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【連載】サーカス漂流

第7回 『カザフサーカスとの絆』

10月10日名古屋空港、ゲートに姿を現したハーリックは私をみるととびきりの笑顔をみせて、抱きついてきた。100キロ以上の巨体に抱きしめられ、その笑顔を見た時、元気で陽気なハーリックに戻ったことを知った。
 ハーリックは、元国立カザフスタンサーカス総裁、現在は民間のサーカス団アルマトゥイサーカスを経営している。いま愛知県犬山市のリトルワールドで公演している「新シルクロードサーカス」のメンバーは、彼がコーディネイトしてくれたものである。サーカスを通じて世界にたくさんの友人がいるが、お互い「兄弟」と呼び合っているのは、ハーリックだけである。私にとって、ハーリック、そしてカザフスタンサーカスには特別の思い入れがあった。
 いまから5年前「カザフスタンサーカス」の公演をすることになり、その打ち合わせのためカザフを訪れたことからつきあいが始まった。当時アルマトゥイまで直接入る便がなく、タシケントまで飛行機、それから車でアルマトゥイに向かった。およそ1500キロ、まさにシルクロードを横断することになったのだが、いま思うと楽しい旅だった。ソ連解体後、中央アジアがひとつになって、新しい可能性に向かっていた時で、カザフの旧首都アルマトゥイにも活気があったし、国立カザフサーカス総裁ハーリックも、2000人収用のサーカス場を拠点に、100名のアーティストを抱え、精力的に働いていた。自ら「俺は田舎者」という言うハーリックは、粗暴だが、愛嬌があり、なによりも裏のないあけぴろげな素朴さが魅力だった。私たちはすぐに仲良くなった。
 この公演の2年後北九州博覧祭にカザフサーカスを呼ぶことが決まり、スポンサーと一緒にアルマトゥイに行くことになったのだが、ここで思いがけないことに出くわすことになる。
 空港に迎えに来たハーリックを見て、すぐに彼の身に異変が起こったことがわかった。顔に精気はなく、声にも張りがない、いつものハーリックではなかった。彼は空港から宿舎に向かう途中、サーカス場を奪われ、地位はまだ総裁のままだが、給料もずっともらっていない、無収入状態が1年ぐらい続いていると寂しげに語った。でも今度の仕事はまちがいなくやるし、心配するなという。たった2年の間に、カザフスタンはすっかり変わっていたのだ。ハーリックが拠点としていたサーカス場は、町の真ん中、公園のなかにあった。ここにレジャー施設をつくろうというプランをめぐる陰謀のなか、ハーリックは、サーカス場を奪われてしまったのだ。資本主義導入のともに、新しく生まれた資本家と官僚 が結託して、サーカス場を売り払おうとしたのだ。彼はそれに全面的に戦おうとしていた。愛するサーカスをマフィアに取られてはならないという信念だけが彼を支えていた。日本で開かれる博覧会のためにカザフサーカスを派遣するという私たちの提案を拠り所に彼は反撃にうってでる。出演者との交渉や写真撮影などといった予定の仕事をこなすほか、役所の人たちと会い、今回のプロジェクトがどれだけ重要かを、ハーリックと一緒に説いて回ることになった。
 幸いなことに彼のもとには、ハーリックを信じて無給でもいいと残ったアーティストたちがいた。なにかの集まりで、こうした芸人のひとりが、「こどもの時から世話になったハーリックが、苦境に面している。俺たちはハーリックを救うために、アルマトゥイに戻ってきた」と語るのを聞いて、不覚にも涙が出てきてしまった。彼はモスクワサーカスのスターのひとりだった。そんな彼がわざわざモスクワでの豊かな生活を捨て、ハーリックを助けるために戻ってきたのだ。こんな心意気をもった芸人がまだいたのだ。私も彼らと一緒に戦いたいと思った。スポンサーと交渉してギャラもあげてもらった、決まっていた出演者の契約の権利が自分たちにあるというサーカス場の新しい支配人の妨害もあったのだが、あくまでも今回はハーリックと契約したといって、一蹴もした。
 一年後カザフサーカスは、日本にやってきて公演、高い評価を受ける。うれしかったのは、この仕事のために、ハーリックは、ほかから来る仕事を断り、私との約束を守ろうとしてくれたことだ。博覧会の仕事は1カ月半の短いもの、1年とか半年とかというオファーがそのあと来たのにも関わらず、彼は約束を果たしてくれたのだ。そしてこの公演から半年後、ハーリックがサーカス場を取り戻したという知らせが届いた。彼の粘り強い交渉が実のったのである。
 しかしこれで話が終わったわけではない、ハーリックはまたサーカス場を失うばかりか、国立サーカス団の総裁の地位からも追い出されてしまう。今年2月の話だ。もうこれでハーリックもダメかと思った。リトルワールドでシルクロードをテーマにしたサーカスをする話が決まった時、彼を元気づける意味で、コーディネイトをまかせようと思い、電話してみた。意気消沈しているかと思ったハーリックの声は明るかった。そして「兄弟、心配するな、いい番組をつくるから」と答えてくれた。言葉には自信があふれていた。実際に彼は短期間で、すばらしい番組をつくってくれた。連日リトルワールドの会場では、お客さんの喝采が鳴りやまない。さすがハーリックである。
 なによりもうれしかったのは3年ぶりに会ったハーリックが、もとのあの元気でエネルギュシュなツィルカッチ(サーカス野郎)に戻っていたことである。
 「国立の仕事から解放されて実はホットしているんだ、サーカスのことよりも、会議やハンコ押しばかり。でもいま俺は自由の身だ。アルマトゥイ郊外に土地を買って、そこにサーカスのベースキャンプをつくった。来年はテントを買って、カザフ中を巡回してまわるつもりだ。俺はいま56歳、あと20年はがんばって働く、サーカスのために。人生は一回しかないんだ、思い切り、そしてエネルギシューにやるよ」
 そんなことを語るハーリックの目は輝いていた。


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