることだろう。ウグレゴルスクの老松もその一つにちがいない。
 埠頭から紙をつんだはしけがS丸むけ動き出した。いよいよ荷役開始だ。

2.ウクライナ人・ボヤルチューク

「ニホンノムウスメサンキレイデス、ワタークシビールノミ、ウタイマシタネエ、ホントニオモシロイムウスメサンデス」
 サロンでフルシチョフ型の頭のロシヤ人が大声で日本語ではなしている。中年の男でひげのない丸顔。金ボタンの制服を着て一見船員に見える。インフロート(外国船団事務取扱代理人)のボヤルチュークだ。ハホールであることはすぐ分る。ハホールとは頭の冠髪のことで昔のウクライナカザックがつけたので、ウクライナ人の別名となっている。大体ウクライナ人は陽気で声も大きく南方的性格を持つ。ボヤルチュークもその一人だ。
 えがらっぽいロシヤ式紙巻タバコを咥えて荷役文書を作りながら日本ビールを大いに愛するロシヤ人は大きなゼスチャーで日本ムスメをらいさんする。
 「貴方の奥さんは日本人ですか」と私がきく。
 「私の妻ロシヤ人。モスクワ人ですよ。会って下さい。ギターうまいですよ。通訳さん来て下さい。一杯のみましょう」
 ボヤルチュークはピンと首の横を指ではじく。これは一杯のもうと云うのみ助同志のパントマイムだ。男同志の合図である。
「カラフトカワリマシタ。センソウイケナイデス。ニツポンノガヒトカミトリニクル。ワタクシツライデス」
 並居る船長、チーフオフィサー、パーサーをぐるりとなめる。
「勝利者はさばかれないが、敗者を鞭打つな」と私がロシヤの諺を云う。
「私打たない。勝利者とは何のことですか? 人間と人間はみんな同じです。平等です」
 日本語とロシヤ語のちゃんぼんだ。
「ソヴェートは千島までとって返しません。返して下さい。あなたの国大きいです」
 船長が云う。
「おお、そのことは国と国のはなしです。アメリカはどうですか? 日本に基地たくさん。
 アメリカの兵隊何のために必要ですか、沖縄はどうですか? 私分りません。私個人とあなた個人は友達です。国と国のこと、私何も出来ない。残念です。私インフロートです。仕事します。あなたのためによき仕事を・・・」
 ボヤルチュークは大まじめで船長を説得しようとつとめる。私は通訳をする。
「分りました。議論よして仕事しましよう。ビールどうですか」
 船長がキリンビールをすすめる。
「日本のビールうまいですね。大好きです」
「ムウスメサンも:・・・」
 とパーサーがひやかす。
「お、日本の娘さん。大変きれいで親切です。ほんとです。大変きれいでせいけつです」
「では日本ムスメのために乾ぱい」
 ビールのコップがぶつかり合う。かくして荷役打合せはすみ、ハッチに紙がつみこまれる。ターリマンは殆んど若いソヴェートの娘だ。ステヴェイーがやって来る。手にいれずみをした若者だ。いれずみが目立つ。多くの労働者はいかり、花、女の名前、人魚等を青い色でいれずみしている。船員上りが多いせいであろうか、ランチには必ず国境監視隊兵士が乗りくんで監視している。みんな年若い少年兵だ。かつての王子製紙工場はいまソヴェトサハリンブマーグコンビナートの組織下に運転されている。戦利品が新建設のプログラムとなり、我々がその製品積込みに来ているのだ。紙はインドのボンベー向け、日本へではない。ボヤルチュークはタイプライターをたたく。英文である。たたきながらわめく。
「私、昔からカラフトにいました。だから日本人好きです。うたもうたいました。神社も知っています。みんなよき人々でした。みんなと別れました。もう会えませんね。残念です」戦争が人々を別れさせ、殺し合い、ばらばらにしてしまった。世界いたる処で。そしていま、人々はまた互に集りつつある。憎悪や敵意をすてていま私はソヴェート人と会っている。彼等に我々は満洲でどんな風に取扱われ、つかまり、使役され、強奪され、強姦されたか。私ははっきりこの事実を知っている。長靴のまま武器を構えて日本人の住宅へ侵入して来たかを、女を要求したかを。みんな戦争で当り前のようにうばい、姦淫したのだ。全然個人的に関りのない人々をつかまえたり、拉致したりしたのだ。戦争の名に於いて行われる殺人、盗み、姦淫を誰がゆるしたのであろう。法も秩序も良心も美徳も一切ふみにじる行為を何人がゆるしたのであろう。戦争がすむと、急に平和とか人類愛とか、友好とか、ユネスコとか、文化とか思い出したように云い合って交流しはじめる。日ソ貿易の経済関係復活で私がこうしてサハリンに来航する。ここにいるボヤルチュークもかつての敵国人の一人である。私の夢想だにしないソヴェト人に会って一所にビールをのむ。これが私の戦後生活だ。
 国と国の経済関係よりも私に興味あるのはすべての人間関係だ。私とボヤルチュークとの関係だ。これが人間の心と心のふれ合うモティフである。私は色々なソヴェト人に会ってきた。シベリヤのけもののような歩哨兵と一問一答したこともある。彼は猟師であった。何を考えているのか皆目分らない阿呆みたいな重い若者が私に銃をつきつけて、シベリヤの密林や野獣のはなしをする。想像もしない広大たる地貌の中から出て来た男だ。彼は何のために満洲に来たか、それすら知らず、まるで自然物の如く立ってシベリヤの熊や狼のことをはなす。彼にとって日本人もロシヤ人も区別はないようだ。日本の国のことも知らず、銃をもたされて立っている。野放図極まる兵士だ。また、モスクワ帰還の前日パンと酒持参でやって来て、町の人々と別れの宴を催し、めいめいにキスして別れたソヴェト人もいた。またピストルを私の胸に当てて金を奪った軍人もいる。いまにも引金を引きそうだ。私が持金を出したら、無言で奪って云った。
「公金ならば受取証書く?」
「いりません。君は強盗ですよ」
「強盗だね。そうだ。その通りだ」
 こんな心のふれ合いもあるのであろうか? 私は苦笑する。
(受領証書く強盗もいるんだ…。)
 女を出せといきり立った兵土もいたし、また私の家へ上りこんでマルクス主義、革命、レーニン、スターリン、トロツキ、唯物哲学をといたインテリ将校もいたし、エイゼンシテイン・プドフキンをはなした女子将校もいたし、くにの女房の写真を見せて平和来たるとよろこび、銃口に野花の一茎をさしこんで私と肩をくみ合って歩いた兵士もいたっけ。彼はエセーニンの詩を吟じ、シェエフチェンコの詩を高唱し、そして云った。
「ベルリン突入のとき、我々はシェフチェンコの自由のうたをうたいつづけてドイツ人をやっつけたんだ」と。ウクライナ人の一詩人の詩がたたかいの中で高唱されたとは! 私はロシヤの詩人に脱帽した。たたかいのはげしいそのさ中でも詩人の魂がかくも若者達をはげまし、自由と解放と平和をのぞむ詩が彼等を元気づけたことを私はよろこぶ。これが詩人の使命であると・・・。私はグリグリの丸坊主頭のボヤルチュークを見て、色々なソヴェト人を思い出した。いまは平和だ。私は通訳としてボヤルチュークと会っている。これは何であろうか? 間接的に戦争がもたらした結果なのだ。
「…山と山とはぶつからないが、人間と人間はばったり出会うものだ」…これもロシヤの諺である。この意味は通り一ぺんのものではなさそうだ。人はあいみたがいの意であろう。山と山とはたとえ会っても心は通うまい。人間なればこそ心が相通じて互の身の上を思い合うのだ。特に富める者よりも貧しき者の方が相通い、親切にしてくれるものだ。これも秋は引揚後身をもって経験している真実である。
 船の上はいよいよ多忙だ。デリツクがさかんに動き、湯気吐くウインチの音はやかましい。甲板で日本のマドロスとソヴエトの労働者がたばこの交換をやり、肩をたたき合っている。通訳なんて必要なし。人はあいみたがいだ。とくに働く者は世界共通の魂を持っている。これが「全世界の労働者よ、団結せよ」であろうか…。
 ポヤルチユークが甲板でステヴエイとはなしている。大きな声で。天気はいい。飛行機が三機、ウグレゴルスクの上空をとんで行く…。青い空に三機は一機を先に、二機雁行で急スピードでとぶ。爆音がこだまして忽ち低い山なみの彼方へ消える。

3.上陸

無線がシールされているので日本との連絡通信は陸上の無線利用しかない。それで私はインフロートと一緒に上陸する。
 はしけに便乗してランチに引かれ、本船をはなれる。私は上陸したら、日本人に会うかもしれないとひそかに期待していた。引揚後ではあるが残留した日本人がきっと工場に働いているであろうし、ソヴエト人と結婚した日本の女もいるとそんな噂もきいた。ソヴエト人にたずねると一人もいないと答える。しかし、すべての日本人が引揚げたとは考えられない。例外なケースや不測の運命で残ったり、残された人がいるにちがいない。モームやコンラッドの小説に見られる敗残の主人公が意外な場所に孤独のまま生きのびていたり、人目をさけてかくれていたりする。かつて私はアムール・アルグン河岸調査旅行した時、辺境金鉱地の思いがけない部落の片隅で日本の女性に出会ったことがある。殆んど日本語をも忘れ、現地のことばと習慣に浸り切つた老女であった。恐らく黒河方面から流れて来た娼婦であろうが、怪しげな天草訛りでことばを交わし、日本人をさけるようにして採金苦力の群の中へまぎれこんで行った姿は忘れられなかった。亡命者の孤影である。もはや還らざる人として辺境にかくれ住む過去の亡霊であった。
 はしけが岸に近ずくと、そこにはランチやクンガースやシヤランダがつながれ、船着場は活気に溢れている。大倉庫から紙がどしどし運ばれ、レールは交錯し、女の労働する姿が到る処に見られる。粗末なワンピースにプラトークの若い女たちが肉付のいい腕を丸出しにして紙をころがし、はしけ積に忙しい。私とボヤルチユークは船よりはしけへ、ワンガースへととびうつり岸壁へ渡った。そこには労働者や水兵が右往左往している。港湾局事務所、税関監視所、国境警備隊見張所等の木造家屋が並ぶ埠頭区域を横切る。アンテナや旗竿が立って、赤旗がひらめいている。板べいに「火の用心」のビラがはられ、子供のマッチ遊びの絵が描かれている。そこで国境警備の哨兵に船員手帳と上陸許可証を提示して身分を明かにし、点検をうける。若い兵士は厳重に書類をしらべ、こっくりとうなずき、はじめてほほ笑む。
 「通訳さんですね」
 「そうです。ありがとう」
私は兵士にあいさつして哨所を通る。もう大丈夫だ。門をくぐって街路に出る。ほそうしていない泥とほこりの立つ道路だ。建築材料が到る処に積まれ、三階建のアパート建造中である。通行人に兵士と水兵が目立つ。海岸通りの家は殆んど昔の日本家屋で、半ばロシヤ式に改造してある。妙なちぐはぐのままだ。理髪店、薬屋、食堂が並び、地下足袋、仁丹、大学目薬等の看板が昔のまま古ぼけて打ちつけられている。その間に新しいロシヤ家屋が建てられ、実際に緑の植木鉢がならび、原色のカーテンがけばけばしい。すべてが旧日本と新ソヴェトの混合色である。旧そば屋は居酒屋となり、店内はのみ助で満員だ。まるで新宿の西口の飲屋のように騒々しい。人気の荒い辺境の港町らしい風景である。手風琴の音、濁声、人々のざわめき…。海からしめっぽい風がふいて、海鳥が低くとび交わし、砂浜に小波が寄せて泡立っている。そこには子供たちがボートのそばであそんでいる。通行人の服装は貧しく塩からく、田舎じみて漁師町の人々のように黒ずんでいる。長いスカートに肩かけの老婆、ひげだらけの老人、そして朝鮮の女が歩く。道ばたに豚がぶうぶううなって泥の中に鼻を突込んでえさを漁っている。功労賞やメダルを胸に飾った老人が老婆と立話をしていたり、そばをトラックがほこりをまい上げてがたびし走り、はだしの女の子や男の子が道を横切ったり、シベリヤの寒村を思わせるが、軍人だけは軍装いかめしく長靴をみがきあげてかっぽしているのがいかにもソヴエートらしく目立つ。大きた丸パンを抱えた主婦が歩き、パン屋の窓ぎわに、黒パンがごろごろつみ重ねてある。到る処ほこりっぽく、ざらざらして凸凹道は曲りくねって塩臭い感じだ。小さい郵便局に入って東京宛打電する。それからボヤルチユークはやみバザールヘ案内した。目立たない広場に屋台が方々にちらばって、兵士や女共がぞろぞろ歩いている。売り方の多くは鮮女で、私を白い目でジロリと見る。無言でにこりともしない。屋台の上には卵、きゅうり、野生の草の実、肉、馬鈴薯、赤大根、にんにく、茸類等が並べられ、彼女等は沈黙している。ただ値を問えばこたえるだけだ。愛想もおせじも云わたい。ボヤルチユークは茸を買つた。
 「さあ、はせさん! 家へ行きましよう。」
彼は裏通りの新住宅街の方へ歩む。そこには新造のロシヤ家屋がならんでいる。その一角に彼の住宅がある。
 居問へ通される。壁にゴーリキイの映像一つ。規格通りの住居で白壁も新しく、丸テーブルに椅子、安楽長椅子があり、隣室に大きなベツド、その上に羽根枕がロシヤ式に丸くふくれてつみ重ねられている。
 「マーシヤ、お客さんだ」
主人の声に、妻君が現われる。見てびっくりするほどコケートのロシヤ女だ。若々しくていかにもロシヤ女らしく、肉付がたくましい。豊かた胸をゆすって、愛想がいい。レスコフの小説に出て来そうなロシヤ女の典型である。肉感的な美人である。忽ちテーブルの上に酒とザクースカを用意する。ソヴェトシャンパン、酒精九五%のびん、蟹肉、茸、パン、コンフェクト、チーズ、ソセージが並べられ、先づスピリットで乾盃だ。生のままで九五%の酒精を一気にのむ。私は一杯で体内は焼かれ、むせび、頭のてっぺんから火花が散る。グラグラと目がくらむ。相手はケロッとしてまたグッと坤る。そして、息をもつかずにパンを食う。
「さあ、食べて下さい。食べてのむ、のんでたべる」
私は一杯でもう参って了った。とても太刀打ち出来ないのみっぷりだ。私は辞退する。
「じや、シャンパンをどうぞ、マーシャ、お前もお相手して下さい」
ボヤルチユークは女房にやさしい。美人で愛矯のいい妻君が自慢らしい。女房はスピリットを一気にのむ。そして私に酒をすすめる。ロシヤ式のもてなしは中々上手だ。私はシャンパンをのむ。立てつづけに主人はスピリットを一気にあおってフーと熱い息を吐く。それが快適らしい。
 「はせさん。あなたマヤコフスキイよむでしよう。詩の本あげます。さあ、マヤコフスキイのために一杯」
酒のすすめ方もマヤコフスキイにからんでくるのでついまた一杯。私は完全にめいていした。
「これマヤコフスキイの詩です。よんで下さい。訳して下さい。いますぐ日本のことばに…。」
私の前に本をひろげる。彼のアメリカをうたった独特の難解の文字が眼前にちらつく。
   ここには気ままな生活で
   あそこにひもじい犬の遠吠だ
   失業苦が来りゃ
   グヅオンにドブンと真逆様に身投げする
                     (ブルックリンの橋)
こんな文句がちらつくが舌がもつれてうまくよめない。妻君がギターをとって弾き出す。ジプシーのうたのようなロマンス調だ。うたう。声もよろしい。ボヤルチユークすっかり満悦の態だ。私の目先がチラチラして来た。妻君がギターをしずかに鳴らした。それが終ると、ボヤルチユークがうたい出す。あのザバイカルのうただ。
   ザバイカルの荒野の中を
   金掘り男はさまよい歩き
   肩に袋にないてあてもなく
   宿なし男のさすらいよ…
 顔をしかめてウクライナ男がどなると、妻君がリフレーンをつづける。私も一緒にうたう。
   さまよう男はバイカル湖に近づき
   独り小舟を拾いて漕ぐ
   悲しきうたを口ずさみつつ
   そはふるさとの古きうたなり…
 窓外にやや黄昏の色が傾きかけて来た。風も立って来た。時化の前兆であろう。荒れると帰船はむづかしい。私は再会を約して別れをつげる。ボヤルチユーク夫妻に送られて私は船着場の方へ歩き出すが、まさに酔漢の足取りだ。海風が吹きつけてほこりが立ち、道路は無様にゆがんでいた。私はマヤコフスキイ詩集を小脇にはさんでいた。そして日本人に会うことを期待して歩いたが、一人として現われなかった。何処かに日本人はかくれているんだ。彼等は私をさけている。わざと会わないようにつとめ、かくれ場からS丸をそうっとながめているんだ。彼等はすねているのだ。敗地で敗残の姿を見せたくないのだろう。その気持も分る。戦争でみなきずつけられた。心に深い疵を負った日本人―それは全部である。無疵の人間なんて一人もいない。その疵を内地で医やすか、負けた外地で医やすかいずれかである。私はいまサハリンのウグレゴルスクー恵須取の町を歩いている。これはかつて夢想だにしなかつた。満洲よりサハリンに来るとは、あまりの急な変転に自分がつかめないのだ。これがたたかいの現実だ。そして、これからまた何処へ行くか予測だにゆるさない。大きな歴史の波にほんろうされている私だ。すべて戦争のもたらした転換の事実である。
 波止場附近のさびついた鉄の扉の前に一群の人々が列をなして佇んでいるのを見た。旅の仕度で。大きな包みや木の箱や古びた旅行カバンを地面に、また抱えて、鉄格子の彼方にひろがる海を見ている。多くは中年、老年の男女で、子供連れの女もいる。老婆は黒いショールに身を包んで、木箱に腰かけている。靴が砂地に埋っている。男達もすりきれた古めかしい黒つぽい服で、沈んだ表情のまま貝のように黙って動かない。灰色と黒のモノトーン。その一群に古い昔のロシヤの色が重く澱み、物語めいている。
 私はあの北欧の画家、ムンクの絵を思い出した。彼等は定期船の入港を待っているのだ。アレクサンドロフスク、ホルムスクか、またウラジヴオストークか…何処かへ旅立つ人々の群である。背景の丘の上に、私が甲板から見た松の木が黒い枝をひろげて一群を見おろしている。その木は魔法にかけられた人間のように丘の上に化石したポーズで孤立している。幹に色々なな不運の魂を封印させたまま・・・。それは白い大鳥居とならんで港を見下ろしていた。私はまだ敗戦の事実に拘泥していた。戦いに参加した古い兵士がその戦いの場を訪れたかのように…。
 この古い黒い人群のそばを一台のトラックが通りすぎる。車上にはシャベルをかついだ若いソヴエートの女性群が一団のりくみ、マーチ風のうたを合唱していた。彼女達はスポーテーないでたちで髪を短く刈り、或者は白いプラトークをかぶり、はちきれんばかりの若い肉体で、ソヴエート的な新しいうたをリズムにのってうたいつづけ、船待ちの人々を尻目に通りすぎた。多分コルホーズからの帰りであろう。車上の一群は明るく生々として建設的であった。私は彼女等を見送った。若々しいうた声をのせたトラツクは遠ざかった。サハリンはいま変りつつあるのだ。私は門をくぐつて哨兵に書類の点検と、持参の詩集の検閲を受け、すべてパスした。ランチを待つばかり、風が立ち、波が高くなって来た。S丸は沖合で荷役の最中だ。黄昏の色がたちこめ、あの居酒屋から騒々しい声や音がもれてくる。水兵、労働者がしきりに出入する。
「通訳さん」
声の方にふりむくと一人の労働者が手をさしのべている。見ると一枚の名札を示している。表札にはすみで池端一恵とかいてある。
「これどうしたんですか」と私はたずねる。
「私の入った家の門にかかっていましたよ。これ何ですか?」労働者はやや酔っている。
「人の名前だ。女の人かな…。君の家の前にいた主人の名さ。」
「ああそうですか。日本女の家だったんですね。分りました。この女の人何処へ行ったでしようね」
「池端さんかね。さあねえ…日本の何処かで幸福にくらしてるでしょう。あんたのように…」
「そうだったらいいのですがねえ…。でも日本の家てさむいですね。竹と紙で出来てると聞いたが全くその通りだ。日本の人冬どうしてくらしたのか、全く不思議です。こんな寒い土地で…。わしはすつかり改造しましたよ。それでもまだ寒いです」
「それで一杯のむんだね。サハリンの人々は・:」
「その通り、通訳さん、中々口がうめえよ。どうです。一杯やりませんか、この女主人の健康のために…」
「いや、結構。あんたやって下さい。彼女のために」
「じゃまた、船で会いましよう」
労働者は去ったが、叉引返して来てたずねた。
「女主人の姓名は何と云うのですか」
「いけばたかずえ」
「なんですって?いけ…ば…」
「かずえ。分ったかね。ただかずえでよろしい」
名を連呼しながら、労働者は居酒屋の方へ歩み去った。
「通訳さんランチだ」
 警備兵が指さしている。波かぶったランチがスピードをおとして岸壁むけ接近してきた。

4.漂航

 時化で荷役中止。波が海岸に高くシブキあげているのがよく見える。もう暗くなっりぁここはオープンロードで碇泊危険なので抜錨して沖に出る。ゆるいスピードで時化がおさまるまでタタールの海を漂航する。一つのコースを行ったり来たりする。サハリンの山はもう白い。セガンチーニの画を思わすけわしい山なみがつづいていて頂きは白く、徐々に夕闇にのまれてゆく。S丸はゆるい速力でせまい海峡をブラブラ散歩して凪を待つ。寒い。キャビンにスチームを通す、無人のサロンに独り本をよむ。
サハリン−コロレンコの「鷹の島の人々」そこには流刑人の鎖の音がひびいている。カンテラがゆれている。シベリアのはての海を渡ったそこにある島、サハリンこそ帝政時代の地獄島であった。流刑の人々がこの島に手かせ足かせ、頭をそられ、焼きごての跡物すごく、まるで鬼の如き人々がこの島に流され、伐採、採炭の労役に従事した。ムガチ゛ロガチ、ドイ、その他の炭鉱で・・・。あの頃の彼等のことばに曰く。
「まわりは水にかこまれて、中味は苦労ばっかりさ」
この鷹の島の人々は脱走を企て、対岸のラザレフ岬か、プロンゲ岬にたどりつく。このあたりには逃亡者の伝説がいまなお残り、語りつたえられている。コロレンコはこの脱走者のいきさつを書いた。
チェホフも渡ってつぶさに囚人生活をしらべ、報告書を作製している。サハリンがソヴェト領になってからチェホフと云う町も出来た。アレクサンドロフスクには今でもチェホフの住んだ家がそのまま保存されている。病身のチェホフがシベリアを馬車で横断し、アムール河を下り、アレクサンドロフスク港までたどりつく冒険旅行を企てた動機は何でなろうか?彼は濃度出身の医者であり作家である。医者よりも作家として活動した。控え目で、よく己を抑制した利口なロシアインテリの紳士で、しかも芯の強い、よく人間を識別して妥協せず、しかも皮肉を噛みしめてさりげなくおとなしく表現する知識人−チェホフはシベリアを旅しつつ、あの旅行記を書き、妹や母に手紙をかき、サハリンを視察し、帰途は船で南下し、印度洋でつなにぶら下がって泳いでいる。「グーセフ」はサハリンみやげの作品である。チェホフのサハリン旅行は彼の人生への挑戦であった。彼の人間性をためし、鍛えたこころみであって、文学上の、或は医学上の見解ではないと私は見る。彼の内部が遠方、極東の涯の島を要求し、彼はそれに従い、新しい自已と未来のロシヤに期待したのだ。かつて少年の目で「大草原」を書いたチエホフは、今度は、大人の目でシベリヤとサハリンを書いたのである。この二篇ともに馬車にゆられて行くロシヤの旅である。ブリヤン草しげる南ロシヤのステップより、方向を転じて白樺林つづく清冷なシベリヤの廣野を横切ったのだ。シルカ河を下り、アムールを下ったのだ。また、かのクロポトキンの「一革命家の思出」もシベリヤの美しさをよく伝えるよき本である。私はアルグン・アムール・サハリンを歩き、コロレンコ、チエホフ、クロポトキンの三人をいつも思い出す。
流刑の島サハリンは日露戦争の結果、半ばを日本領として日本人の生活圏となり、第二次大戦でまたソヴエート領となった。もはや囚人の呪いの島ではなく、新建設のプログラムが急テンポに実行されつつある。
突兀たるサハリンの山々の頂きはもう白く、凍結は目前にせまりつつある。時化はまだ去らない。チェホフがどんな表情で船上からサハリンを見たことか、ペンスキーをいじくり、短いあごひげをまさぐりつつ荒涼たる海岸の波打際をながめたことであろう。
船内到る処いかがつられてある。ウジレゴルスク碇泊の夜毎、全員でつりあげたいかは忽ちさかれてほされた。いかは無数にとれる。夜の舷側はいかつりの船員でにぎわう。灯火をしたって青光りするいかの群が浮き上ってプランクトンをばらまいたようだ。おどけるように泳ぎまわるいかの群。
船は漂航する。時化はおさまらない。夜にのまれた海は暗く、遠くにサハリンの灯が細く鎖のようにつらなって光る。
艫に引く銀河の航跡
ふき出す氷の煙
延々と巾広く
洋々と流れて
銀河帯一条
水脈に織りなし
その末は
忘却の海へ消え去るのか・・・
星も出ない暗い空。前マストの航海灯の淡い光がけむるようにわずかにともされているだけ。私はサロンで「カフカ対話抄」をひもとく。やがて私はややまどろむ。あの「グーセフ」の最後の章が思い出される。(水に投げ入れられたグーセフの死体を包んだカンバスをしばる紐をいかにも物うく咥えて引っ張る鱶の白い腹。夕焼雲がライオンの形になって赤く光っている・・・。) ポールト(丸窓)に風がうなってカーテンがかすかにゆれている。漂航はまだつづくであろう・・・。

5.回航

時化は凪いでS丸は再びウグレゴルスク沖に投錨し、最後の一荷役で満船である。船のあしがぐんと沈んで、セコンドオフイサーがドラフト計算に忙しい。ボヤルチユークが手じまいの文書作製に大童だ。例の如く大きな声で日本語をしゃべり、ビールをのむ。
「タンヘンイソガシイデスネエ・・・…デスバツチノケイサンアル。コレ、コノサーメントBL、デス。タクサンツクリマス」
タバンを巻いた若いソヴェートの女がタリーをとってる。小説の本を片手に・・・。フェージンの「異常の夏」を時々よむ。胸毛をのぞかせたステヴエイのボリスがゆでたたらば蟹をぶら下げてやって来る。エクスポルトレスが荷役検分に来る。
スウェーデンの船がセメント満載で入港する。
私は甲板で通訳に多忙だ。あらゆる人々のはなしを日本語にロシア語に訳す。制服を着た港湾局の役人が私の肩をたたく。
「どうですか、恵須取は」と私にたずねる。
「あの白い門が気になりますよ。あの松の木のそば…」
役人はその方に目を向けて、ややてれる。
「あれは日本人の神聖な信仰の門なのです。」
と私が云う。
「知ってます」
彼は自分の指で目を覆う如くひろげて鳥居を見る。そして肩をすくめる。指を通して見る。見ても見ぬふりをしてとぼける時の、或いは黙認するゼスチュアーだ。
「仕方のないことですよ。戦争はもうやめましょう。そして仲よくやりましょう」
彼はべんかいめいた口調で私を説得しようとする。私をなだめようとする。私に同情してるらしい。私は反撥を感ずる。
「土地や国をとったり、とられたり、人をつかまえて使役したり、もう沢山ですよ。あんたも私も同じ人間だ。平等で話し合えばいいのです。戦争はその地ならしをしたのです。だからこうしてサハリンにまた来たのです。」
「その通り。また来て下さい。」
彼は目をパヂパチしばたたいて私の手を握った。この敗戦の焦土から我々は無一文で立ち上った。一切の物を失い、地位や職を失った我々がいま旧日本領に来ていまだに敗戦の感傷にふけるのは愚である。それはソヴェート人より反射的に示唆されるのだ。歴史がこの現実をさばき、実験する異状、一個の鳥居や残存物に執着してはいけない。それを超える新しい力とエネルギーと創造の情熱を持つことだと私はさとった。さとったと云うより、自分をはげましたのだ。いま陸の何処かで敗残亡命の日本人が日本の船をうらめしげに見てるかも知れない。その目差しに同調する無力の亡命的視線を以ってあの鳥居や松を見てはならないのだ。あれはもう過去の遺物にすぎない。ソヴェートも日本も終戦を踏台として新建設に一歩前進している。だからこそ私もこの地に来ているのだ。
荷役は進捗し、ついに最後の荷を第一ハッチに入れた。第二、第三にはもうハッチカヴアーに覆われ、かすがいを打ちこんでいる。最後の仕上げだ。ポースンが水夫をとくれいしてしきりに動いている。デリツクが下降する。
サロンでソヴエート側各代表と船長を主班とする日本側責任者との間に貿易文書の作製とサイン、そして各文書の交換が行われる。これが終了すると国境監視隊の検察が行われ、船員手帳の点検、出港許可、が下附される手順だ。
ソヴエート側の労働者、ステヴエー、ターリマンその他はすべて空のはしけに乗りうつり、日本の船員と別れのあいさつを交わしている。
「幸福なる航海を」
「左様なら、また来て下さい」
「ありがとう。来ますよ」
甲板とはしけの間に色んなことばが交わされる。
兵隊、士官、女医をのせたランチがタラップに接近する。インフロート、エクスボルトレスは交代に下船するのだ。ポルトフェーリを抱えたボヤルチユークが私の手を痛いほど握って別れを惜しむ。
「はせ、また来て下さい。妻からもよろしく。あのマヤコフスキイ訳して下さいよ。成功をいのります。左様なら」
大声で云いながらタラップを下りる。
「左様なら、みなさん」
「安航をいのります」タラップの処は人々のあいさつでにぎあう。一時間に亘る船内サーチは滞りなく終って、軍人一行が下船する。若い女医がふきあげる風にスカートを抑えながらタラップを降りる。ランチの上で兵士達が手をふっている。もうたそがれの影が濃く、海はしずかだ。局外者全部下船、タラップがまき上げられ、舷側にがっちりと横倒しに固定する。ランチは本船をはなれる。みんな手をふっている。
「スタンバイ」船長の命令だ。
ブリッジに各オフイサーが部署につき、チーフオフイサーはアンカー引上げのため船首に立つ。
カラン、カラン、テレグラフのハンドルが廻転する。
チェンのシヤックル報告の呼子が船首に鳴りひびく。ブリッジでの呼応の呼子。
船はもう船首をゆっくりと動かしはじめる。アンカー引上げ完了。黒球がさーと下降する。スローのまま船は大きく南の方位へ廻り出す。船尾に広い水脈と渦をひきながら・・・。
私は甲板のらんかんにもたれて暗くなりかけたウグレゴルスクの町をながめる。陸はもう漠として家々の輪かくが平たく小さく船尾の方へ移って行く。あの松の木も消えた。ロシヤ語より解放された私はゆっくり休息すべくキヤビンヘ入る。
油虫が行列を作って散歩している。ロシヤ人の体臭がまだ残っている汚い部屋だ。
私は長椅子の上に横たわる。日本の港に入るまでの気ままの航海をたのしむべく、私は暗くなりかけてゆくポールトをながめ、軽い徴笑をもらしたまま、ひくくうなるエンジンの音をきいて動かなかった。
船は別れの汽笛を二つ長く鳴らして、ウグレゴルスクをはなれた。
タタールの海は大きくしずかに満々と私の前にひらけて来た。

エピローグ

夜がしじまに入りこむように
波が私の中へ……
海の大きさ、深さよ
この測り知れないふところで
風と共に訪れるささやき
嵐をよぶ波のざわめきをきく
夜が訪れて
私が自分に話しかけ
自分の微小を
船窓に映し出すと
海は大きくひろがって私を抱く
北の海タタール海峡
輝き出す星の光よ
世界は「海のように大きく深くなる」と…
この大いなる心の海に
私は沈みたい
孤独にしてしずかなる
この深さの底へ。


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作品紹介