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2005年6月21日
ミュージックホール、ヴァリエテ、18世紀後半から都市文明の成熟とともに発展
(→資料)
最初のキャバレー「黒猫(シャ・ノワール)」1881年パリのモンマルトルで誕生
小唄や詩の朗読、シャンソンが中心となる、諷刺がテーマ
短命に終わる、このあとモンマルトルはピカソをはじめとするアヴァンギャルドの時代へ入る。
「黒猫」の名声を利用して、「ムーラン・ルージュ」や「カジノ・ド・パリ」など商業主義的なショー小屋が発展していく。
(→資料)
作家エルンスト・フォン・ヴォルツォーゲンが、ビーアバウムの理念をもとに、1901年にベルリンに「ブンテス・テアター」別名「ユーバーブレットル」を開設する。
ヴォルツォーゲンの司会、シャンソン、朗読、寸劇、影絵芝居、小話などからなるプログラム
この後、さまざまな志向をもったキャバレーがいろいろな都市に生まれていく。
音楽 ウテ・レンパー「ベルリンキャバレーソング」から
ビデオ(1) 映画「キャバレー」のオープニングシーン
ビデオ(2) 映画「ヴァリエテ」(1925年)から
ヴァリエテについて
この映画に主演したエミール・ヤニングスについて
ハインリヒ・マン原作の「ウンラート教授」の映画化した『嘆きの天使』にも出演
ロシア最初のキャバレー(エストラーダ)「蝙蝠座」について
1908年モスクワ芸術座の地下室で生まれる(ニキータ・バリーエフ)
ロシアのカバレットは、演劇の新しい動きと呼応する
アレクサンドル・クーゲリとニコライ・エブレイノフ「歪んだ鏡」(1908年)
エブレイノフについて
メイエルホリドの演劇スタジオ(ドクトル・ダベルトゥットをなのる)と「見世物小屋」(→資料)
「ルコモーリエ」から「幕間劇の館」
コメディア・デラルテやファルスなどを上演、実験がくりかえされる
雑誌「三つのオレンジへの恋」の発刊
メイエルホリドの論文「見世物小屋」について(1913)
林達夫と久野収「思想のドラマトゥルギー」についても
「野良犬」(1911)
ボリス・プローニンが支配人(幕間劇の館の支配人)
ここでガルサーヴィナが踊り、フォルマリストのシクロフスキイが「言葉の再生」についての講演をする。1912年には「マリネッティ週間」が催される。
ここを舞台にマヤコフスキイら未来派が、詩を朗読。ロシア未来派の出発点となる「社会の趣味への平手打ち」という宣言文が読み上げられる。
「野良犬」のちに「喜劇役者の休憩所」と名前をかえる。ここでマヤコフスキイ「パイナップルを食らうがいい」という有名な詩を朗読する。
メイエルホリドもここの芸術監督になる
ブレヒトとクルト・ワイルの「三文オペラ」について
キャバレーが出発点となる
黒テント「赤いキャバレー」について
カウンターカルチャーとしてのキャバレーの可能性
市川の「サーカスレストラン」について
パリで見た「アラジン・パレス」の衝撃
バブル時代、さまざまなカバレットの話しが舞い込む
バブルの崩壊、「サーカスレストラン」の閉店
ドイツで「ゴッシュ」と出会う。
ビデオ(3) 「ゴッシュ」プロモーション
planBでの「planBコメディーナイト」を立ち上げる
ゴッシュのようなものを日本でやりたかった
梅津和時と巻上公一との出会い
「カバレットチッタ」へ
ビデオ(4) カバレットチッタ
シカラムータ・大熊ワタルとの出会い
空間についてのこだわり、東京キネマ倶楽部を見て、インスピレーション
2年前に閉館した映画館かもめ座との出会い
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