月刊デラシネ通信 > ロシア > 『ロシア芸術の現在』講義通信2005 > 授業を終えて

早稲田大学『ロシア芸術の現在』講義通信2005

「ロシア芸術の現在」2005年の授業を終えて

 4年目となった今年は、わりとしっかり準備をして臨んだと思う。毎回配布する資料つくりも結構真剣にやったし、それなりに予習もした。ただいままででいちばん反応がなかった。えてしてこんなものなのだろうが、今年の授業ではこんな空しさを痛切に感じた。空回りしてしまった、という感じだろうか。とりあげたテーマがあまりにもマイナーだったこともあるのかもしれないが、きっとそれをいちから説明するということを怠ったことが、この反応の悪さの大きな要因になっていると思う。長谷川濬と神彰、道化師の使命、綱渡りのフォークロア、カバレットの文化史に、ロシア・エトランゼの系譜と、ほとんど学生が知らないことをとりあげ、それでなくてもマイナーなロシアなのに、一層知らない世界へ誘うときに、やりかたとしてはかなり強引だったのかもしれない。

 ただこれしか自分にはできないわけで、いまさら学生に合わせてなんかやるということもできないし、それを求められていたわけではないと思う。

 自分のなかでは、若い人に教えられることがあるのだったら、教えたいという気持ちはあったし、できればこの授業を通じてなにか興味をもつ人がいたのなら、マンツーマンで教えることができるような自主ゼミのようなものをやってもいいとも思っていたのだが、それはこちらの一方的な思いこみに終わってしまった。

 結果的には、空しい5週間となってしまった。自分がもっている知識や経験を伝えたいという気持ちはあるのだが、この「ロシア芸術の現在」という授業に関しては、終わりにしたいと思う。総花的に学ぶ場ではなく、もっと突っ込んだかたちで学び会う場をつくりたいという思いは強くなっている。ただそれはこのような授業のかたちではおそらく無理だろう。大学という場を離れてもいいのだし、なにか学ぶ場をつくりたいという気持ちが深まったことは、この授業をやらしてもらったからだと思う。この授業での経験を生かして、次の学びの場を、今度は自分でつくりたいとマジに思っている。


連載目次へ デラシネ通信 Top 前へ