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【連載】Back in the USSR

第3回 道化師パルーニンの夢

 現在モスクワで開催中の『演劇オリンピック2001』のパフォーマンス部門のプロデューサーをつとめる、スラーバ・パルーニンは、80年代にレニングラードで『リツェジェイ』というクラウングループを結成、ソ連国内だけでなく、ヨーロッパ各地でセンセーションを巻き起こした。『リツェジェイ』から離れたパルーニンは、その後もシルク・ドゥ・ソレイユの『アレグリア』のクラウニングを担当するほか、ロンドンを中心に世界を舞台に活躍している。私が勤務しているACCが招聘したクラウン、ノーラ・レイやBPズームとも交流がある。
 私自身、彼とは二度会っている。とても知的でもの静かな雰囲気を漂わせる彼との会談で印象的だったのは、「自分はプロデューサーでもあり、ディレクターでもあるけど、なによりもクラウンである、そして生涯クラウンであり続ける」と語っていたことだった。
 ここに紹介するのは、『スノーショー』という自らが演出・主演した作品を上演するために、去年モスクワを訪れたパルーニンが、『論拠と事実』紙のインタビューに答えたものである。


――あなたのアシシャイ(パルーニンがつくったクラウンのキャラクター)は変わった・・・
 「80年代始めに登場した私のアシシャイは、とてもシンプルだった。その時ソ連のクラウニングは、サーカスに留まっていた。この共通のジャンルからニクーリン、エンギバロフ、カランダーシュのエピゴーネンたちが、あふれ出ていた。私は多くの点で、エンギバロフを追いかけていた。そのあとはロシアの古典の伝統を学んだ。私のアシシャイは、ロシアの古典にいつも出てくるような小さな人、ドストエフスキイのバシマチキンのような存在だった。私はクラウニングの言語を改革したいと思ったのだ。詩的でリリカルなクラウニングをつくりだした。しかしその後、これがつまらなくなった、飽きてしまったのだ。今度は陽気さの下に悲しみを隠す、悲劇的なクラウンをつくることに賭けようとしたのだ。人生にあるすべてのものを融合しようとした、つまり詩やドラマ、喜び、涙、不合理なものなどをだ。アシシャイが誕生してから20年の歳月がたち、私にもいろんなことが起こった。それと同じように私のヒーローの身の上にもいろんなことが起こったのだ。彼はずっと悲しくなった、もしかしたらほとんど気狂いになった、自分のことも忘れているのかもしれないね」

――あなたはチャップリンと比較されることは・・・
 「この比較はあまり意味がないのでは。チャップリンを自分の師と呼ぶことはできるかもしれない。私の家には彼の全作品、91本の映画が揃っている。またロシアの家には(注 彼はいまロンドンに住んでいる)、彼についての本や新聞の切り抜きなどがある。私の息子は諳んじるくらい、彼の映画のことは全部知っている。しかしどこかで、私たちの道は異なっていると言える。たとえ彼が私に多大な影響を与えたとしてもだ。舞台に出た時、私は観客席の方に向きをかえなければならない」

――クラウニングは本で学ぶことができるのですか?
 「最初、私は図書館で学んだ。そのあと、感動したあるひとりのクラウン、ジョージ・カールに会うために、ラスベガスに行った。彼は80歳だった。彼のことはもう誰も覚えていなかった。着いて、私は彼の家を見に行った。すっかり散らかって、いろんなものや、ガラクタ、ビデオテープなどが、塵の山になっていた。まもなく家の主が現れたので、彼に今世紀始めに演じられたギャグが入ったテープはどこにあるか聞いた。そして長い時間をかけて、この塵の山からこのビデオを捜し出した。
 自分の先生については、,いろいろ複雑な問題がある。ミハイル・シャミャーキンは私に大きな影響を与えた。私はメタクラウニングをつくるということに、また賭けようとしている。自分自身わからないことをしたい、大事なことは、止まっていたくないということだ」

――具体的なアイディアはあるのですか?
 「シャミャーキンと『三つのオレンジへの恋』をつくろうと話し合っている。中身についてはほとんど出来上がっている。問題は資金を探すこと。商業主義ってやつだ。これは芸術の病だ。しかしこの作品つくりはなによりも先決してやらなくてはならない、すでに動いている。」

――あなたは演し物のなかで即興もするのですか?
 「アイディアは全部自分で考えている。私は目で楽しめる作品にしたいといつも思っている。絵が好きなんだ。家には絵のコレクションもたくさんある。ひとつの作品の中で、ひとつの完璧な世界をつくりたいと思っている。そしてこの世界に観客を虜したいとね。喜びを通して人生の重荷を克服するために、喜びが必要だ。
 若い頃、「トビリスソバ」というグルジアのお祭りを見るために、トビリシに行ったことがある。祝祭、これは生活の中で重要なことだ、そしてそれは私の職業でもある」


 パルーニンは、ディミトリーと並んで世界を代表するクラウンだと思う。円熟期を迎えようとしているパルーニンと、いつか仕事を一緒にしたいとも思っている。


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