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早稲田大学『ロシア芸術の現在』講義通信2005

第2回 【クラウンの使命】
参考資料

2005年6月7日

クラウン(Clown)

「『土くれ』『田舎者』を意味する英語のclodを語源とする説が有力だが、定説とはいえない。広義の道化foolと区別して用いられる場合には、舞台や見世物の道化役をさす。その祖先は古代ギリシア・ローマの喜劇役者、16世紀から18世紀にかけてヨーロッパを席巻したイタリアのコメディア・デラルテの道化たち(『ザンニ』と総称され、その一人『ベドロリーノ』がピエロに発展した)、シェークスピアの道化などに求められよう。18世紀イギリスの貴族、軍人の間で馬の曲乗りが流行し、それが見世物として興業されるようになり、ロンドンに半円形の曲馬場が造られたのが近代サーカスの始まりといわれるが、初期のサーカスクラウンに影響を与えたのは、当時ロンドンの劇場で人気を博していたコメディアン、グリマルディーJoseph Grimaldi(1778-1837)の愚かしさと狡猾さをつきまぜた絶妙な道化ぶりであった。19世紀のパリでは、フュナンビュール座の道化ドビュロー(映画『天井桟敷の人々』でJ・L バローが演じた役)が、白い衣装に白塗りの憂い顔の新しいタイプのクラウンを創造し、大衆のみならず詩人や芸術家を両魅了した。20世紀にもピカソやルオーの絵画、またチャップリンやフェリーニの映画の中に、クラウンは魅力的に生きている。 (高橋康也)」

(平凡社大百科辞典より)

アルレッキーノについて

「アルレッキーノはベルガモ生まれで、けちんぼ医者の召使いである。主人がけちなため色とりどりのつぎはぎだらけの服を着せられている。アルレッキーノは愚かな道化であり、いつも陽気にみえるずる賢い召使いである。
 しかし、とくとご覧になるがいい、その仮面の下に何が隠されているのか。
 アルレッキーノは全能の魔術師、妖術師、魔法使いである。アルレッキーノとは地獄の使者なのだ。
 仮面はただたんに、このように相反する二つのタイプをその下に隠すことができるだけではない。
 アルレッキーノの二つの顔――それは二つの極である。両者のあいだには、さまざまな変種や陰影が無限にある。性格のこのような途方もない多様さをどうやって観客に示すのか。仮面によってである。
 身振りと動きの技芸を身につけた俳優は(まさにこの技芸にこそ俳優の力は潜んでいるのだ!)観客に、目の前にいるのが何者であるか、ベルガモ出身の愚かな道化なのか、悪魔なのかが、いつでもはっきりと分かるように仮面を操る。
 コメディアンの変化しない面の下に隠されたこのカメレオン的な変幻自在さこそが、演劇に光と影の魅惑的な戯れを与えているのである。(中略)
 青い鳥が飛びまわり、けものたちが会話を交わし、地下に潜む諸々の力を授けられた怠け者にして悪漢たるアルレッキーノが驚くべき悪戯をやる道化に変身する不思議な世界――そんな世界にその身振りと動きの技芸によって観客を連れ去るのは俳優なのだ。アルレッキーノは軽業師だ、綱渡り芸人といってもいい。彼の跳躍は並はずれて軽快だ。彼は諷刺作家諸氏が夢想だにしなかった大げさで途方もない道化で観客を不意に驚かせる。俳優は舞踏家である。彼は優美なモンフェルリーナ(イタリア、ビエモンテ地方の軽快な舞踏)も踊れば、イギリスのテンポの速いジグ(軽快な三拍子)も踊れる。俳優は泣いたかと思うと、次の瞬間には笑うこともできる。彼は太った医者を肩に苦もなく舞台を跳びまわる。彼は柔軟でしなやかであるかと思うと、不器用で鈍重でもある。いろいろなイントネーションを使いこなせるが、イントネーションで特定の人物を模倣しようとはせず、それによってさまざまな身振りや動きを飾ったり補うだけだ。ペテン師の役を演じるときには早口でまくしたて、衒学者を表現するときにはゆっくりと歌うように喋ることができる。俳優は自分の身体で舞台上に幾何学的図形を描くこともできれば、空中を舞っているかのように、自由奔放に、陽気に跳びはねることもできる」

(メイエルホリド「見世物小屋」『メイエルホリド・ベストコレクション』より)

エンギバロフ 道化語録

「私は、いつもギャグをただ演じるのではなく、たとえどんなちっぽけなギャグであろうが、自分がつくったヒーローたちを見守り、あるいは非難しながら、自分の作者としての立場を表明しようとした」

「ムイシキン伯爵の特徴は、私がつくるクラウンの人物像の中に体現されているといってもさしつかえない。しかしわずかな違いがあるとすれば、ドストエフスキイのつくった主人公は、悲劇的な人物であるが、私のクラウンは、本質的には悲喜劇的である。基本的には同じである。両者とも人間について思い悩み、また助けを呼ぶ声には、応えようとする」

「クラウン――これは詩人であり、おとぎ話をつくる人である」

「クラウン、これは職業ではない、これは世界観なのだ。・・・私は人々に喜びや微笑み、そして悪に打ち勝つ善への信頼をもたらすおとぎ話のクラウンになりたいと思う。私のヒーロー、アンデルセンのように。」

ベルニー・コロン 「ピエロの赤い鼻」に出演して

「長年にわたり、私は人々を笑わせるということは不可能だということを学びました。クラウンが観客を笑わせようとすることは、破滅を導くことになります。笑いを強要することはできないのです。観客はそれを不快に思い、操作されているような気分になるでしょう。そうではなく、観客を笑いたいと思えるところまで、もっていかなければならず、それを認識していなければなりません。クラウンAは、観客の前に出るその前に、観客にとって必要な感情をいっぱいに満たし、その感情を共有するのです。」

(手紙から)


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