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【連載】Back in the USSR

第4回 マヤコフスキイの最期の一発


 詩人であり、ロシアアヴァンギャルド運動のリーダでもあったマヤコフスキイが自殺したのは、1930年4月14日のことである。彼の自殺の理由は、さまざまに伝えられている。しかしこの死が、1917年のロシア革命後芸術の分野でイニシアチブをとっていたロシアアヴァンギャルド運動の終焉を告げた象徴的な出来事であったことは間違いない。
 今回紹介するのは、週刊誌『論拠と事実』2001年6月(24号)に掲載された、マヤコフスキイの自殺の現場に居合わせた恋人ポロンスカヤの証言をもとにしたドキュメント「最初の詩人の最期の一発」の一部である。


 死の10分前マヤコフスキイは笑っていた。物静かに、そして優しく。
 「君、タクシーのお金持っているの?」
 マヤコフスキイは、こうモスクワ芸術座の女優ヴェロニカ・ポロンスカヤに尋ねた。彼女との関係はたったいま終わったことが明らかになったばかりだった。たとえ彼女が、この日夫である、のちに有名になる俳優ミハイル・ヤニーシンの元から去り、マヤコフスキイの元に引っ越してくることを誓ったとしても、彼にはわかっていたのだ。彼女が決して彼のもとにはもどってこないことを。
 「もっていなのかい。20ルーブルもっていけよ。今晩電話するよ」
 ポロンスカヤはお金を財布に入れて、急いでドアの方に向かった。彼女はすっかり遅れていたのだ。10時半からネミロビッチ・ダンチェンコと稽古をすることになっていたのだが、廊下の時計はすでに10時15分をまわっていた。ルビャンカからカメルゲルスキイまでは車で、20分かかる。最初は引き留めようとしていたマヤコフスキイが、やっと解放してくれそうなので、彼女は安心したのだが、突然身震いすることになる。詩人の部屋で銃声が鳴りひびいたのだ。
 30分後廊下では、アパートの管理人が泣きながら立っていた。なんとかマヤコフスキイの部屋に入ろうとするのだが見知らぬ黒装束の男に道を塞がれた。「ここはいま入れないのだよ」という男に、事情がのみこめていない管理人の婦人は、「どうしてなの、そこには亡骸があるのよ」と尋ねる。男はこう答えた。
 「ここにあるのは亡骸ではない、プロレタリア詩人の身体なのだ」と。
 「自殺ではないというの、もしかしてあのマヤコフスキイが今朝連れてきたあの若い女性がやったとでもいうの」と婦人は、独り言を繰り返した。
 確かに現場にいた証人ポロンスカヤは、疑われていたのだ。

 ポロンスカヤの向かいに座った制服を着た男が、厳しい口調で尋ねた。
 「公正でなければなりません。私たちにすべて真実を語って下さい」
 「真実って、何についてですか?」
 「最初からどうぞ話して下さい。どうしてあなたはマヤコフスキイの部屋にいたのですか?」
 ふたりは、同時に死んだマヤコフスキイが横たわっているベットの方を見た。ぼさぼさの頭は壁際を向いており、血だらけのシャツの左側のほうに血に染まった穴が空いていた。
 「さあ、答えて下さい、お嬢さん」
 「4月14日の朝、マヤコフスキイは私の家にタクシーでやってきました。彼は、とても具合が悪そうでした。私はなんとかして彼を元気づけようとしました。『見て、ヴォロージャ(マヤコフスキイの愛称)、今日はとてもいい天気よ。昨日自殺のことを言っていたけど、もう忘れましょう?』。そしたら彼は『僕にはいま天気のことなんか関係ないよ』と答えました」
 「ポロンスカヤさん。センチメンタルすぎませんか。事実をありのまま話して下さい。どうしてこの部屋にいたのですか」
 「マヤコフスキイが、私をここに連れてきたのです。彼は、真剣に話し合わなくてはならないと言っていました。私が、今日は大事な稽古が劇場であるの、遅刻できないのよ、と言った時には、怒鳴り始めました。『また劇場だ! 僕はそんなものは大嫌いだし、悪魔にでも食われてしまうがいいんだ、僕は絶対に君をこの部屋から出さない』。実際に彼はドアに鍵をかけ、それをポケットに隠してしまいました。彼は自分で劇場に行って、私が今日の稽古には行けないこと、そして夫のヤニーシンにも会って、これ以上私を彼のそばにはおかないと言うと言い出したのです。自分との関係があれば、演劇を捨てられるはずだとも」
 「ところであなたはどうだったのですか?」
  興味深そうに取調官が尋ねた。
 「彼のことを愛しているし、彼といたい、でもヤニーシンに何も言わないで、ここにとどまることはできないって答えました。夫のことは、人間的に愛していたし、尊敬もしていました。だからそんな風に彼のことを捨てることはできなかったのです。演劇のことも捨てられないし、捨てるつもりもない。だから稽古にいかなければならない。そしたら彼は『つまり稽古に行くってことか?』と聞いてきました。私は頷きました。『そしてヤニーシンとも会うということか?』。『ハイ』そう答えました。
 彼は『なんてことだ、行けよ、すぐに行っちまうがいい、いますぐにだ』と叫んだのです。
 送って欲しいと頼んだのですが、彼は私のところに近寄ってきて、キスをして、ほんとうに静かに、そして優しく言ったのです。
 『いいや、ひとりで行きなさい。大丈夫だよ』
 その後何故か、笑いだし、タクシーのお金をくれ、ドアまで送り、そしてドアを閉めたのです。その直後でした。銃声が鳴ったのは」
 「それであなたはこの部屋に最初に入ったのですか? 彼の身体を見たのと、銃声がなった間はどのくらいの時間があったのですか?」
 「銃声を聞いた時、足がすくんでしまいました。叫んで、廊下を走りましたが、部屋に入ることはできませんでした。部屋に入ったのはずいぶん時間が経ってからのように感じましたが、実際はすぐあとのことだと思います。何故なら部屋にはピストルを発射したあとの煙りがまだくすぶっていましたから。マヤコフスキイは絨毯に倒れていました。目は開いたままでした。彼は私を真っ直ぐに見ていました。全力で頭をもちあげようとしていました。顔は真っ赤でした。すぐに頭ががくんと崩れ落ちました。だんだん青白くなっていったのです」
 「お嬢さん、ボロンスカヤさん。どうしたのですか? おい医者だ、医者を呼べ」
 いままで質問に答えていた女性が、ゆっくりと椅子から転げ落ち、一時間ほど前に詩人が倒れていた絨毯の上に、倒れたのを見て驚いた取調官が叫んだ。
 ポロンスカヤが正気に戻った時、彼女の手に血がついていた。最初はどこかを傷つけたのかと思われたのだが、あとでマヤコフスキイの血であることがわかった。

 死者の机に1930年4月12日という日付が入った最後のメモが残されていた。2日間マヤコフスキイは懸命に生きようと自分を奮いたたせていたのだ。彼が発射したリボルバーには、弾が一発しか入っていなかった。この弾を引き抜こうとした人は、詩人のそばには誰もいなかったのだ。


 まるで愛人のポロンスカヤが、マヤコフスキイに追い込んだ、さらには殺した可能性さえもあるかのような書きかただが、いずれにせよひとつだけ言えるのは、マヤコフスキイは救いようがない、絶望のどん底のなか死んでいったということではないだろうか。


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