月刊デラシネ通信 > その他の記事 > 今週買った本・読んだ本 > 2004年5月25日

今週買った本・読んだ本 5月25日

『ロシア漂流民・ソウザとゴンザの謎−実証・映像小説 サンクトペテルブルグの幻影
著者 瀬藤祝
出版社 新読書社
定価  2500円+税
発行 2004年4月
購入の動機 書評を乞うということで、出版社から贈呈される

Amazon.co.jp アソシエイト


 ゴンザファンクラブが、以前からゴンザをテーマに映画をつくろうと、運動を展開していたことは知っていた。当石巻若宮丸漂流民の会が、展示会を開きたいというのとはスケールがちがう。映画をつくるとなると、莫大な経費がかかる。その後この運動がどうなっているのかは、知らないのだが、この書はこの映画をつくろうとした制作者、グループ風土舎の代表で映画監督の瀬藤氏が書いた脚本といっていいだろう。ただ氏があとがきでも書いているように映画にならない脚本というのでは面白みがない、いわば映像小説なものをということで生まれた小説である。仕立ては脚本なのだが、随所に映像が浮かび上がるシーンが見られる。

 それにしてもかなり大胆な小説ということができると思う。まずソウザとゴンザは実の親子という設定になっていること(ただこの事実はゴンザが知らないことになっている)、さらにはソウザの出自については、帰化した中国人を先祖にもち、琉球との貿易をしているというように、したたかなな一面をもつ人間として描かれている。漂着してロシアに来てからの話もいかにも映画的に、アンナ・イワノブナ時代を背景に、近衛兵の将校や、旅芸人、さらにはかつて漂流し、ペテルブルグに連れられてきたサニマの妻となる女郎のニーナなど、魅力的な人物が配置されている。
 ゴンザとソウザについては、日本側にほとんど資料が残されておらず、出自も含めてほとんどが謎につつまれている。井上靖や吉村昭の小説になった大黒屋光太夫とは、そこのところがまったくちがう。わずかな手がかりはゴンザが編纂したことになっている辞書しかないといっても過言ではない。その意味で、小説にするには、大胆な推理と、想像力を縦横無尽に駆使した本書の手法は、ゴンザとソウザを主人公にした時のひとつのかたちであろうと思う。
 ただ想像や推理で生み出された周辺の人物が魅力的なぶんだけ、ゴンザ、そしてソウザの人間像が、いまひとつ浮かんで来ないような気がした。
 ゴンザファンクラブの創設者のひとり、吉村治道さんが、ゴンザに賭ける思い、それはあんな年若い少年が幾多の困難を経て、ロシアへ渡り、そしてそこでロシア語の辞書を編んだこと、そしてあまりにも早く亡くなってしまったことへの痛切な愛着であろうかと思う。そうしたゴンザへの思いを、どう生かすかというところをしっかりとテーマにしたほうがいいのではないかと思った。
 歴史上の庶民をどうすくい上げて、そしてどう描くかという問題の難しさをあらためて感じながら、読み終えた。いつの日か善六を、誰か小説にしてくれないかなと思っているのだが、やはりここのところが問題になるのだろう。


目次へ デラシネ通信 Top 前へ | 次へ