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クマの読書乱読 2001年11月

『20世紀を越えて−再審される社会主義』
著者 加藤哲郎
出版社 花伝社

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 本HPともリンクさせていただいている「加藤哲郎のネチズン・カレッジ」主宰の加藤氏の最新刊。
 9月に起きたNY同時テロ事件は、ミレニアムだ、21世紀の開幕だと浮かれていた我々に、強烈な衝撃を与えた。時代は一挙に世紀末的状況になったといっても過言ではないかもしれない。
 20世紀という時代を総括しないまま、ソ連の解体、社会主義国の自由化という歴史的事実の前で、アメリカに代表される資本主義が勝利したという幻想が、そのまま肥大化したときに、あの事件が起きた。イスラム対キリストとかいう対立構図ではなく、貧と富との対立が根底にあるのだと私は思う。
 社会主義、あるいは共産主義が生れた背景には、みんな平等に生きる権利があるはずだし、富を平等に分配しようという理想があったはずだ。それがレーニン、スターリンに受け継がれる間に、理想の松明は消え去り、粛清で血塗られた醜い社会主義国家が、官僚主義で牛耳られていったその過程を、ソ連の崩壊という事実だけで検証し終えないまま、見過ごしたことの反動が、いま起きているのではないだろうか。そんなことを思わされた一冊だった。
 社会主義を「二十世紀をいろどる重要なサブカルチャーであった」と捉える加藤は、本書の中で、社会主義の検証と、20世紀を越える理念として社会主義の本来根っこにあった部分を見つめなおし、『「20世紀社会主義」の遺産を引き継いで、その遺骸と墓標を乗り越えて、その反面教師』とすること、そして「国境を越えた民主化」こそが、人類の第三ミレニアムにサバイバルする道であることを説いている。
 本書は「第一部 民主主義の永続革命」「第二部 社会主義=共産党神話の再審」が骨格となっている。一部でグラムシを中心にして、社会主義の再検証を試みながら、20世紀を越えた永続民主主義革命の必要性を説いた加藤は、社会主義の最大の負の遺産といえる粛清にメスを入れる。その視点は、モスクワで粛清された日本人たちに定められている。社会主義の理想を追い求め、ソ連に入り、粛清という地獄に追い込まれたこうした無名の人々の足跡(このなかには『デラシネ通信』でも連載中のサーカス芸人ヤマサキも含まれる)をたどることは、社会主義の残酷さをだけでなく、その犠牲となった人々の善意の志の深さも浮き彫りにする。善意の人々の墓標をいまここに建てようとする加藤の執念に、これを乗り越えない限りは、永続民主主義革命も実現できないという強い意志を感じる。


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