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今月の一冊 2001年4月

日本サーカス史の新たな一ページ
 阿久根巖
 『逆立ちする子供たち−角兵衛獅子の軽業を見る、聞く、読む
 小学館刊,本体2,300円

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 サーカス研究の第一人者阿久根巖氏が、また凄い本を出した。これは日本サーカス研究に新たな地平を切り拓いた画期的な本といえる。
 阿久根氏は、「サーカスの歴史」、「曲乗り渡世始末帖」、「サーカス誕生」、「元祖・玉乗曲藝大一座」と、いままで四冊のサーカス書を出している。いずれも新聞や雑誌、絵はがき、ビラ、看板といった膨大な資料を繙き、丹念に跡づけしながら、サーカスが盛んだった明治から昭和初期までのサーカス団や芸人たち、さらにはサーカスや曲芸が盛んに行われた場を活写してきた。いままで手つかずだった日本のサーカス史は、阿久根氏によって初めて、具体的に明らかにされたといっていい。
 そんな阿久根氏が、いよいよ本格的に近代サーカス以前の軽業に迫ったのが、本書である。
 本書の魅力は、図版が多く、きれいなことだ。ここには、百点ちかい図版、口絵には21点のカラー図版もおさめられている。この豊富な図版により、角兵衛獅子の芸をより具体的に知ることができる。
 例えばおもちゃ絵に描かれた角兵衛獅子の芸を、丹念に再構成、門付けの芸を分析し、さらには文献に残っていた口上と重ねあわせ、芸と芸をどうつないで演じたかということを、解きあかしてみせるのである。これは本書の圧巻の部分のひとつである。
 いままで近代のサーカスを叙述するうえで、著者は徹底して史料に語らせるという手法をとっていた。それは私見を入れずに、その時代のサーカスの姿をありのままに描きたいという姿勢からだったと思う。
 しかし今回は、対象が図版ということもあったのだろうが、独自の解釈を加え、解読しようとしている。美術監督を長年勤め、そして軽業や曲芸、サーカスをこだわって見てきた著者の熟練したまなざしは、確かである。このまなざしで解読されていく、芸の分析により、私たちはさまざまな発見の場に立ち会うことになる。演技中の角兵衛獅子たちが、いつも覆面姿であることをつきとめているのも、そうした発見のひとつである。
 そして本書の画期的なもう一点。角兵衛獅子の故郷新潟県月潟村の郷土物産資料室に保存されていた絵看板、絵ビラを解読するなかで、門付けの芸からはじまった角兵衛獅子が、軽業という舞台芸へに変遷する過程を明らかにしたことである。角兵衛獅子の基本的な芸のひとつである「八つ枕」(積み木のように台を重ねた上でのコントーション)から、さまざまなバリエーションが生れる過程を描き、さらには綱渡りや肩芸、曲持ちなどの江戸期に開花し、幕末に海外で絶賛される日本軽業の実体に迫る「11.角兵衛獅子の本格的な軽業」から「17.絵看板は二つの軽業一座」までは、まさに圧巻、読みごたえがある。
 本書の誕生により、サーカスを社会的、歴史的な視点ではなく、芸そのものを分析する視点でも描けることを可能にした、それだけでも画期的なことだといえる。
 阿久根氏は、とうとう未開拓の近世の軽業の世界に足を踏み入れてしまった。ここから先の世界は、限りなく深く。こうなると、どうしても阿久根さんが準備している図版による日本サーカス史を読みたくなってくる。
 今回も、いったいどこから集めてきたのだろうとあきれるぐらいの史料を、阿久根氏は集めている。しかし図版を主体にしたせいもあるのかもしれないが、専門書という重たい感じはしない(もちろんここに書かれている内容は、まちがいなく専門書のもの)し、読みやすい内容になっている。たぶん一般向けの内容にしようということで、ずいぶん苦労したと思うが、幅広い読者に読まれることを可能にしたのではないだろうか。
 サーカスに関心のある人はもちろん、ぜひ多くの人たちに読んでもらいたい。


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