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クマの観覧雑記帳

『マダンノリ』

観覧日 2001年8月19日午後7時30分〜8時10分
公演場所 大分ビックアイ特設ステージ


 マダンノリとは、韓国に古くから伝わる伝統芸能。韓国語でマダンは「広場」、ノリは「遊び」を意味する。頭に白いリボンをつけたアーティストが、鐘、銅鑼、大太鼓、小太鼓などの打楽器を演奏しながら、このリボンを旋回させるように踊る。日本でよく知られている「サムルノリ」は、四つの楽器を使ったノリという意味で、マダンノリの一種ではあるが、キムドクスンというミュージシャンがつくった現代的にアレンジしたノリだという。
 今回は、ユーヨンゴンをリーダーとする韓国農楽院のメンバー18人が、40分のステージと、日本の和太鼓グループ源流太鼓とセッションを見せてくれた。

 ステージが狭いのが気の毒だったが、パーカッションで軽快なリズムをきざみながら、そのリズムが身体に伝わり、身体が自然に旋回していく、そんな律動がステージ全体からあふれてくる素晴らしいステージだった。自分も見ているうちにいつの間にか、身体が揺れてきて、手や足でリズムをとっていた。
 2人の鐘奏者が、先頭に立ってリズムをリードし、それにしたがい、腰につけた大きな太鼓、ちいさな太鼓をもった奏者が7人、比較的大きな銅鑼をもった女性が2人、小さな団扇太鼓を持った奏者7人は、主に旋回技(身体を思い切り傾斜させながらの横転)を披露する。最初はパレードしながら、舞台に登場し、鐘奏者のリードで、輪をつくったり、十字型になったりと、いろいろなフォーメーションをつくっていく。なによりもここちよいのは、リズムが自在に変化していくことである。決まった型はなく、あくまでもこれは「ノリ」(あそび)なのであって、自由に変化していくところが、面白い。演者たちも実に楽しそうにやっている。見ていても、思わず身体が自然に動いていく、内から湧いてくるようなリズムが伝わってくる。こうした演奏は常に、頭を揺すりながら、行われる。演奏している方は、一種のトランス状態になっていくのだろう。
 いくつかのフォーメーションをつくったあとは、小さな太鼓を持った奏者たちの旋回技を連続して見せていく。舞台で上下に分かれ、上手側に陣取った旋回チームが、ひとりずつ旋回技を見せていく。この時も下手側のパーカッションは休むことなくリズムを刻んでいく。
 地から湧いてくるようなリズムが、リズムの変調によって、あちこちに伝播していき、見ているものにも響いていくそんな感じだ。
 フィナーレは、リーダーのユーが登場し、ソロの演技を見せてくれる。これは10メートルぐらいの長いリボンを帽子につけ、このリボンを旋回させながら、このリボンをつかって縄跳びのようなことをしたりと、かなりアクロバッティックな演技を見せてくれる。
 マダンノリの基本はあくまでも「ノリ」(遊び)であることは、日本の和太鼓とのセッションではっきりしてくる。
 日本の和太鼓は、いろいろ奏法にもちがいがあるのだろうが、ひとついえるのは、ストイックな様式美をベースにしているところにあるのではないだろうか。
 今回共演した源流太鼓は、リーダーの長谷川さんが、湯布院のお祭りで演奏されているお囃子を独自にアレンジしてつくったもの。女性2人を交えた9人編成、小太鼓の軽快な奏法がなかなか小気味よかった。マダンノリと違うのは、奏法にきちんとした型があることだ。小太鼓を叩きながら、手を垂直にあげ下ろしする奏法は、実に格好がいい。凛々しさ、ストイシズムが漂ってくる。
 セッションの段取りでいろいろ打合せをしていると、型にはまらない「ノリ」をベースにしたマダンノリの演奏と、きちんとした型を持っている和太鼓の様式がかった演奏が、根本で違っていることがよくわかる。和太鼓の奏法は、直線的、マダンノリの奏法は、曲線的(流線的)といえるかもしれない。たとえばマダンノリのメンバーが、ここで自由に遊んでというようなことを言うと、和太鼓側は、どうやって演奏したらいいかわからないということもあった。
 こうした奏法のコントラストがはっきりと見えたことも、セッションのひとつの魅力だといってもいいかもしれない。
 ユーが率いるこの団体は、15人から50人のグループをニーズに応じて、編成しているという。50人の編成になると、演劇的な要素や掛け合いなども入り、かなりダイナミックな演奏と踊りが見られるという。
 今度は、もっと大きな会場で、大編成のマダンノリを見てみたい。その時は観客も、円座になって見るような場所ならなおいいのではないだろうか。
 久しぶりに、躍動感を感じたステージに出会えた。


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