月刊デラシネ通信 > ロシア > 粛清されたサーカス芸人 > ヤマサキ・キヨシの尋問調書
1994年刊行された加藤哲郎著『モスクワで粛清された日本人−30年代共産党と国崎定洞・山本懸蔵の悲劇』は、いままでまったく闇に葬られていたモスクワで粛清された日本人の記録の一部が明らかにした画期的な書であった。
国崎定洞、山本懸蔵といった共産主義に夢を賭けた若者たちが、スパイ容疑により、夢を求めた国家ソ連によって無残にも殺されていったことが、この書により初めて明らかにされた。この書には、粛清された日本人リストが公開されているが、このなかには、岡田嘉子と共に愛の逃避行と騒がれた杉本良吉の名前も見ることができる。さらに、共産主義とは無縁なところで殺された人たちもいたことも知ることができる。
このなかで特に異彩を放っているのが、ヤマサキキヨシである。
「ヤマサキ・キヨシは、フジテレビ報道局KGBファイル第二八九四一号によると、一九〇〇年東京生まれ、父は日本海軍大尉だが、サーカス団の一員として革命前に入露し、ソ連共産党にも入党した模様だが、三五年に「労働者の間で反ソ・アジテーション」で党を除籍され、それがそまま逮捕・銃殺の容疑とされている。六六年二月八日付け「名誉回復決定書」によると、ヤマサキは、最終段階で供述を撤回し、自分の有罪を認めなかった。」(『モスクワで粛清された日本人』二八四頁)
サーカス芸人としてロシアに来た日本人が何故粛清の餌食にならなくてはならなかったのか。
八年ちかくロシアに渡ったサーカス芸人の足跡を追いつづけていた私にとっては、この事実は大きな衝撃だった。
加藤氏が後書きの中で、「本書の内容についての問い合わせや、本書に関わる新たな関連情報は、実名を挙げた人々についても、私の方に寄せていただきたい」とわざわざ連絡先の住所を記していたのに勇気を得て、いままで自分が調べたロシアに渡ったサーカス芸人について書いたものを同封して、「おそらくヤマサキ・キヨシについての資料は本書にすべて使用されているとは思うのですが、もしももう少し彼についての資料がお手元にあるものでしたら、見せていただきたい」と手紙を書いた。
この手紙を書いてから、一週間も経たないうちに、加藤氏から手紙だけでなく、「ヤマサキファイル」のコピーを送ってもらうことになった。
「サーカス団出身のヤマサキ・キヨシの件は、文春の『闇の男』にも簡単に出てきますが、実は、フジテレビ報道局が、文春と別個に収集したKGB秘密資料のなかにあったものです。私たち(私はロシアが専門ではないので、ロシア語資料解読は、富山大学藤井一行教授に頼っています)も、十分に解読しないまま、名前だけ拙著に入れたものです。
(中略)
『モスクワで粛清された日本人』刊行後、私は、野坂参三・山本懸蔵といったリーダーたちを離れて、当時国境を越えた、一人ひとりの日本人を解明したいと思い、同封資料のように、八十人近くの当時ソ連にいたと思われる日本人をリストアップしました。第1号の「須藤政尾」からはじめて、須藤について『毎日新聞』に書いたところ、早速肉親がみつかって、この夏には、スドーの遺児ミノルと親族の半世紀ぶりのご対面が、実現する予定です。その過程で、サハリンの炭鉱や石油会社、船員、漁民関係で入露者の名前と経歴がだいぶわかってきました。現在は、「スドー・ファイル」を手がかりに、そちらの方の資料解読に力を入れており、ナンバー・スリーの「ヤマサキ・キヨシ」については、いつ手をつけられるものやらというところでした。(中略)大島さんは、ロシア語も大丈夫のようですし、すでに蓄積もありますから、こちらの方の調査は大島さんにお願いした方がよさそうなので、私がフジテレビ報道部から預かり、管理一切を任されている「ヤマサキ・ファイル」全体を、ひとまず同封いたします。ロシア語といっても手書きが多く、私たち、ごくごく簡単な経歴程度しか、まだ解読しておりません。(中略)いずれにしても、私としては、在ソ粛清犠牲者を発掘する仕事の、強力な援軍を得た想いで、大変感激しております。今後とも、くれぐれも、よろしくお願い申し上げます。
大島さんの「ヤマサキ・ファイル」解読から、新しい手がかりが出てくることを、強く期待しております。」
加藤氏からの手紙、そして思いもかけずに手にしたヤマサキファイルのコピーは、ずっしりとした重みをもっていた。まったく無名の男が、逮捕されてから処刑されるまで、そして名誉回復された時までをファイリングした七十二頁のこの記録こそは、スターリン時代に粛清されたひとりの人間が残した最後のメッセージでもあった。スパイとしてでっち上げられ粛清されてしまった日本人の「何故自分が粛清されなくてはならなかったのか」、死んでも死に切れないこの思いを、誰かに伝えたい、そんなことをこのファイルは私に語りかけてくるように思えた。ほとんどが手書きのこのファイルを読むのは、そう簡単なことではなかった。すべてを解読するのにおよそ一年の時間を要した。ひとりの人間が友人や仕事仲間、さらには妻の親戚らの証言によって罪をしたてあげられる過程を見るのは、決して楽しい作業ではなかった。
加藤氏が送ってきた「ヤマサキファイル」のコピーは、逮捕されてから、名誉回復の決定がされるまで、四〇のドキュメント、合計七八頁から成っている。加藤氏の手紙にもあったように、フジテレビ報道部が入手し、現在は加藤氏が保管しているKGB極秘文書のなかにあったものであった。
この資料の中からいくつかピックアップして翻訳紹介していく。
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