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【連載】ロシア雑記帳

三谷幸喜『笑いの大学』モスクワ公演

 三谷幸喜『笑いの大学』が、モスクワで上演された。
 そんなに大々的な劇評というわけではないのですが、遂に三谷幸喜のコメディーまでがモスクワに進出していたことにびっくりした次第。
 誰がこの戯曲に注目し、翻訳したのかがとても気になってしまいました。

 記事は、『論拠と事実』10月42号「ニコライ・フォメンコは日本人になりきって演じた」と題され掲載されたものです。


 いまモスクワはちょっとした日本ブームになっているらしい。スシバーが流行り、侍の映画が氾濫し、通俗小説や独自のDJミュージックなども巷を賑わせている。
 このブームにのって、演出家のロマン・コザックが、プーシキン劇場アトリエで、日本のアイドル作家三谷幸喜の戯曲『笑いの大学』を上演した。

 この芝居で「日本的」なものは、そんなに目立ってはいない。東洋的な装置や、主人公たちの名前(ツバキ、サキサカ)、劇中で彼らが緑茶を飲むところぐらいだろう。戯曲の主題は、むしろ我々のそう遠くない過去、まだ検閲が機能していた時代からとられたものと言ってもいいだろう。劇作家(ぼさぼさ髪で長いジャケットを着ているアンドレエ・パーニン)が検閲官(下唇を突き出し、生気のない目をしたニコライ・フォメンコ)のところに、シェイクスピアの「ロミオとジュリエット」をパロディー化した自分の戯曲を持ち込む。しかしこの役人はこれが「下手くそで、粗っぽい、笑えない」代物だと見なす。「これを三回読んだが、一度も笑えなかった」と頬をふくらませ、フォメンコはぞんざいに言い放つ。劇作家は上演の許可を得ようと、ハメを外す行動に出る。出来立てのサンドウィッチに贈り物を隠し、買収しようと駆けずり回り、何度も書き直し、笑わそうとする。しかしすべての努力は無駄に終わる。検閲官は台本を認めようとはせず、ただ作家を嘲るだけだ。台本もたびかさなる書き直しのために、さらに馬鹿げたものになり、情況もわけがわかならなくなってしまう。
 「戯曲からキスシーンをとってしまいなさい」とサキサカ(フォメンコ)は主張すると、ツバキ(パーニン)は「でも頬や額はいいですよね」とお願いする。
 ヒロインは口で毒を飲むのではなくて、他の方法がいいのではないか、互いに浣腸しあってヒーローも同時に死んだらどうだろう、と検閲官は最後に提案する。
 この芝居の主題が要求するように、パーニンは巧みなマイムを駆使し、アグレッシブにドライブのかかった演技を見せてくれた。彼のパートナーのフォメンコも公演中は常に固まった表情で演じる。観客は大笑いをしていたし、空席は一席もなかった(100人収容)。これは商業的にも成功した(そんな大きなものではないけど)ことを意味している。もしあなたが、なにか噂の口火を切りたいとか思っていたり、高級な芸術に近づきたいなどということを望まずに、楽しい一夜を過ごしたいと思うのなら、すぐに『笑いの大学』に行きなさい。これで絶対に自慢できるはずです。(ヴラジミール・ポルパノフ)


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