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『神彰−幻を追った男』

第三部 赤い呼び屋の誕生
 第五章 侍たちがやってきた

ふたりの侍の登場
神が消えた!?

文中、「AFA」とあるのは「アート・フレンド・アソシエーション」(神が設立したプロモーション会社)の略です。

ふたりの侍の登場

 ドン・コサック合唱団が、日本全国を公演している最中、のちにAFAの屋台骨を支えるふたりの男が、相次いで入社していた。
 木原啓允と石黒寛である。
 木原は、東大文学部卒業の現役共産党員、石黒は、ハルビン学院出身ロシア語の達人、シベリア抑留から戻ってきたばかりだ。
 長谷川や岩崎が夢中になっているドン・コサックのあとのことを見据え、神は次なる準備を整えていたのである。
 木原が入社したきっかけは、詩人仲間菅原克美の紹介であった。新宿柳町に事務所が移転してまもないころ、木原はここを訪ね、初めて神と面会する。
 当時事務所は社員のほとんどがドン・コサック公演のため地方に出払い、経理の女性と、元満鉄職員宇津木、運転手竹中がいるだけで、ガラーンとしていた。
 詳しくは後述するが、当時木原は、メーデー事件で警視庁から逮捕状が出され、三年間逃亡生活をおくっていた。週刊誌の仕事でも紹介してもらおうと菅原に相談したところ、どういうつてがあったのか知らないが、AFAを紹介されたのだ。
 この時木原は神に正直に、自分が共産党員であることを告白している。
 「東大出て、共産党じゃない奴はいないじゃないの。明日から来てくれ。日給500円。宇津木君の下で働いてくれ」と、神は木原に告げたという。木原はこうして、AFAに入社することになった。
 思いもかけない好条件に、最初は驚いた木原であったが、しばらくの間約束された日給は、払われなかったし、神自身も、払う様子がまったくなかったのに、話しが違う、騙されたかと思った木原は、宇津木にこれ以上金が貰えないのなら、もう辞めると言い出す。

「慌てないことだ。もう少し待つことだ。とにかくいまにがっぽりと儲かるはずだ」と、宇津木は木原を宥める。宇津木の話しでは、いま公演しているドン・コサックで、AFAは大金を得ることになっているという。
 興業の世界のことなど、まったく知らない木原は、そんなものなのか、どうせ他にあてもない身、しばらくはここにいることにした。
 まもなく木原の能力が遺憾なく発揮されるチャンスが訪れる。

 ドン・コサック合唱団日本公演が社会的なブームも巻き起こしたのは、東京、大阪といった大都市だけでなく、地方都市で公演を行ったことである。本物の芸術に飢えていた地方の人々に、ドン・コサックは熱狂的に迎え入れられていた。この地方公演の大成功は、大都市でしか興業が成り立たないと踏んでいた他の興業師たちに地団駄を踏ませることになった。しかし神にとって、この地方公演での成功が、大きな誤算、そして足かせとなったのだ。
 神は地方公演を新聞社の支局にその業務を委託していた。連日大入りが続いているのに、その精算業務が遅々として進んでいなかったのだ。しかも確かに切符は売れているはずなのだが、その金がまったく送られてこない。はじめて迎えた外国の一流音楽家を歓迎するあまり我を忘れて、無制限に切符の売上金で大盤ぶるまいをしているという噂も神の耳に入ってきた。これでは何のために苦労して、ドン・コサックを呼んだのかわからない。しかし自分が地方に出向いて、集金することになれば、なにかとトラブルも出てくる可能性もある。しかも精密さが要求される精算業務が自分にできるはずもない。神はここで、東大卒の木原を使ってみることを思いつく。神は、事務所でやることもなくブラブラしている木原に、地方に出向いて精算をすべて完了させて来いと命じた。
 これでやっと仕事らしい仕事ができるかと木原は、軽い気持ちで引き受けるが、これが実際は骨の折れる仕事となった。木原は全国20か所の公演地を回り、精算業務を行うのだが、残った切符を一枚一枚チェックし、切符の売上を計算、さらに経費を細かく算出する作業は、手間がかかった。大阪では、夜を徹しての作業となった。精算のやりかたを知らない新聞社の支局を相手に、木原は神経をすり減らしながらも、この仕事をこなしていく。
 共産党の書記をしていた木原にすれば、精算は別に難しい仕事ではない、出張から戻ったあと、詳細な精算レポートを神に提出する。神は、そのレポートを見て舌を巻く。いままで儲かったのか、損したのか判断さえつかなかった神は、収支が明確にわかる数字による興行レポートを見て、木原という男の底知れない力量を見せつけられる。木原が、神の全幅の信頼を得ることになったのは、この時からであった。木原は、影武者のように、神と共に興業という阿修羅の世界を歩くことになる。

神が消えた!?

 地方公演の精算が終わったあと、突然神は、新宿柳町の事務所から姿を消す。神に資金を融資した三和銀行、国内交通の手配をした、かつて神が満州時代世話になった日本交通公社、さらには一行が宿泊したホテル、ポスター、チラシやパンフレットを制作した印刷業者は、あわてふためく。公演は大成功に終わったはずだ、支払いを求め、連日のように会社を訪れる業者や銀行に対して、神は「雲隠れ」という手段で応じようとしたのだ。

 「5月21日、AFA事務所から、神の姿は消えた。三和銀行に対する未払い金千五百万円、交通公社、ホテル、印刷関係などの未払い金数百万円は、公演の不調を理由に引き延ばし、宣伝業者の請求約三百万円は約束不履行による不当請求として、AFAはこれを拒否する。その間、神の消息は、まったく絶えてしまった。国外逃亡説までとびだすありさまで、経済的責任のない毎日新聞を相手に、債権者の強制執行も話題になろうとしていた」(「旋風の興行師」『太陽』1958年1月号)

 実は、この時神は、経理の長尾、運転手の竹中、そして地方公演の精算を終えたばかりの木原と共に、帝国ホテルに籠城し、借金とりから逃れながら、全体の経費の流れを掌握しようとしていたのだ。
 三和銀行の車にいつも追いかけられるうちに、いつのまにかまくのを得意としていた運転手竹中の話では、この籠城は一週間続いたという。

 「毎日、会社には支払いを求める業者が来てたね。カモフラージュもあったと思うが、隠れちゃおうということだろうね。神は、損したと言っているけど、実際は儲かっていたはず。たぶん当時の金で一千万は儲かっていたと思う。でも支払いを延ばすための策略だろうね。神は、すでに次のことを考えていたのだと思うよ」

 こう木原はこの時のことを振り返っている。

 この帝国ホテル籠城事件は、神が企画力だけでなく、興行師としての才覚を遺憾なく発揮したことを物語っている。
 アイディア勝負の興行師には、資本などまったくないのと同じである。無から有をつくりだすこと、それが興行師の真骨頂である。そのため、生き延びるために手段を選ばず、支払いを無期限に延期するなかで、己の幻を実現する、そういった冷酷な判断が、神のなかにあったのだ。
 そして実際、この時神彰は、次に追い求める「幻」を確かに捉えていた。
 それは、ドン・コサックを流浪の旅に追いやったソ連という国の厚い鉄の扉をぶち破り、ドル箱と言われていた、ボリショイバレエ、ムラビンスキイのレニングラードフィルを呼ぶことであった。
 木原の入社後まもなくAFAに入社した石黒が、ある日イギリスのロンドンでおきたあるドラマティックな事件を、神に語った。この話しを聞いて、神の次のターゲットは、決まったはずだ。ロンドン公演を成功させたムラビンスキイ指揮のレニングラードフィルハーモニーを呼ぶこと、それが神の追う次の『幻』だった。

「昭和三十年春、ソビエト・ロシア政府は共産政府成立後はじめて鉄のカーテンを開き、エフゲニー・ムラビンスキー指揮のレニングラード交響楽団を、ロンドンの国際芸術フェステバルに送った。自由主義圏での初の演奏である。待ちうけた聴衆の胸中は、共産主義政冶下での芸術活動は政冶臭の色濃いものになるに違いないと予測しながら耳をそばだてていたのである。チャイコフスキーの交響曲第六番を奏でたオーケストラの旋律は、スラブ民族のもつ物憂い北国の憂愁を背景に、萌えさかる短い春の歓喜を描きつつ、重厚な人生の叙事詩を語らい、ロシア人の心を唱いあげた。古都ペテルスブルグの匂いすら感じられるほどの高感度な演奏は、聴衆の思惑を完全なまでに裏切ってしまったのであった。しかも、その聴衆たちを、かつてない香り高い夢幻の世界の虜にしてしまったのである。ときを超え、ところを異にしても、芸術の根源は瑞々しく生きつづけていることに聴衆は気づいて、感応したのであろう。ムラビンスキーのタクトが降ろされるや、堰を切ったようにアンコールの拍手が捲き起こり、とどまることをしらなかったと伝えられた。その後、このレニングラード交響楽団が再び姿を現すことがなかったので、「幻」のオーケストラと噂されて世界の話題になっていたものである」(『幻談義』)

 まだ誰も開けていないソ連という鉄のカーテンの向こうからムラビンスキイ指揮のレニングラードフィルを呼ぶこと、それがドンコサックのあと、神が追いかけるターゲットであった。
 何故ならばそれは、誰もが実現できないと思っていた『幻』だったからだ。
 神は、「鉄のカーテン」をこじ開けるという幻に向かって、突き進むことになる。


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