月刊デラシネ通信 > その他の記事 > クマの観覧雑記帳

クマの観覧雑記帳

ふくろこうじのパフォーマンス

 先日幕を閉じたプラコメで、最も伸びたパフォーマーのひとりにふくろこうじがいる。
 クラウンカレッジジャパンの三期生、どちらかというとプラコメのメンバーのなかで目立たない存在だったこうじのことが気になりはじめたのは、ちからと組んだ「忘れな草」を見た時からだった。ゲイのふたりの愛情の機微を、センスティブな音楽(この音楽のセンスがまたこうじの魅力でもある)をバックに、リリカルに、そしてコミカルに描いたこのコントは、ダメじゃん小出の電車おたくのネタと共に、プラコメが生んだ最大傑作といってもいい。
 こうじと小出のふたりは、狂気を宿す笑いを見せてくれた数少ないパフォーマーであった。毒と狂気は、日本の笑いに一番不足しているものだといえる。
 ちからとのペアだけでなく、こうじは、ひとりで演じるコントもつくっていった。
 彼のソロの傑作のひとつに、「辻君」がある。
 これはつくりものの手をつかい、人の1・5倍ぐらいある手をもったがために、みんなからいじめられてしまう気弱な男を描いたコントだ。この義手という道具をつかったことで、こうじは大きく脱皮し、あらたな表現を見つけたと思う。
 2月の「プラコメ5Days」で、こうじは謎の球体をつくり、その中に入って不思議なパフォーマンスを見せてくれた。
 「僕はずっとこれがやりたくて、クラウンカレッジに入ったようなものです」と言っていたが、まだ完成とはいえないまでも、非常に可能性を感じさせる作品だった。
 謎の球体は、身体がすっぽりと入るぐらいの大きさで、いくつか穴が開いていて、そこから頭や、足、手を出したり、入れたりしながらをクラズマーの音楽にあわせて、繰り返すというこのパフォーマンスのアイディアに、まず驚いた。
 オーソドックスなクラウニングのひとつに、もの(スプーンとかひもとか、箱とか)を使って、そのもの本来の機能を逸脱させながら、遊ぶというのがある。
 ここでのこうじのクラウニングのオリジナリティーは、具体的なものを使うのではなく、謎の球体という抽象的な物体をつくったということにある。おそらくこれをつくった時点で、こうじは「ヤッター」と思ったに違いない。
 ただこのオブジェを発見、マイムと組み合わせるということのアイディアに自分自身感動してしまった、そこでとまっているということは言えるかもしれない。この物体とこうじが遊んでいないのだ。
 こうじの話だと、このオブジェを作ったとき、家で彼の子供たちが異常に興味もち、中に入ろうとして、本番前に壊されては大変だと、やめさせるのに苦労したいうことだが、ここにひとつのヒントがあるような気がする。
 子供たちはこの奇怪な球体に興味をしめし、遊ぼうとしていた。どんな風に子供たちが遊ぶのか、観察することで、もうひとつ別な発見ができたかもしれない。
 オチをつくるのは、あとでいいので、徹底的にこの謎の球体で遊んでみる、そこから何かが生まれるように思える。
 プラコメの最終公演で、こうじは今度は、球体ではなく、段ボールを使って、マジックでいうジグザグを利用した、パフォーマンスを見せてくれた。これも面白かったし、可能性を感じさせてくれた。
 段ボールは、ありふれたモノである。それをありふれたモノではなくしたのは、こうじが演じたマイムであった。おそらく観客は、段ボールというモノではなく、こうじの演じるマイムに注目したはずだ。そして謎の球体の時は、観客は球体の方に目がいったはずだ。
 謎の抽象的な物体と、具体的な段ボールと両方つかうことで、見せ方が随分と違ったことを、こうじ自身がわかったのではないかと思う。
 遊び心、幼児性、狂気はどこかで結びつくはずだ。
 論理的に笑わせるのではなく、不意に笑わせる、これがクラウニングといえないだろうか。道化、クラウンにとって、いちばん大事なことは、難しい言葉でいえば「逸脱」、はずすということではないかと思う。
 こうじは、いまものをつかう、つくるというところで、クラウニングの本質に近づいているように思える。
 徹底的にものをつかって遊ぶ、そこからもっとディープなクラウンの世界が開ける、そんな気がする。
 ちょっとマークしておいて、いいパフォーマーだと思う。こうじは・・・


目次へ デラシネ通信 Top 前へ | 次へ