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カバレット・チッタ制作ノート1

2002年前半、私にとって一番大きな意義をもつ仕事、それは7月10日に川崎のクラブチッタで公演する『カバレットチッタ』Vol.1。日本で本格的なキャバレーをしたいという私の夢への第一歩だと思っている。そこで随時ここでその制作過程を紹介していく。

5月8日 planB
5月16日 クラブチッタ
5月21日 早稲田にて
6月4日 チラシが出来た
6月5日 ミュージャンと打合せ plan B
6月19日 会場での打合せ クラブチッタ
6月24日 マスコミまわり1
6月25日 マスコミまわり2  野毛フラスコにて
 産経新聞記事
7月3日 舞台の打合せ
7月5日 券売苦戦
7月9日 リハーサル クラブチッタ


5月8日 planB

2002年5月15日 水曜日 3:08p.m.

 カバBの横浜公演の反省会。反省会を終えたあと、クラブチッタに出演予定のパフォーマーたちが残り、打合せ。梅津さんたちとは何度か打合せをしているが、パフォーマーたちとこの件で話し合うのは、初めて。やっと始まったかなという感じだ。
 まず個々がなにをやるかについて話し合う。今回はやりたいことをやるということもそうなのだが、得意のものをやる感じになった。クラブチッタというライブハウスのもっている空間を最大限生かすような演出も考えたいという意見が出される。VJコミックカットの映像もそうなのだが、映像を使ったりとか客席の中でのパフォーマンスとか、空間をダイナミックにつかうことも今回の公演では大事になるかもしれない。
 いろいろ話をしているうちに、村田君が、神楽坂でソロをやったときに柴崎君と永井君と3人で、映像を絡めてやったパフォーマンスがチッタにはいいかもという話になる。早速連絡をとることにする。
 横浜での公演でみんなで作品をつくっていくということのいい意味での緊張感を感じたなかで、今度のチッタでの公演をさらにいいものにしたいというパフォーマーたちの意欲を強く感じる。
 とりあえず、この日決まったのは、小出−天皇ネタ、Kaja−ジャグリング、こうじ−オブジェをつかったパフォーマンス、重森−タマゴのかぶりもの、神山一朗−センチュリー神山のマジックネタ、Dai−ディアボロ、そして村田君たちの映像と絡ませたパフォーマンス、VJは寅さんものとはまたちがうものを考えるとのこと。
 来週参加できるメンバーでチッタの下見をすることになった。

5月16日 クラブチッタ

2002年5月17日 金曜日 2:00a.m.

今日はパフォーマーたちによる会場の下見。16時すぎに出演者が集まり、会場へ。小出君だけが来れず。今回綱渡りで出演する王輝さんもきてくれた。ポインの王輝さんの綱渡りのアンカーがとれるかどうかということと、映像関係でどのくらいのことができるかということをVJに確認してもらうこと。
映像関係についてはあまり問題がなさそう。村田君は映像ではなくスライドをつかうとのこと。それを舞台におくことになる。スクリーンのチェック。
やはり問題は王さんのアンカー。舞台上にアンカーをとれるところがない。客席にある客止めの柵をアンカーに使えそう。強度的には問題ないことがわかる。ただ王さんは舞台でやりたそう。それはそうなのだが、この場合しかたないだろう。
チッタの人たちが協力的なのがありがたい。にぎわい座の時はあれはダメ、これはダメという話ばかりだったが、ここではスタッフの人が逆にいろいろアイディアを出してくれる。
下見のあと、近くの居酒屋で会場を見たうえで、どんなことができるかを話し合う。神山君とKajaのメンテナンスものもやる方向に。暗転で転換していくのではなく、お客さんの視点をいろいろ変えることで、転換ができるはずだ。それとVJが加わるので、映像をつかったいろいろな仕掛けについてもアイディアがだされる。
客いれの時にもいろいろなことができそうだ。
それと自分の持ちネタ以外に、なにかみんなでできるのではという話にもなる。会場を実際に見たことで、アイディアが具体的になってくる。ただ問題は音との絡みの部分で、どんなことができるのかということ、それを具体的にミュージャンと打ち合わせする必要性がある。
今回はなにせ初めてのことが多いので、こうした打ち合わせを数多くやる必要がありそうだ。確かに構成が大事になる。ただ早くに構成を決めて、それで段どっていくのではなく、今日のようにいろいろアイディアを出していくことがまず必要なのかもしれない。
照明をどうするのか、舞台セッティングをどうするのかも考えていく必要がある。
今月中にミュージシャンとの打ち合わせをやった方がいいだろう。
それと本番前のリハをどうするか。
いろいろ課題が具体的に見えてきた。

5月21日 早稲田にて

2002年5月22日 水曜日 1:06p.m.

早稲田大の講義『ロシア芸術の現在』のなかで、カバレット・チッタの紹介、申し込み書も配布。前回の授業で仮チラシをまいたうえで、配布したわけだが、思ったほど反応がない。14人の申し込み、当日引換えということもあるので、多少減ることになるだろう。
やはり問題はチラシがないこと。これについては、planBの斎藤氏に担当してもらっている。電話で話を聞くと、ビジュアルでこのキャバレースタイルのショーを伝えるとなると、結構たいへんだという。確かにそれはそうだろう。コンサートでもなく、パフォーマンスでもない、その内容をきちんと伝える素材は大事な意味を持つ。
デザイン、コピーなども含めてどれだけのものができるのか、それがキーポイントになるだろう。
来週が早稲田の授業の最後、これまでになんとかチラシをあげてもらわないと。
それとチケットの申し込み方法についても少し知恵を絞った方がいい。
梅津さんが海外ということで、パフォーマーとのミーティングは、6月になってからになりそうだ。

6月4日 チラシが出来た

2002年6月6日 木曜日 1:30p.m.

Kabarett Citta'遅れに遅れていたチラシがやっと出来あがった。この制作に関してはplanBの斎藤氏が担当していた。今回は、いいものをつくろうということで、時間をかけてデザイナーの井原さんと打合せしながら制作した。いいものができあがった。A3サイズを二つ折にして、梅津さんの写真を大きくフィーチャーしてデザインしてある。パフォーマンスと音楽がミックスした感じがとても良く伝わっている。色もキャバレーぽくなっている。
ポスターとしてもつかえるのが味噌。
パフォーマンスものは口で説明するのが難しいので、ビジュアルでドーンと伝えるためには、チラシがなんといっても一番早い。
残された一カ月でこれをどう効果的に配るかが、この公演の成否を握っているといっていいかもしれない。
さっそくメンバーが折り込みやおきチラシの手配で動いてくれた。
こういう公演を見たいと思っている人たちの元にどうやって届けるか、当たり前のことだが、とても大事になる。
刷った枚数は一万枚。
さあ、いよいよこれからあと一カ月、このチラシを武器に動員にかからなければ。

6月5日 ミュージャンと打合せ plan B

2002年6月9日 日曜日 10:01a.m.

出演するパフォーマーと、巻上さんと梅津さん、多田さんが、実質上初めて顔を合わせての打合せ。梅津さんと多田さんは横浜の公演を見ているので、話を進めるのが楽だった。
まずはパフォーマーたちがどんなことをして、どんな音楽を望んでいるかを話してもらい、それに対して梅津さんと巻上さんが、じゃーこれはクレズマー風でいこう、テクノ系でいこう、パフォーマーが使っている音楽をそのままやろうという感じで答えていく。パフォーマーも最初の頃は不安げだったが、的確な答えでかなり安心し、また期待も感じたと思う。
このあとだいだいの構成をつくっていく。ここでは梅津さんが、中心になって具体的な案をだしてくれ、それにあわせて、パフォーマーが意見を出すかたちで構成ができあがっていく。
じっさいにリハをするなかで、多少順番が変わってくることがあるだろうが、内容的には変化にとんでいて、いい感じなのではないだろうか。
和気あいあいと、意見やアイディアを出しながら、およそ3時間のミーティングが終わった。いいものができそうな手応えを感じさせる打合せだった。
あとは、公演の前日の9日にplanBで合同でリハをすることになった。制作側の課題はたくさんある。チケットを売ること、チラシをまくことの他に、今日の話を踏まえて会場側ときちんと打合せをしなくてはならないことがたくさんある。
照明と仕込の段取りをとりあえず、クリアーにしないといけない。

6月19日 会場での打合せ クラブチッタ

2002年6月20日 木曜日 5:21p.m.

大分にいる時に、チッタのM氏から電話。ビデオブース使用の件で、早急に打合せをしたいとのこと。
VJコミックカットと一緒にチッタで打合せ。チッタサイドとしても映像とステージをからめてのショーをするのは初めてということもあり、ブースの使用、どのモニターをつかうか、回路の問題、さらには本番を撮影するかどうかなど、いろいろ疑問点がでてきたようだ。
担当同士で話し合ってもらう。
照明や音響、舞台つくり、さらには客席のつくりなどについて、早急に担当者レベルでの打合せが必要だ。
もうあまり時間がない。
M氏がチラシを絶賛してくれた。いままでキャバレーといってもイメージがわかなかったものが、だいぶ具体的になってきたと言ってくれた。
いずれにせよ集客が問題、なんとかしないと。
チッタ側は、きわめて協力的。費用的な面では、人件費がいちばんの問題。こちら側からどれだけ人間をだせるかを出したうえで、つきあわせをしていくことが必要。この人員の確保もしないといけない。
客席についても、30あるテーブルをどう配置するのか、そのレイアウトも考えなくてはならない。いよいよこれからは時間との勝負になる。
とりあえず近日中に舞台関係の打合せをすることにする。そのセッティングもしないといけない。

6月24日 マスコミまわり1

2002年6月26日 水曜日 2:35p.m.

新聞の記事にしてもらうため、マスコミ回りをする。
24日は、朝日新聞と共同通信社で旧知の学芸の記者に会って、世間話を交えながら、内容の説明をする。
朝日の記者に「カバレット」って、日本語に訳すと、どうなるわけと聞かれる。確かに自分たちは内輪で「カバレット」とか「キャバレー」とか言っているが、一般の人たちに言葉で説明する時、なんて言っていいか問題になる。音楽ありのダンスありの曲芸ありの、ごっちゃまぜのヴァラエティーショーですと答える。さらに今度は突っ込まれて「吉本のなんば花月もヴァラエティーショーとの違いは」という質問を受ける。いいところを突いてくる。「向こうは、しゃべくり中心、笑い中心だけど、カバレットは、身体表現が中心、映像も音楽もあるし、ビジュアルで楽しめるのが一番の違い」と答える。
マスコミの人たちと話をして、こうしたやりとりをすることが、制作側にとってもいい勉強になる。
今回は、それぞれのパフォーマーが演じている写真を何点用意してあるのだが、こちらが伝えたい「カバレット」という雰囲気は、一枚の写真だけだと伝わらない。限られた新聞のスペースで、写真を2枚使ってくれというのは無理な話だ。あのチラシの雰囲気を、写真一枚でどう伝えるかといのも今後の課題になる。
10年ほど前にディミトリーを招聘して公演をした時、クラウンパフォーマンスということでチラシをつくったり、プレスリリースをつくったのだが、「クラウンって何?」という説明をしなければならなかった。「クラウン」というと、トヨタの車しか思い浮かばなかったという時代である。
時間をかけながら、まず「カバレット」という言葉になじんでもらうこと、それが大事になる。

6月25日 マスコミまわり2  野毛フラスコにて

2002年6月27日 木曜日 0:14p.m.

産経新聞の取材を、野毛のフラスコで受ける。飲み仲間のひとりが、産経新聞の横浜支局に勤務しているので、記事掲載をお願いしたら、取材をしたいということになった。Fさんという若い女性の記者から結構長めの取材を受ける。
やはり最初に聞かれたことは、「キャバレー」という言葉について。
キャバレーというと、ピンサロの延長のようなイメージを抱いてしまうらしい。飲んだり、食べたりしながらショーを見る大人がくつろげる場所だったのが何故、ピンクのイメージになったのかということを聞かれるが、昔のキャバレーは、そんなにピンク色が強くなく、フルバンドがあって、ダンスフロアがあって、飲んだり、踊ったりしながらくつろげる場だったわけだ、そのくつろぎかたがかわってきたのではと答えておく。
このあとここで練習をしている王さんへのインタビュー、写真の選定をしてもらう。
Fさんは、この催し物については、かなり興味をもってくれたようだ。
この記事が出て、どれくらい切符が動くのだろう。


産経新聞2002年7月4日神奈川県内版

にぎやかで自由な大人の空間
『カバレット・チッタ』川崎で10日開催

生演奏にパフオーマンスと、なんでもありのバラエティーショー KABARETT CITTA(カバレツト・チッタ)」が10日、川崎市川崎区のライブハウス、クラブチッタで行われる。ヨーロッパなどで多く見られる『飲食しながらショーを案しむ』環境は日本ではまだ珍しいが、このショーの成功で一気に知名度を上げたいところ。プロデューサーで発案者の大島幹雄さん(48)は、「さまざまな要素がるつぼのように詰め込まれているバラエティーショー。頭を空っぽにして目いっぱい楽しんで」と話す。

カバレットは、ドイツ語で芸術キャバレーの意味。小さな舞台で繰り広げられるウイットに富んだ、時には軽薄な生のエンターテインメント芸術で、日本の寄席に近い。
仕事でヨーロッパ各国のサーカスや劇場を見ることが多かった大島さんは、「ヨーロッパでは、飲み食いしながらサーカスやショーを見ることができて、大人がくつろげる空間がたくさんある。それらを見るうちに日本でも本格的なキャバレーショーを実現したい」と考えるようになったという。
そして、十年前から千葉県市川市内のサーカスレストランを皮切りに、レストランやバーでのショーのプロデュースに携わった。三年前からは都内のライブスペースで日本のパフォーマーを集めてバラエティーショーを作り出し、「これらの積み重ねの集大成としてカバレットチッタの企画が生まれた」。
出演項目はマジック、ジャグリングといった正統派から、時事ネタコント、かぶりものまで多彩。音楽陣もテルミンなどを操る巻上公一さんや、サックス、クラリネットの梅津和時さんら約十人のメンバーがそろい心地よい空問を演出する。
八歳から体操を始め、十二歳から中国雑技団で活躍してきた王輝さん(36)も出演者の一人。今回のショーでは、世界中で観客を沸かせてきたジャンピング綱渡りを披露する。王さんは「室内で生の音で演技するのは久しぶり。日本では珍しい形態のショーですから楽しみ」と期待している。大島さんは「どんなショーになるのか見当もつかないが、中心のない、雑多でにぎやかな空間を作ることができれば成功だと思う。将来的にはカバレットという言葉が独り立ちするくらいに広めていきたい」と話す。
KABARETT CITTA(カバレットチッタ)今月10日、JR川崎駅より徒歩5分のクラブチッタで。前売りは3000円、当日券は3500円。飲み物などのオーダーは別途かかる。
問い合わせは事務局(03・3403・0561)へ。

7月3日 舞台の打合せ

2002年7月4日 木曜日 6:11p.m.

ミュージャンとパフォーマーが一体となったショーをつくるということで、事前に進行や照明をピシッと決めて、当日仕込、リハをするというのとは違うものになる。現場対応ということになってしまう。
ということで、現場の方も、スタッフの方も決められないことが多くて、対応に困ってしまう、それが現状。
今回は横浜のにぎわい座の時の舞台監督さんと、照明さんが入ってくれることになっているのだが、ちょうど忙しい時と重なっているということもあり、チッタとの打合せもなかなかできないでいる。
忙しい合間をぬってもらい舞台監督さんとは会って打ち合わせることができた。やはり綱渡りの支柱のことを気にしていた。あとはバンドさんの立ち位置も事前に確かめておく必要も。それ以外の進行に関しては、流れを見ながらということになる。
照明さんとは電話で打合せ。ピンスポットを何本使うか、ブラックライトはどうするとかについて、確認すべき点がいくつかある。
結局間際での対応になってしまうのかもしれない。
これからがいよいよ正念場になる。

7月5日 券売苦戦

2002年7月6日 土曜日 5:42p.m. 

券売がなかなか伸びない。実際確実に売れている枚数は100枚弱。この他に委託している分や、パフォーマー君たちに預けてある分があるので、130枚ぐらいはいっていると思う。
この他に当日精算券というのをかなり配布している。これがどれだけくるかはまだ読めない。
今回一番あてにしていたのは、朝日新聞での告知だった。しかしこの日朝日から電話。スペース争いにまけてしまい、掲載できなくなったという。うーん。これは痛い!
記事が間際にでて、チケットが100枚近く動くこともある。残こされた日数を考えると、これから前売りや当日が動く要素は、朝日の記事だと思っていたので、これがなくなったことの痛手は大きい。
採算ラインを300枚と踏んでいたが、これをクリアするのは、かなり厳しい状況だといえる。
いまの状況だと200枚を超えることは至難の業だろう。
朝日の記事一本に期待をかけていたこと自体が甘いわけで、これは制作側の落ち度である。
あとはどれだけ一枚でも多く売っていくかにかかっている。
厳しい状況になってきた。

7月9日 リハーサル クラブチッタ

2002年7月10日 水曜日 8:43a.m.

13時からクラブチッタでリハ。
一番気になっていた綱渡りのセッティングは、微調整はあったものの、OKになる。
かなりの迫力で見れるのではないだろうか。
18時半から紹介、顔合わせをしたあと、ミュージャンとパフォーマーの合わせ。
ほぼぶっつけ状態なのだが、梅津さんたちが臨機応変に対応してくれるので、思った以上にスムーズに進み、21時には完了。
全体の印象としては、ヴァラエティー色が際立ち、カバレットという感じが鮮明にでてきていると思う。
それとパフォーマーたちが、生演奏をバックに演じることで、演技が増幅されてきたように思える。
かなりいい公演になる、そんな手応えを感じた。
しかし今日チッタでリハができて、良かった。これが当日だと思うとぞっとする。
チッタのスタッフの人たちもみんな協力的だったのも助かった。
やっとかたちが見えてきたそんな感じだ。


この続き(公演日以降&ご覧になった方の評)は制作ノート2で!


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