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カフェ・クマ−談話室 過去ログ

2003年7月

2003年7月23日 水曜日 11:18p.m. RE:L'Elephant Vert / 嶋田 TFJ 丈裕

嶋田さんこんにちわ。HPのレビューなども拝見させてもらいました。金曜日と土曜日にご覧になったのですね。金曜日の公演が良かったみたいですね。写真をみても、なかなか幻想的で、いい感じですね。あの噴水をつかうアイディアは、六本木ヒルズサイドから出されたもので、カンパニー側が受け入れるかどうか、ちょっと不安もあったのですが、あっさりOKしてくれました。彼らはみな大人で、商業施設でのパフォーマンスということで、いろいろと制約があることも承知してくれ、現場のスタッフの人たちとうまくやってくれました。ふつうは野外でのフェスティバルに出演することが多いようですが、こうした雰囲気でもちゃんと対応してくれました。照明さんも、なんとかいいものしたいと工夫して、あの噴水でのパフォーマンスが実現しました。スタッフとカンパニー側が一体となってできた公演といえるかもしれません。
今回は私も別な現場があって、ほとんど時間がなく、ゆっくりと話しできなかったのですが、またぜひ来てもらいたいと思っています。
六本木ヒルズでの野外パフォーマンスに関しては、うちの会社がこれから何本かやっていくようになると思います。
また次の企画を楽しみにしてください。

2003年7月22日 火曜日 11:57p.m. L'Elephant Vert / 嶋田 TFJ 丈裕

六本木の L'Elephant Vert 、良かったですね。
デジカメでいろいろ撮ったので、さっそくページを作ってあります。
ま、音やそれに合わせた動きが面白いので、写真だけでは全然面白さが伝わらないような気がしますが……。
見逃した方は、これで、雰囲気だけでもどうぞ。
http://www.kt.rim.or.jp/~tfj/photoalbums/lElephantVert2003/index.html

2003年7月12日 土曜日 1:13a.m. . カバレットチッタ制作ノート5−5 打ち合わせ

7月11日planBにて、打ち合わせ。
来週からかなり忙しくなるので、急遽この日に打ち合わせが決定。何人かのパフォーマーは出席できなかったが、シカラムータの大熊さんも出席、やるネタと音楽をどうするかを中心に打ち合わせ。最初にシカラムータの所沢での公演をこうじがビデオで撮ってきたので、それをみんなで見ることに。これを参考に、自分のやろうとしているネタと、どんな音楽がいいかを個別に話し合う。みんな今回はやるネタをだいぶ絞り込んできているので、話しが具体的になっている。その上でパフォーマーの希望を聞きながら、大熊さんなりのアイディアが出され、かなり密度の高い打ち合わせになった。今回はなによりも、ミュージシャンとのからみがたくさん見られそうだ。前回はこうしたミーティングの場がつくれずに、当日あわせをしたもんだから、たいへんだったが、今回は構成をある程度決めたうえで、こうした話し合いの場がもうけられたので、具体的になおかつ、パフォーマー側のアイディアと、ミュージシャンサイドのアイディアをぶつけるかたちになり、カバレットらしい全体の雰囲気が、かなりみえてきたように思える。
あとは個別でやりとりをしながら、9月11日に一回リハをすることになる。
舞台のつくりについても話し合い。バー脇につくるステージが今回はポイントになるかもしれない。
いいものができそうな予感がしてきた。

2003年7月11日 金曜日 1:05a.m. クマの観覧雑記帳『ベアーズキッズ』

コーカサスで不慮の死をとげたセルゲイ・ボドロフの最新映画『ベアーズキッス』の試写を見る。
これはサーカスを舞台にしたちょっとかわったラブロマンスである。赤ん坊のときにサーカスで拾われた少女が、シベリアで母親が殺され、動物市場で売られていた小熊と出会い、愛情をそそぐ。育ての母親に捨てられ、事故で父親も失い、天涯孤独の身となった少女にとって、クマのミーシャだけが、唯一の生きる拠り所となる。そしてある日クマは人間へと変身、ふたりの不思議な旅がはじまることになる。
クマを自称し、かつてクマと一緒にサーカスと旅した経験をもつ私にとっては、なんともたまらない映画である。
この旅のありかたが、印象に残る。最初は華やかなサンクトペテルブルグのサーカス場からこの旅ははじまるのだが、スゥエーデンで母親が去り、だらしない父とふたりで旅するときには、サーカスの規模も少しずつ縮小されていく、そしてサーカスから追われるようにドイツのハンブルグに行くときには、フリークスを売り物とする大道芸見世物一座、そして父親が事故で死んだあとは、この一座の座長とずっと一緒についてきたクラウンと3人だけになってしまう。何台も連結していたワゴン車もこのときは一台だけになっている。ようするに何かから追われるように、逃げるように旅が続けられていくのである。そのだんだん居場所がなく、しかたなく旅を続けるという、旅のありかたがなんとも切なかった。追われるように、旅を続けることでしか、生きれない、こんな旅が描かれている。
なにかを求めるのではなく、追いつめられて逃げるしかない旅、そこにこのあらかじめ親を失ってしまった孤独なふたりの愛の姿が象徴的に描かれているような気がする。ロシアからはじまった旅が、南下しながら救いようがないほど追いつめられ、最後にまた北の大地、シベリアに向かう。この北へ向かうという行為が、とても共感がもてた。
なにか他人事とは思えない、不思議な魅力をもった映画だった。8月2日から東京では公開されるとのこと。また詳しい情報は、観劇案内板で紹介したい。
ところでこの映画、テレンス・マリックが脚本協力しているという。
西山さん(私の本をいつも装丁してくれている大の映画ファン)は絶対見なくちゃね!

2003年7月11日 金曜日 0:38a.m. 『東京霊感紀行』のURL/クマ

以前「今週読んだ本・買った本・もらった本」のなかで紹介した、わが愚弟大島憲二著の『東京霊感紀行』が、一般の本屋さんでも販売されるようになった。インディーズからメジャーへひとつのステップともいえる。本屋さんから直接弟の方に本を置きたいという話しが舞い込んできたらしい。
ということでこの本に関するサイトが立ち上がった。この本でもつかわれている映像などもたっぷり見れる他、売っている書店情報もおりこまれている。
一度興味のあるかたはのぞいてみてください。
http://www.dc-island.com/tokyo/

2003年7月9日 水曜日 11:52p.m. 『エノケソまつり』を見る2/クマ

一番驚いたのは、「夢の風船」と題した上島敏明の、見世物風パルーン芸。これはすごい、死ぬほど笑わった。大道芸の定番バルーンを、鼻から入れて、口からだし、それをふくらませて、鼻からまた口から出しちゃんだよ。凄い芸だった。
87歳になるという〆丸師匠の稟としたチンドンを演奏する立ち姿も良かった。コントラバスを使っての、じゅうバイオリンという、バイオリン演歌のもじりも、その発想だけで十分に笑わしもらった。
〆丸師匠が、ステージで「芸人は、金がなんぼじゃない、やりたいことをやるのが一番」みたいなことを言っていたが、その気持ちが伝わるステージだった。厭味がないのだ。3部の「蛙の夜回り」というエノケンのヒット曲をもじった、踊りを客席と一緒にやるときも、(いま思い出すとこのときの由紀さんともうひとりの女性の蛙らしきかっこうもなかなか可愛かったなあ)、自然に見ている方もからだが動いちゃのは、やはり楽しいからだと思う。こんな楽しみかたっていいよなあとつくづく思う。心地よい2時間だった。これで前売り1000円は安い。
終わったあと、ほおづき市の縁日をひとりぷらぷら、また幸せな気持ちで歩きながら家路についた。
これはくせになるかもしれない。


2003年7月9日 水曜日 11:43p.m. 浅草雑芸団『エノケソまつり』を見る 1/クマ

浅草ほおづき市恒例の大道芸フェスティバルの18回目。今年はエノケン生誕100年便乗企画「エノケソまつり」と題しての公演。カバチッタのちらしをまくために、開演の18時ちょい前に木馬亭に着いたのだが、すでにお客さんが50人以上劇場を囲んでいた。いやすごいねえ。客いれ時には、ちんどん菊之家社中も表に出て、にぎやかし、ほおづき市でにぎわう五重塔通りがさらにもりあがる。こんな雰囲気だったのだろうなあ、戦前の浅草の劇場街は・・
舞台では18時半頃からいろいろ芸の披露があったようだが、これはチラシをお客さんに渡していたので、見れず。19時開演。客席から出演者がちんどん隊を先頭に入場。男たちは女装。バレリーナに扮した上島敏明の口上からはじまる。すでにお客さんはあったまっているから、ノリもいい。なんか楽しそうなことがはじまるなあという雰囲気がムンムンである。公演は休憩もいれて、およそ2時間、3部構成。1部は、太神楽、手品、南京玉簾などを取り入れたインチキ芸オンパレード、2部はゲストの菊之家〆丸師匠率いるチンドン、3部はエノケンへ愛をこめて、と題されたエノケンにちなんだ、これも馬鹿馬鹿しいコントと言おうか、なんと言おうかもどきの芸の数々が飛び出す。浅草雑芸団の公演を見るのは、これが2回目。前回もとても楽しく、幸せな気持ちで劇場をあとにしたのだが、今回も存分に楽しませてもらった。なんていったって、馬鹿馬鹿しさに徹底しているのが、痛快であった。お客さんもほとんど常連さんなのかもしれないが、はじめから楽しもうという感じで見ているし、演者も芸を見せるというよりは、楽しませちゃえ、そして楽しもうという姿勢なので、劇場全体がとてもいい感じになっている。この楽しんじゃえという一体感が、爽快であった。


2003年7月9日 水曜日 2:16a.m. 訂正です。

18時間ではなく18曲でした。たいへん失礼いたしました。

2003年7月9日 水曜日 1:14a.m. RE:消えたレニングラードフィル初来日公演の記録

公演のTV放送なのですが、わかっている範囲では

※4/15の公演初日の後半がKR(現TBS)テレビで生放送。
※4/27か28のコマ劇場公演をNHKが収録。[現存]
※ロストロポーヴィチのスタジオ放送が日本テレビ。
※ヤンソンスの東京交響楽団初共演がKRで実況中継。

というところがあったようです。

で、この18時間の録音は新世界レコードと日本の放送局(KR系?)が協力して製作したということを聞いています。で、OKがでたのがそのうちのLPとEP各1枚分ということだそうです。このうちLPは現在国会図書館に保管されているようです。ガウクのサインがジャケットに印刷されていました。

2003年7月8日 火曜日 11:06p.m. RE:消えたレニングラードフィル初来日公演の記録

おおたにさん、こんにちわ。ご無沙汰しております。その当時どのような録音をされていたのか詳しくはわからないのですが、この録音というのは、どこかの会場での公演ライブをそのまま録音したものなのでしょうか? そうすると誰がそのオリジナルテープを持っているのでしょう? 主催者であるアートフレンドがもっていることはあり得るのでしょうか?当時この公演に携わっていたアートフレンド関係者工藤精一郎さんに、聞いてみるとなにかがわかるかもしれません。工藤先生のお話だと、ロストロポービッチが日本テレビの生放送で演奏していたといいます。レニンフィルはどうかわかりませんが、例えばドンコサック合唱団や、ボリショイバレエなども生放送でテレビ放映されていたようです。もしかしてレニンフィルも生放送などに出演しているかもしれませんね。そうした映像記録などが残っていると面白いとは思うのですが・・・


2003年7月7日 月曜日 1:33a.m. 消えたレニングラードフィル初来日公演の記録。

ご無沙汰しております。おおたにと申します。

じつは少し前に判明したのですが、神彰氏が招聘したレニングラードフィルハーモニーの初来日公演時に、じつに延べ18時間にもわたる録音が当時存在していたらしいのです。
現在そのうち存在が確認されているのはLPとEPそれぞれ1枚分のみということで、残りの約17時間分の録音は音響の不備等の為発売が許可されず、その後の消息を聞かないまま今日に至っています。

これはじつに残念なことですが、もし現存していればなんとか復刻してほしいものです。もっともそれ以前にそのLPとEPも早くCD等で復刻させてほしいと願うばかりです。

2003年7月4日 金曜日 11:32p.m. カバレットチッタ制作ノート5−4 スポンサー見つかる

7月3日 
日暮里にあるサンタ引っ越しセンター本社を訪ね、社長と面会。正式に今回のカバレットチッタのスポンサーとなることを承諾してもらった。
前回のカバチッタをみた、私の気功の先生に紹介してもらった。協賛の内容としては、チラシの広告なのだが、ただありきたりな協賛広告ではなく、カバチッタのひとつの大きな柱とある「あそび心」に乗ったかたちで、広告を出すことで、了解してもらった。
サンタ引っ越しセンターのユニフォーム一式ももらってきた。当日のネタのなかで、こうした小道具もつかいたいと思っている。というかパフォーマーにその方向でネタを考えてもらうおうと思っている。
協賛金はもちろんそんな大きなものではないが、経営逼迫しているわが制作サイドとしては、とてもありがたい。
協賛のスタイルも、なにかあそび心を生かしながらやっていくと、また面白い展開ができるのではないかと思う。そうしたことをサンタ引っ越しセンターの社長さんに理解していただいたこともうれしい。
次は、集客戦略だ。

2003年7月4日 金曜日 11:21p.m. カバレットチッタ制作ノート5−3 客席レイアウト

7月2日 川崎クラブチッタにて
前回のカバレットチッタでの一番の反省点は、客席のレイアウト。前方にテーブルを並べて、後ろはパイプイスを並べたのだが、カバレットという雑然とした雰囲気がまったく感じられなかった。今回の大きな課題のひとつは、この客席のレイアウトをどうするかということにある。
クラブチッタのMプロデューサー、舞台監督のTと客席を見ながら、いろいろアイディアを出す。タイミングが良かったのは、ちょうどクラブチッタが通常のスタンディングスタイルの客席だったこと。柵があちこちに配置されているのを見て、これをひとつのモデルにすると、かなり雑然とした雰囲気の客席がつくれるのではないかということに気づく。イメージ的には、だいぶ煮詰まった感じがする。
今回は2階席もつかうことにした。というのも400人入れないと、採算がとれないことがわかったからだ。
かなり立体的な客席レイアウトプランができたように思える。
やはり実際に客席をみないと、こうしたアイディアは生まれないということだろう。
今度こそは、みんながくつろげ、楽しめるような客席をつくれそうな手応えを感じている。

2003年7月2日 水曜日 0:11a.m. 『ロシア芸術の現在』講義通信6/クマ

7月1日、自分担当の最終日。今日はロシアポピュラーミュージックの話し。
タトゥ、アクバリウムの話しをしたあと、『キノ』の曲を3曲聞いてもらう。「トロリーバス」については訳詩をプリントで渡しておいた。ツォイが死んだのが20年前の7月など言ったのだが、授業中にこの次の回に講義する先生から、ちがうのではというメモをもらう。確かにツォイが死んだのは、1990年8月15日で、大間違い。あとで訂正。そのあとDDTのビデオを流す。ここまで結構時間をくってしまった。ベルチンスキイの話しを少しして、それから曲を2曲聞いてもらう。これも訳詩をプリントで渡しておいた。ベルチンスキイの歌は結構気持ちいいようで、何人かの学生が気持ちよさそうに寝ていた。このあとカバチッタに出演してくれた石橋さんのことを紹介、カバチッタでベルチンスキイを歌ってところのビデオを流す。音が割れていしまったのが、ちょっとまずかったなあ。そのあとはダメじゃん小出のライブ。この頃よくやっている在日中国人のネタからはいる。最初学生たちはなにがはじまっているのかよくわからなかったようで、笑いも少ない。小出はこのへんのあたりは了解済みという感じで、焦らずに進めていく。この落ち着きに自然に学生も飲み込まれていったようだ。得意のニュースと天気予報から笑いが絶えなくなる。およそ20分のライブ、最終的にはみんなはまったようだ。今日見ていた学生の何人でも小出のライブを実際に金払って見てくれるといいのだけど。
ということで、今回の授業は終わり。
クラウンのことでも、サーカスのことでもあと2回ずつ話せると、もっとまとまりがつくような気がした。学生たちにはやはり間口を広くして、そこで関心をもってもらうというのが大事で、関心を持った人たちに対して、うまくナビゲートしてあげるのが、一番いいと思うのだが、そこまではいけなかったという気もする。参考文献とか、参考になる映画とかそのへんのことをもう少し丁寧に話してあげればよかったのではというのが、大きな反省点かもしれない。ただ3人のライブを見てもらったのは良かったと思う。クラウン、マイム、スタンダップコメディーとかは実際に見てもらわないと、その良さはわからない。その意味では今回のライブは成功したのではと思うのだが・・・・


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