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【連載】サーカスのシルクロード

サーカスのシルクロード

第4章  正倉院展の墨絵弾弓図

正倉院展(奈良国立博物館) 第59回正倉院展最終日の2007年11月12日、まさに立錐の余地もない超満員の奈良国立博物館(左写真)、すべての展示物の前に人が群がり、肩ごしで垣間見るしかないそんな人混みのなか、こんなことになるだろうとあらかじめ心の準備はしていたのだが、それにしても凄い人の群れを見て、少したじろいでいた。会場に入った瞬間からその人の多さに圧倒されていた。でもここでめげるわけにはいかない、私にはどうしても見たいものがあった。なんとなくできている列に並んでいるわけにはいかない。ここを離れ、私はその展示物を目指した。今回の正倉院展の目玉となっているだけに、その前は、他の展示物以上に人が群がっていた。これを観るために奈良までやって来たのである。ここは東北人の遠慮深さは忘れ、関西人になることに決めた。この人込みに横から突っ込み、ガラスの一番前に陣取った。あとはどんなに人に押されようが、納得して見終わるまでは動かない覚悟であった。私はその展示物の前にまさにへばりつき、動かなかった。そうすると人は仕方なく私の後ろを移動していった。思う存分この展示物、夢にまで見た憧れの「墨絵弾弓図」と対面、じっくりと観覧することができた。時間にすれば10分だったのか、20分だったのか記憶は定かではないのだが、最高に幸せなひとときであった。まさか実物をこんなに早く拝めるなんて思ってもいなかったのだから。

 「サーカスのシルクロード」をテーマに番組ができないだろうかという、素敵な企画を夢想するあるテレビマンと雑談していたときだった。
 「今年の正倉院展に「墨絵弾弓図」が展示されるんですよね、大島さん見に行くんですか」と呟いた。
 「墨絵弾弓図」が公開される!マジかよと心の中で叫んでいたのだが、「そうだよね、もちろん見に行くよ。でもまた混むだろう、見るのたいへんだよなあ」と答えてしまった。この時完全に誤解して、東京の国立博物館あたりでやるとばかり思っていたから、こんな安直な答えになったのだが、テレビマン君はへぇとちょっと驚いていた。
 「墨絵弾弓図」。これは日本に現存する最古のサーカス図版資料である。浜一衛著『日本芸能の源流−散楽考』をはじめ、日本の芸能史を追った本のなかで、この図版は紹介されているし、美術関連書でもとりあげられている。ただこれが最古のサーカス図版であるということでとりあげられているだけで、いったい弾弓とはそもそもどんなもので、そこに描かれているサーカス芸はどんなものなのかについてはあまり触れられていない。実物見るしかないということになるのだが、この貴重な日本最古のサーカス図版が、正倉院に保管されているのが問題であった。
 私のサーカス学の先生である阿久根巌さんが企画している夢の書「図説日本のサーカス史」の第一頁を飾るのはこの図版であり、これをどうやって複写するかということが大きな問題になるだろうという話は、阿久根さんから聞いていた。宮内庁が管理する正倉院の宝物を見るのはそう簡単なことではないのである。
 それを見る唯一のチャンス、それが毎年開催される正倉院だった。第59回目の今年、この「墨絵弾弓図」が公開されるのである。これを見ずして、サーカスとシルクロードは語れない、どれだけ混んでいても、絶対に見に行くと完全に意気込んでいた。
 テレビマン君との雑談が終わり、開催時期を調べようと思ってパソコンで検索をかけたら、やるのは東京ではなく、奈良の国立博物館であることがわかった。奈良は確かに近くはない。だから彼は驚いていたのだろう。奈良か、とは思ったもののどうしてもあきらめきれなかった。「サーカスのシルクロード」を連載しはじめ、この広大なテーマに着手した時に、この「墨絵弾弓図」が公開されるというのは、なにかの啓示にちがいない。まして次はあと何年後に公開されるかもわからないのである。気持ちが奈良に向かって動いていたときに、姫路で公演しているサーカスのメンバーから電話が来た。どうしても相談したいことがあるので姫路に来てもらいたいというのだ。なんという幸運なのであろう。これが啓示以外のなんであろう。姫路に行く途中、奈良に寄れということではないか。スケジュールを調整するとなんとか正倉院展の最終日に行けることがわかった。
 そしてこの日十何年かぶりで、近鉄奈良駅に降り立ったのである。秋の紅葉シーズンに開催される正倉院展は、奈良観光の目玉になっていた。商店街には、歓迎正倉院展のような垂れ幕も飾られている。東京にいるとわからないが、関西ではきっとこの正倉院展は、秋の定番観光イベントとなっているのだろう。会場の奈良国立博物館の回りには、テントがいくつも張られ、物産展をやっている。展覧会というよりはお祭会場である。近くの美術館ではシャガール展もやっていた。散楽の図版である「墨絵弾弓図」が目玉になっている正倉院展とサーカスの絵やリトグラフをたくさん残している画家シャガールの展覧会を組み合わせたのは見事であるなんて思うのは自分ぐらいで、これはまったくの偶然であろう。

 そんなわけで正倉院展がどんなものかわからず、ただただ「墨絵弾弓図」を見たいという一心でここまでやってきた私の前にまず現れたのは、この絵の拡大コピーであった。現物を見たいのに、拡大コピー如きに時間をとられるのはどうかと思われるかもしれないが、この拡大コピーのおかげで、はっきりとこの「墨絵弾弓図」で描かれているサーカスの芸を知ることができるのである。
 この「墨絵弾弓図」の特色は、音楽を演奏する楽士と、散楽を演じるサーカス芸人、さらにはそれを楽しむ観客が描かれていることである。この図版をどう分析するのかについては、どんな視点から見るかということが重要になるはずなのだが、サーカス人間の私にとって、大事なのは、ここで描かれているサーカス芸で、楽士たちのことは無視する。
 この『墨絵弾弓図』には、四つのサーカス芸が描かれている。(詳しくは、このサイトをご覧ください。墨絵弾弓図の画像が見られます。)
墨絵弾弓図(竿芸の部分・図のみ抽出)上のほうから見ると、まず数人の見物人がいて、なにかしゃべっているような(口上でも言っているのか)人物、楽器を演奏する人たち、踊っている人たちのあとに、最初のサーカス芸「竿芸(パーチアクト)」が描かれている。大仏のような風貌のかなり大柄な人物が頭の上で支えている長い竿の上で、小柄なまるで猿のような男4人が、芸をする準備をしている様が描かれている。墨絵弾弓図に描かれている芸が実際に演じられたものなのか、あるいは想像で描かれたものかは、判断がつかないところだが、この芸に関しては、実際に演じられていた芸を見て描かれたものだろうか。それはひとつに、芸をする準備が描かれていることにある。竿の上の四人のうち、ふたりは竿に登っている途中であり、あとのふたりも横にわたされた支柱に、ひとりはぶらさがり、もうひとりは足をかけて、横木にとりつこうとしているところである。竿のてっぺんにある把手のようなものは、現在行われているパーチ芸の道具と同じであり、この把手を握って倒立をするのだろう。それにもうひとつリアリティがあるのは、この竿に添え木のようなものをかけてそれを支えている男がひとり、もうひとりこれは縄のようなもので竿を巻き付けている男がいることである。ひとりの男が頭で支えているのを、両サイドから支えるアシスタントが描かれていることから、実際にやっていた芸を描いた可能性が高いと見た。
 その下には一人の同じように大柄な男が、上半身裸で土台になり、両肩にふたりの人間を載せ、さらにその人間の肩に二段重ねの人間が載るという「人間ピラミッド」の芸が続く。ここで描かれている芸も、絵空事ではなく、リアリティがある。そしていまでも見ることができる芸である。
 このあとに続く三番目の芸は、また竿芸で、これも上半身裸の屈強な男(胸のふくらみがちょっと気になるのだが、男であろう)が頭上で支える竿の上で、四人の男たちが芸を披露している。この竿は、一番目の竿とはまた違う道具で、てっぺんには把手の代わりに、台が置かれ、その上で演者が座ってポーズをとっている。以前紹介した竜ヶ崎のつく舞の柱のてっぺんにあったものとほぼ同じ形状である。
 そして最後のサーカス芸は、6つの玉を操るジャグリングであった。
 気になったのはこの演者たちがどこの人たちなのだろうかということだ。この墨絵弾弓図は、おそらくは他の正倉院の宝物と多くと同じように中国から伝わったものであろう。これが制作された時代の中国で演じられていた散楽を描いたものと見てまちがいない。しかし当時中国で、アジア各地から芸人たちが集まり、皇帝主催の雑技大会などでその芸を披露していたことを考えると、必ずしも中国人であったとは限らない。竿芸や人間ピラミッドで支える演者は、上にいる演者たちと比較すると、かなり大柄に描かれている。竿芸のルーツとなる土地を特定するときのなにかのヒントになるかもしれない。
 ジャグリングはともかく、他の芸はかなりレベルが高い。特にふたつの竿芸は、それぞれちがう道具をつかっていることからも、その当時すでに竿芸自体が、熟成されたものになっていたことをうかがわせる。やはり以前この連載で紹介したキエフのソフィア寺院の壁画で描かれている竿芸とは比較にならない高度の芸である。
 そしてこの複製の隣に、いよいよ本物の弾弓が置かれてある。まずはその小ささに驚く。長さが160センチ、そしてその幅がなんと2.9センチしかないのである。ガラス越しに立ち止まって見つめる観客は一様に、よくこれだけ細い幅の中に描いたものだと感嘆の声をあげていた。図版だけでみるのと違って、たとえガラス越しから見るだけで手にとって見れないとしても、いま目の前にあるのは、千年以上まえに描かれたものそのものなのである。部分的にではなく、こうして全体として見ると、まったく違う印象になる。古代の宴が、すぐそのまま飛び出してきそうな、それだけ芸能の場が生き生きとここには描かれていた。なんと美しいのであろう、思わずため息が出てくる。
 いつまでもこの場に居たかったのだが、さすがにこれ以上ここに立ち止まっているわけにはいかない。人はどんどん増えてきている。後ろ髪をひかれるような思いでその場を去り、あとの展示物にはほとんど目もとめず、出口へと向かった。グッズコーナーできっと墨絵弾弓図の絵はがきが売っているだろうと思ったのだが、最終日ということもあって、残念ながら売り切れ。カタログだけを購入して、近鉄奈良駅に向かった。
 久しぶりの奈良で、せっかくだからあちこちまわりたいところだが、そろそろ姫路へ向かわなければならない時間になった。

 墨絵弾弓図は、シルクロードを往来していた芸能の民たちが演じる散楽を生き生きと描いたものであった。それをシルクロードの終点奈良で見ることができたことに、心は満たされていた。サーカスとシルクロードという広大なテーマに向かう大きな弾みができた。そしてそこで描かれていた芸が、このこの連載の初回でとりあげた「つく舞」とも関係のある竿芸であったことになにか因縁のようなものも感じる。

 相変わらずのスローペースで進むこの連載であるが、前回予告した武帝主催の雑技大会のことに入る前に、次回ではこの「墨絵弾弓図」に言及しているさまざまな文献を読みながら、もう少しこの絵のことを掘り下げてみたい。


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