月刊デラシネ通信 > サーカス&パフォーマンス > サーカス> サーカスのシルクロード > 第1章
頭のなかで「綱渡りのルーツ」はどこにあるのだろうという疑問が渦巻いていたときに、「つく舞」という芸能が突然舞い降りてきた。これは偶然だったのだろうか。 2004年10月私は韓国の安城市(アンソン)で開かれた綱渡りフェスティバルに招待された。この町は、男寺党発祥の地といわれるところで、チュルタギ(綱渡り)の名手で、韓国の人間国宝にもなっている金大均が住んでいるところでもある。2000年韓国で出会い、翌年野毛大道芸フェスティバルに招聘したのをきっかけに、金大均は私のかけがえのない友人となっている。彼の綱渡りに賭ける熱い思い、そして南北朝鮮統一のために三十七度線で綱渡りのフェスティバルを開催するのが夢だというこの男の真っ直ぐな気持ちに私がすっかり惚れてしまい、彼もまたサーカス馬鹿の私に、何か共通するものを感じたところから、ふたりの友情がはじまった。 金さんとは、連日のように酒を飲み交わすことになるのだが、そんなある晩金さんは、「私はどうしてもチュルタキのルーツが知りたいのです、印度で生まれたといわれるこの芸が、中国を経て、朝鮮半島に来て、そして日本にも行きました、日本の綱渡りのルーツを教えてください」と真顔で聞いてきた。以前会った時もチュルタギの芸を守るだけでなく、この芸をさらに継承させるためにも、ルーツを調べたいと言っていたのだが、その思いはさらに深くなっていたようだった。公演活動だけでも忙しいのに、彼は二年前からアンソンの大学院に入学し、民俗学を学んでいるという。チュルタギのルーツを調べるためだった。 韓国を訪ねた翌月の11月、上島敏明氏が発行している『大道芸アジア月報』に「つく舞の現代性」という記事が掲載されていたのである。
中国から伝来した散楽のひとつで、蜘蛛舞にルーツをもつとなると、やはりこれはじっくりと調べなくてはいけない。 |
『つく舞考』は、2002年岩田書院より出版されている。著者の古谷津順郎は、この本が出版される10年前に68才ですでに亡くなっている。古谷津の論考をまさに奇なる縁で発見したのは、この本の解説も書いている橋本裕之である(先に引用した「日本民俗大事典」の「つく舞」の解説も彼が書いている)。橋本が発掘しなければこの論考は日の目をみなかったことになる。 「横がだめなら縦がある。 「横がだめなら縦がある」というこの潔さに、正直打ちのめされてしまった。それまでどれだけ調査に、資料発掘に、そして分析に時間をさいたことだろう。それをこんな風に簡潔に言い抜く、古谷津の学究姿勢に感動してしまった。この縦への探求が、綱渡りのルーツ探し、さらにはシルクロードとサーカスへという広大な世界へと、著者だけでなく、われわれを誘っていくのである。 本書の前半では、まずこの横の研究成果が検証されている。
この前半の七章で、民俗芸能「つく舞」についてかなり網羅的な知識を得ることができる。それだけでもこの書は十分な価値がある。 もともと芸能史の研究家ではなく、先行する研究書や論考を具に調査していたわけでもなく、この縦への突破の学問的な価値については評価がわかれるところだろうが、ただ驚いたのは、古谷津がその推論をもとに、中国の敦煌やウルムチの新疆ウイグル地区博物館を訪ね、尋橦の東漸経路を確認していることである。解説の橋本がこの古谷津の行為に対して、「こうした行論の不備を指摘することは簡単であるが、古谷津の所説は野田のつく舞を生み出した壮大な経路を体験することによって得られた実感を吐露したものであり、古谷津自身がいわば身体的に証明することができたという位相においてこそ評価すべきものであった」と書いているが、まったく同感である。知りたいという情熱に駆られて、その証を求め西域まで足を伸ばすこの行為こそ、シルクロードとサーカスという壮大なテーマを追うロマンにふさわしいものといえよう。 西域から散楽として日本に伝わってきた「尋橦」が、どうやって柱と綱の曲技であり、神事である「つく舞」となっていくのか、古谷津の探求はさらに続く。それは奈良に伝来した散楽が、中世を経て、江戸時代に開花する軽業・曲芸へ発展していく日本のサーカス前史にもつながる大きなテーマでもある。古谷津はこのテーマに果敢に挑んでいく。まさにそれは孤高の探求の旅であった。そしてそれは、古谷津の最大の関心事でもあった「つく舞」の語源を突きとめる旅でもあった。 「私はつく舞の語源を探し、更に尋橦−つく舞という説を裏付けるために、江戸期の随筆類約三〇〇篇四万ページを読み漁った。しかし、この二つを結びつけるものはどこにもなかった。渉猟は中世に遡った。そして中世の書「塧嚢抄」(あいのう抄=塵袋という意)に、ついにそれを見つけた。 爾雅ニ曰。啄木ハテラツツキ也ト。亦都盧ト書テテラツツキマヒトヨム。文選ニ曰ク、都盧尋橦(トロノテラツツキマヒ、ハタホコニノボル)ト云々。都盧ハ国ノ名也。合甫ノ南ニアリト云々。此国ノ人、高ヒ木ニノボルトテ、高木ニ登ル事、テラツツキノ如シ。今ノ世ニ竹ノボルト云、此類ヒニヤ。 尋橦−つく舞は、こうして結びついた。テラツツキマヒ−テラツキマヒ−ツキマヒ−ツクマイという転訛があったことを誰が否定できるだろうか。」(「奇祭 つく舞考」本書に所収) この執念と化した探求の志が、ひとつの結論へとたどり着くところはこの書の最大の読みどころといえよう。 さてサーカスとシルクロードなどという大それたテーマを掲げた自分に、はかりしれないエナジーを投入してくれたこの『つく舞考』を読み、どうしても本物のつく舞を見たくなった。茨城県龍ヶ崎では毎年七月二十七日に盛大につく舞が演じられているという。去年は仕事と重なり見に行けなかったのだが、やっと今年、生の「つく舞」を自分の目で見ることができた。 |
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