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【連載】クラウンを夢見た人たち−クラウンカレッジ卒業生のその後を追う

プロローグ 『道化師の変容−「クラウン・カレッジ・ジャパン」を訪れて』

『悲劇喜劇』1990年2月号 掲載

 新聞のコラムでフランスに企業を診断するプロの道化師がおり、あちこちの大企業からひっぱりだこの人気という記事を読んだことがある。この道化師のステージは会議、幹部社員が居並ぶテーブルを回り、即興の演技で笑わせ、重苦しい会議の雰囲気をリフレッシュさせているという。ここで道化師は企業の閉鎖性を打破するためのカンフル剤になっているわけだ。かつて中世のヨーロッパで王や貴族が宮廷愚者の道化師をかかえていたように企業が道化師をかかえる時代になったのだろうか。
 もしかしたらいまは、道化師を要求している時代なのかもしれない。若者たちを中心に笑いのニューウェープということで新しい笑いを求め、たくさんの漫才グループが生まれている。さらにはクラウンのパフォーマンスを売りものにした『サーカスレストラン』も誕生、若い人たちの間でたいへんな人気を博しているという。
 こうした中で日本初の道化師養成学校『クラウン・カレッジ・ジャパン』が昨年の九月に発足。クラウンの大量生産に向けて本格的な活動を開始した。ここでは本格的なクラウン芸の習得をめざす若者のため、三百五十時間、約四カ月にわたる集中講座を、一年に三回開講するという。マスコミから大きくとりあげられたこともあったのか、第一期生募集には、定員三十名に対して百人以上の応募者が集まったという人気ぷり。四カ月の講座料が約五十五万円という決して安くはない授業料を払ってまでもクラウニングを学びたい人たちが日本にこんなにたくさんいたのかと驚いてしまった。実際に彼らは何を学んでいるか、東京・南大井にある『クラウン・カレッジ・ジャバン』を訪ねてみた。

 『クラウン・カレッジ・ジャバ・ン』は、日本の健康食品メーカが、リングリング・プラザーズ・アンド・バーナム・アンド・ベイリー・クラウン・カレッジとライセンス契約を結び、アメリカ・フロリダにあるグラウン・カレッジの海外分校第一号として設立された。一九六八年創立されたクラウン・カレッジ本校は、八八年、八九年と来日公演したリングリング・サーカスを所有する興行会社、リングリング・ブラザーズ・アンド・バーナム・アンド・ベイリー社が運営にあたっている。設立以来約千人以上のクラウンを養成したというこの学校は、リングリング・サーカスに出演するクラウンを養成するという目的で作られたといっていい。アメリカらしい合理的なシステムである。
 もうひとつ言えることは、ここで教えられるクラウニング(道化術)は、あくまでもリングリング・サーカスというひとつのサーカス団のニーズにそったものだということである。『クラウン・カレッジ・ジャパン』も、こうした本校のシステムをそっくり採用しており、卒業後はこの学校が開校するのと時をほぼ同じく発足した株式会杜クラウン・カレッジ・ジャパンが、卒業生をさまざまなイペントに送り出す窓口となり、企業や団体と出演契約を結ぶ。すでに第一期生たちのうち十八人は、四月からはじまる"花と緑の博覧会"のあるパビリオンのコンパニオンとして働くことが決まっているという。時代の流れを先読みしたビジネスの匂いが漂ってくる。単にクラウニングを学習するというだけでなく、卒業後クラウンとして働ける場が保証されているということも、応募者がたくさん集まったことにつながっているのかもしれない。

 カリキュラムはアメりカ本校と全く同じ、そして四人の専門インストラクターもアメリカ本校の派遣ということで、無駄なくマニュアル化されている。週五日、月躍から金曜まで行われる授業は、九時半から始まり、五時に終わる。ムーブメント、メイクアップ、マジック、マイム、スキル、クラウニングといった科目があり、それぞれ専門のインストラクターによって指導を受ける。毎週金曜日には特別にスチューデント・ショーという、生徒たちが自分でつくったパフォーマンス・ショーが行われるという。
 ミーティングとウォームアップが終わると、メイクアップ。四十五分間かけて入念なメイクが行われる。技術的なメイク指導はインストラクターによって行われるが、どういうメイクがいいのかについては各自自分で考えるという。その見本となるのは、クラウン・カレッジが輩出した千人近くのクラウンたちのメイクである。メイク室には、さまざまなクラウンたちの顔写真が貼りだされ、これを参考に各自試行錯誤して自分のキャラクターに合ったメイクを考案することになる。生徒たちのメイク姿はなかなかさまになっている。
 クラウンには白塗り顔のホワイト・フェイス・クラウンと赤毛で赤鼻のオーギュストという二つのパターンがあるが、生徒の多くは、最初ホワイト・フェイスのメイクを選んだという。クラウンというと白塗りの顔というイメージが強かったのかもしれない。現在は、オーギュスト、ホワイト・フェイスと半々ぐらいのメイクであった。メイクは授業が終わるまで落とされることはない。クラウンとして技術を学ぶため、まず変身し、形からクラウンになりきるために必要なことなのかもしれない。メイクが決まるとそれに合ったコスチュームが作られる。自分のアイディアを出しながら、コスチューム・デザイナーが、ひとりひとりのコスチュームをデザイン、一着は個人のものとなる。
 メイクがおわると全体の動きやダンスを中心にしたムーブメントやマジックのトレーニングが行われる。昼食・休憩をはさんで、午後から三つのグループに分かれ、マイム、スキル、クラウニングのトレーニングを受ける。スキルとは、基本的なサーカス芸、ジャグリング、玉乗り、スティル・ウォーク(竹馬のり)、一輸車などを学習することである。レクチャーを受けるというよりは、即実践ということで、キビキビみんな良く動いている。見ていて一番面白かったのは、クラウニングのレッスンであった。ここではアメリカのクラウニングの基本ともいえる、スラップスティックな身体表現、たとえぱけたたましく笑う方法、頬打ち、パイ投げなどをぺースにギャグの作り方を自ら学んでいく。
 この日見たのは、頬打ちをとりいれたギャグをふたりずつペアを組ませ、アイディアを即興で考えさせ、十分間ぐらいめいめい練習した後、みんなの前で演技を披露、インストラクターの寸評をもらうというものであった。五組の演技を見たが、全体的にテンポがなく、正直いってまだ笑える内容にはなっていない。思い切り身体全体を使うという表現ではなく、アイディアが先行しているような気もした。一組結構笑わせるペアがいたのだが、それはしゃべくりを中心にしたものであった。このペアはインストラクターから厳しく、言葉ではなく身体をまず使えということ指摘されていた。確かに笑わせようと思うとどうしても台詞に頼らざるを得ないというのが、日本流の道化術なのかもしれない。
 アメリカのクラウン.カレッジの授業との一番の相違点は、このギャグづくりに現れるという。スチューデント・ショーで披露される日本の生徒たちのギャグのアイディアは、テーマ性をもったもの、社会的事件をとりいれたものなどかなり洗練されたものなのだが、身体がついていかないという。言葉を使わずにマイムでどれだけ人を惹きつける演技をするかということがクラウニングの基本となるはずなのだが、表現力という点で若干の物足りなさを感じるというのが、アメりカのインストラクターの感想である。

 十八歳から三十四歳までの男女二十八人がここで笑いのテクニックを学んでいるわけだが、授業を見て気づいたのは、とにかく生徒のひとりひとりが明るく活気があることである。そして熱心であることだ。メイクで素顔がみられなかったが、真剣勝負しているという雰囲気は十分に伝わってくる。即興でギャグをつくる時に、パートナーと一緒にどういうギャグにするのか話し合っているのを見ていると、ピリピリした緊張感さえ感じられる。しかし何れにせよ四カ月というのは、あまりにも短い期間であるし、ここで学べることはクラウニングの基礎を学ぶための基礎で精一杯だと思う。メイクをし、クラウン・コスチュームに身を包み、集団で演技をする分には、ここでの学習が十分に通じるかもしれない。しかし一人であるいはコンビで客と面した時に、笑いをとるためにはさらに多くの経験をし、技術を磨かなければならないだろう。
 クラウン・カレッジ・ジャパンの案内書には、教育訓練目標のひとつに、「内面的抑圧から自己を解放し、自己表現カを高める技術を修得させること」とうたっているが、たしかにこの講座に参加した生徒のひとりひとりは人に笑いを与えることがいかに難しいことであるかを知るなかで、自己表現の必要性を学んだことであろう。日本人のインストラクター(彼らはアメリカのクラウン・カレッジで実地訓練を受けてきた)の話によると、授業が終わっても多くの生徒は残り、自分なりのギャグ作りに練習を続けているという。ギャグのネタづくりにどんなに時間を要しても、問題はそれをクラウニングとしてどう表現できるかということだ。外に向けてそれを表現できなければ、せっかくのアイディアも無駄になる。そんなジレンマの中、彼らは人を笑わせるという目的のため、自分の生理さえも変えていかなくてはならない。自分の中の感情のメカニズムを変えていくことが、クラウニングの基礎なのかもしれない。わずか四カ月のことではあるが、生徒たちが外に向けて表現するというクラウニングの必然性に面して、確実に性格そのものが変わっていくのがよくわかったと、案内してくれたインストラクターが話してくれた。技術的なことよりこうした内面での葛藤が、クラウニングの基本となるはずだ。自分を追いつめることによって、また表現の可能性が生まれるというクラウンの背負う宿命がそこにある。
 こんなエピソードがある。一世を風魔した十八世紀のイギリスの道化師グリマルディは、悪化する鬱状態に苦しみ、有名な医者のもとに相談しに行ったところ、「もっと笑ってリラックスする必要がある」といい、さらに「定期的に劇場に行って、特にグリマルディという喜劇役者をごらんなさい」と言ったという。この晩グリマルディは古典的道化芝居の最高傑作を演じたという。道化師の仕事はそれだけ激しく二律背反する面をもっている。しかしそれに正面から対時するなかで初めて道化師が誕生するのだと思う。『クラウン・カレッジ・ジャパン』で学んでいる生徒たちの多くはほんとうのクラウンになりたがっているという。そうした葛藤を経て、ここで学んでいる人の中から本当の意昧でクラウンが生まれたら素晴らしいことだと思う。

 リングリング・サーカスではクラウンは全体の一部にすぎない。しかもクラウンはあくまでもマスとしてしか扱かわれていない。三つあるリングのひとつで場をつなぐために笛を合図にリングに登場するクラウンは、舞台の準備が整って、また笛の音と共に消えていく。ヨーロッパでいま一番の人気を集めているドイツのロンカリ・サーカスを見たことがあるが、そこで主人公はクラウンであった。一部と二部に登場したクラウンは、二十分ぐらいのショーを一人で演じ、観衆の喝采を浴びていた。それは見事な演技であった。言葉がわからなくても、そのしぐさや動きを見て、本当にいままでこれだけ笑ったことがないというくらい腹をよじって笑い転げた。またスイスのディミトリー劇場で、いま世界最高のクラウンと言われるディミトリーのショーを見たが、それも素晴らしいクラウン・ショーであった。彼は三年前日本で公演された『道化の世界』に出演しているが、その時は企画の関係で一部のパフォーマンスしか演じていなかった。スイスで見た二時問のディミトリーのクラウン・ソロ・ショーは、身体のあらゆる器官が笑いを生み出すために全回転している、そんな迫カあふれる絶品のステージであった。クラウン・アートといえるものが確かに存在する、それを実証してくれた舞台であった(ディミトリーは今年三月新たにソロのショーをもって日本公演をするという)。
 企業社会のなかで人問関係の円滑化をはかるため企業道化師が誕生し、また一方でイベント時代到来ということで、イベントの引き立て役としてクラウンが必要とされているなか、この『クラウン・カレッジ・ジャパン』の試みは、確かに時代の流れを読んだ画期的なものだと思う。しかしそれを皮相なものに終わらせないためにも、ここで学ぶ人たちが、マスの一部として演技することに満足するのではなく、自分の個性を磨き、自分なりのクラウン像をつくってもらいたいと思う。いままで日本のショー・ビジネスの世界でクラウンを名乗るパフォーマーは生まれていない。ここで学ぷ生徒のなかから本当の意味で、ヨーロッパと同じようにソロのショーができるクラウンが誕生することを楽しみに待ちたい。


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