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週刊デラシネ通信 今週のトピックス(2000.12.10)
久保覚遺稿集刊行される

私をサーカスの世界に引き込んだ編集者故久保覚さんとの出会い、
そしてサーカス学をつくるために

 久保覚さんが、心筋梗塞で亡くなって二年になる。
 先月『収集の弁証法−久保覚遺稿集』、『未完の可能性−久保覚追悼集』と題された、遺稿集が刊行された。遺稿集のなかには、「ある動物使いの肖像−ドゥーロフたちのこと」、「百戯の道−シルクロードとサーカス」というサーカスに関するふたつの論考も含まれている。これはいずれも、1981年に出された『別冊新評−特集サーカスの世界』で発表されたものである。
 このサーカス特集の中で、私も『道化師群像−道化師の世界史』と題したエッセイを書いている。これは『月刊デラシネ通信』で掲載しているが、この前書きでも書いていたように、私にとっては最初に活字になった思い出深い原稿でもある。
 そしてまだこの時さほどサーカスや道化師に関心がなかった私に、道化師について書いてみないかと言ってくれたのが、他でもない久保さんだったのである。
 久保さんは、サーカスの世界に踏み入れる最初のきっかけを与えてくれた人だった。


 私が久保さんと初めてあったのは、いまから20年前、サーカスの呼び屋の会社に入って2年目の頃だった。ちょうどその頃久保さんを中心に、メイエルホリド全集をつくる企画が進んでいた。大学時代にメイエルホリドを卒論にとりあげていた私に、翻訳グループのひとりとして参加しないかと誘いがあったのだ。
 大学を卒業し、サーカスの呼び屋の仕事に就いて、大学時代にあれほど没頭していたロシア・アヴァンギャルドやメイエルホリドのことが、次第に遠のいていく、そんな焦りのようなものを感じていたとき、この仕事に誘われたことは、いま思うととても幸運なことだった。
 毎週一回荻窪の久保さんの家で開かれた、翻訳メンバーの研究会に参加し、久保さんや他の翻訳メンバーの話を聞くだけでも、大きな刺激になった。遠くへいってしまったと思ったアヴァンギャルドやメイエルホリドのことが、またたぐりよせられてくるうちに、仕事をしながらでも、研究を続けることはできるのではないか、そんな自信のようなものがわいてきた時でもあった。
 最初に会ったときから久保さんは、私がサーカスを仕事にしていることに興味ももってくれ、さかんに「サーカスはいいよね、サーカスは面白いよ、誰もまだ本格的にサーカスのことをやっていない、どう君もやってみない」と言ってくれた。
 ちょうどラザレンコという、メイエルホリドやマヤコフスキイと革命時代に仕事をしていたロシアの道化師の伝記を読みはじめていた私には、久保さんの言葉は、大きな励みとなった。
 この研究会に参加してから半年ぐらい経った時、久保さんの責任編集で『別冊新評』でサーカス特集をすることが決まり、道化師のことを書かないかと声をかけられることになる。いま思うとこれが、私のライフワークのひとつ、サーカスや道化師のことを調べるきっかけになったのだと思う。
 ふたつ返事で引き受けた私には、ラザレンコとアヴァンギャルドのことを書けばいいかなという目論見があった。早速ラザレンコとアヴァンギャルドについて原稿を書き、久保さんのところに持って行った。原稿に目を通した久保さんは、「ラザレンコのことは読者は、誰も知らない。まず道化師がサーカスの中でどうして生れたのか、どんな道化師がいたのか、それをきちんと書かないとだめじゃないかな、まず道化師の世界史のようなことを書いてみる必要がある」と意見を言ってくれた。
 道化師の世界史といっても、どんな本を読んでいいかかいもく見当がつかない、ラザレンコのことしか頭になかった自分には、この課題はあまりにも重すぎる、とてもそんなことを短い時間で書けるわけがないと、途方に暮れていた気持ちを見透かしたかのように、久保さんは「大丈夫、できるはずだ、サーカスの道化師について書いた本を何冊かもっているから、それを読んでみたら」と、書棚から3〜4冊本を出してきて、私に渡してくれた。それはすべて英語で書かれた本ばかりだった。
 エッー、英語で読むのと、また奈落に突き落とされたような気分になってしまっていたのだが、ここで断わるわけにもいかず、この日は、返された原稿と洋書を持って家に帰った。
 また一からスタート、辞書をひきつつ、渡された本の中で、サーカスの道化師に関するところを読むことからはじまった。この経験が私にとっては、とても大きかったといまになってしみじみ思う。グリマルディー、グロック、フラテリーニ、ドゥーロフなどサーカスで活躍した道化師の生きざま、その芸の中身を知るにつけ、まるでいままで知らなかった世界が現れ、すっかり夢中になってしまったのだ。
 やっと原稿を書き上げ、深夜久保さんの家にそれを持って行った。当時私も荻窪に住んでおり、久保さんの家までは歩いて15分ぐらいでいけた。締切りを目前に控えて、久保さんも徹夜が続いていたようで、目をしばしばさせながら、原稿を読んくれた。読み終わり「いいじゃない、タイトルは道化師群像にしよう」と言ってくれた。
 うれしかった。いまでもあの時のことは忘れられない。
 このエッセイを書いたこと、それも道化師のことをいろいろ調べながら、夢中になって書いたことが、いまでは大きな財産になっている。なによりも、これを書いたことによって、自分はサーカスや道化師の世界に大きく足を踏み入れることになったのだから・・・


 あれから20年、いま自分にとってサーカスや道化師の世界は、文献の検証、研究というよりは、現場のこととしてあまりにも身近な存在になっている。ただこの経験は無駄にはならないと思っている。
 『別冊新評』には、久保さんが司会となり、尾崎宏次さん、岩井善一さんの三人で「蘇れ!サーカス 興れ!サーカス学」と題した座談会も掲載されている。この中で久保さんは、「これからきっとサーカスの研究者が若い人に出てくるでしょう。本格的なちゃんとした研究が出てくる可能性はこれからはあると思います」と語っている。
 「道化師群像」を書かせてもらって十年後、私はあの時気になっていたラザレンコとロシア・アヴァンギャルドのことを中心にまとめ、『サーカスと革命』という本を出した。この時久保さんにも本を送ったのだが、なんの感想も聞くことがなかった。久保さんは、この本のことをどう思っていたのだろうと、いまでも気になっている。何の返事もくれなかったということは、まだまだ内容が薄っぺらだと思っていたのではないだろうか。サーカスはもっとグローバルに捉えられるはずだと、思っていたのではないかと思う。
 モンゴル、カザフ、ベトナム、中国、いろいろな国のサーカスを呼んで、またいま韓国のチュルタギ(綱渡り)をやろうとしているいま、久保さんがサーカスに託した思いを実現できるのは、自分しかないという気になっている。
 「別冊新評」で発表された論考『百戯の道−シルクロードとサーカス』は、サーカスの歴史を東西交流というグローバルな視点から捉えようとした意欲的なサーカス論である。この論考を久保さんは「いわば東洋のサーカスの歴史をふくめた本当のサーカスの世界史は書かれていない。西南アジアまでもとれば、世界のサーカスはじつは共通のルーツをもっているということになるかもしれないのである。わたしは、まだだれも書いていない本当のサーカスの世界史をいつか書きたいと思っている」と締めくくっていた。
 未完に終わった久保さんのこの夢を実現すること、これはもしかしたら私の仕事なのかもしれない。もちろんひとりで背負うことはできない、久保さんのひとつの方法論であったように、共同作業のなかでしかできないはずだ。その音頭とりにはなれるかもしれない、この遺稿集を読みながらそんなことを思っている。


 この久保覚の遺稿集の内容は、下記の通りです。一般の書店では取り扱っていないので、申し込みは直接出版元の影書房にしてください。限定600部のみの販売です。

『収集の弁証法−久保覚遺稿集』
『未刊の可能性−久保覚追悼集』
久保覚(くぼ・さとる)1937〜98年。編集者・文化活動家・朝鮮芸能文化史研究。『新日本文学』編集長(1984〜87年)。『花田清輝全集』(講談社)編集。91年より、生活クラブ生協連合会発行《本の花束》編集協力者。自由創造工房、宮澤賢治講座、群読(ひびきよみ)の共同制作などを通して市民の文化・芸術活動の理論化をめざす。編著に『仮面劇とマダン劇』(晶文社)、『こどもに贈る本』1・2(みすず書房)等。
【遺稿集の内容】
 収集の弁証法
 「半島」の舞姫−崔承喜論のために
 やっかいな芸術家−「故事新編」の思想
 花田清輝全集刊行の言葉
 広場の思想−バフチーンとロシア・アヴァンギャルド
 ある動物使いの肖像−ドゥーロフたちのこと
 書評『ベルトルト・ブレヒト演劇論集』
 仕掛人の弁−『可能性としての芭蕉』跋
 朝鮮賎民芸能のエートス−流浪芸能集団「男寺党」をめぐって
 市と芸能
 百戯の道−シルクロードとサーカス
 小野二郎よ、安らかに眠れ!
 反撃と綜合
 空間のざわめき
 アンゲルス、ノーヴス−−三木卓について
 岡本太郎・この人を見よ!
 天使の部屋のなかで
 RichesからWealthへ
 根底に向かってのある小さな試み−モリス・ワークショップの〈経験〉から
 群読の意味
 文化戦線の形成にむかって
 響存芸術のために−可能性としての〈語り〉をめぐって
 点字で書かれた人と犬への手記−佐々木たづ『ロバータさあ歩きましょう』
 コンピアントの精神−−『種子を粉にひくな−ケェテ・コルヴィッツの日記と手紙』
 〈水晶の精神〉のメモワール−ルイーズ・ミッシェル『パリ・コミューン』
 アイルランド文芸復興の母−『グレゴリイ夫人戯曲集』
 先駆的アイルランド文学紹介者の最後の書−片山廣子『燈火節』
 愛、そして詩的想像力への生きた讃歌−アントニオ・スカルメタ『イル・ポスティーノ』
 打ち砕かれた心と生の回復のために−ジュデイス・L・ハーマン『心的外傷と回復』
 〈絶筆〉21世紀への投瓶通信(上)−−ローザ・ルクセンブルク『ロシア革命論』
 久保覚略年譜
【追悼集執筆者】
武井昭夫・佐藤秀樹・三木卓・定村忠士・有働薫・武井美子・津野海太郎・福島紀幸・阿藤進也・田窪清秀・上甲まち子・高良留美子・木下昌明・藤田省三・小林祥一郎・松本昌次・前囲耕作・桑野隆・宇波彰・高橋悠治・任秋子・萩京子・及部克人・山登義明・冨山妙子・白須洋一・滝正志・野呂修次郎・小松礼子・谷川道子・斎藤文一・薄井清・三宅一郎・油谷良清・成沢富碓・田美佐子・大島信子・市橋秀夫・徳永卓也・立島文香・中西新太郎・首茂田宏・清眞人・田村伴子・小松州満子・及部陽子・桔川純子・片岡敏郎・大橋省三・中曽根聡・浜口勤・葉山登・葉山澄子・安保文美子・佐藤緒・鶴岡真弓・得丸久文・佐藤まゆみ・林健・永野澄・花岡曝吉田和子・川口泉・小松百合子・斎藤たきち・岡本敏子・加藤敬事・岡本有佳・立石喜久江・古川幸子・里見実・徐京植・鄭信子・小松厚子
2000年11月12日刊行/四六判並製函入318頁・342頁/頒価5,000円 
久保覚遺稿集・追悼集刊行会編集・発行/影書房発売
申し込み先・影書房
      東京都北区中里2−3−3久喜ビル403
      tel O3−5907−6755   fax 03−5907−6756

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