サーカスと革命-道化師ラザレンコの生涯-
サーカスは陽気なサナトリウム!
20世紀初頭、ロシアは革命という大きな激動の中にあった。
この時期に、「赤い道化師」と呼ばれ、煽動者として革命の先頭に立ち、民衆の絶大な支持を受けたサーカス芸人ヴィターリイ・ラザレンコ。 〈行為における詩人〉として生きた道化師の生涯を丹念に追い、メイエルホリド、マヤコフスキイら同時代芸術家たちとの実験的・挑発的ないとなみと、革命期の見世物小屋にこだました歓声と呵呵大笑を、臨場感に富む筆致で描き切る。
当時ロシアを巡業した日本人曲芸師「タカシマ」や「カマキチ」らの謎につつまれた足跡も追う。
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目 次
プロローグ 一九八九年春、マヤコフスキイ広場
第一章 革命と道化師
一 黄色いジャケットと道化師
世界ではじめて象三頭を跳び越えた男/ドンバスの坑夫の息子/道化師の最初のレッスン/ドゥーロフとの出会い/ニキーチン・サーカスと契約する/未来派とサーカス/カメンスキイとラザレンコ
二 それぞれの二月
一九一七年二月、ペトログラード/革命へのジャンプ-ラザレンコの二月/革命と道化師
三 サーカスの家
〈サーカスの家〉の誕生/テオ・サーカス課/ルナチャルスキイとラザレンコ/メイエルホリドのモスクワ帰還
第二章 メイエルホリド、マヤコフスキイとともに
一 『ミステリア・ブッフ』の上演
メイエルホリドからの誘い/革命祝祭劇『ミステリア・ブッフ』/サーカスの壁のなかのミニアチュール/『ミステリア・ブッフ』の大成功
二 詩人と道化師
パイナップルと赤かぶ/〈ロスタの窓〉と『ソビエトのアルファベット』/『階級闘争世界レスリング選手権』
三 前線へ
アジ・サーカス結成/一九一八年-南方戦線へ/道化師軍団のなかで
第三章 サーカスは陽気なサナトリウム
一 ラザレンコの孤立
モスクワを遠く離れて/ルカヴィーシニコヴァとの闘い/詩集『メーキャップの染み』
二 道化のモンタージュ
『賢人』を観る/『賢人』のなかのサーカス/エイゼンシュテインとサーカス
三 セルジュと〈四匹の悪魔〉
生粋のサーカス芸人セルジュ/〈四匹の悪魔〉誕生/革命とセルジュ
四 一九一九年、ペトログラード
酷寒と餓えのなかで/新世代の登場
五 演劇のサーカス化
演劇とサーカスの融合/『最初の酒つくり』
六 民衆喜劇座のサーカス喜劇
民衆喜劇座の誕生/ラドロフと民衆演劇/『死の花嫁』と『猿は密告者』/『スルタンと悪魔』と日本人曲芸師タカシマ/タカシマ伝説/海を渡った日本の芸人/民衆喜劇座の解散
七 フェクスの冒険
エクスツェントリズム演劇/『結婚』で演じるセルジュ/サーカスとアヴァンギャルド
第四章 最後の闘い
一 劇団〈青シャツ〉
辺境の旅人/〈生きた新聞〉から〈青シャツ〉へ/〈青シャツ〉とラザレンコ/若きユーモア作家とともに
二 『マフノ党』
蘇ったラザレンコ/『マフノ党』の成功
三 ロシア・アヴァンギャルドの最後の闘い
内なる敵を撃つ/『南京虫』とサーカス/ラップの猛威のなかで/『モスクワは燃えている』とマヤコフスキイ最後の闘い/アリーナへの憧憬
第五章 ラスト・ステージ
一 道化師最後の仕事
一九三〇年のラザレンコ/民衆の道化師/未完の道化師論
二 ラスト・ステージ
最後のパレード/道化師の死とメイエルホリドの逮捕
あとがき/文献一覧/索引
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書 評
- 「読売新聞」1990年4月30日 「アヴァンギャルドの挫折」
- 「産経新聞」1990年6月8日 萩原朔美「波乱に富んだ道化師の軌跡活写」
- 「日本経済新聞」1990年6月17日 「『民衆の芸術』生き生き再現」
読売新聞 1990年4月30日
振り返ってみれば、社会主義革命という二十世紀最大の実験は、ロシア・アヴァンギャルドの芸術が挫折した時からすでに終わってしまっていたといえよう。したがって、八○年代末に引き起こされた東欧での出来事は、挫折の後に出現した非合理な体制を変革しようとする動きだったと見ることもできる。
つまり、この間に東欧で起こった出来事を根拠にして、ロシア革命とその中で展開されたアヴァンギャルド芸術のすべてを、無にしてしまうようなことがあるとすれば、それはきわめて不幸なことだといわねばなるまい。むしろ、いまこそ三〇年代以降の霧が晴れて、ロシア・アヴァンギャルドのさまざまな可能性を再検討できる状態にあるといえる。「サーカスと革命」と題したこの本も、そうした展望を持った内容となっている、一言でいえば、この本は、ロシア・アヴァンギャルドが希望を持って展開された時代を生きた、サーカスの道化師ヴィターリイ・ラザレンコの評伝である。ラザレンコという人物を中心におきながら、著者は、革命期のロシアのサーカスというパフォーマンス全体が、アヴァンギャルド芸術とどのようにかかわっていったかを描き出そうとしている。
サーカスの持つエネルギーと自在な表現に、もっとも早くから目を向けたのは、未来派やアヴァンギャルドの芸術家たちであった。ラザレンコもまた、メイエルホリドやエイゼンシュテインらに出会うことによって、それまでの伝統的な芸から、新たな表現の可能性を自らのものとしていく。そして、アヴァンギャルド演劇と相互に影響しあうことになった。
しかし、サ一カスの持つ新たな表現の可能性と夢もまた、アヴァンギャルドが挫折していく中で、急速に封じ込められていった。これまでの日本におけるロシア・アヴァンギャルドの紹介には見られなかった視点からのアプローチだ。
産経新聞 1990年6月8日
芸術と芸能との境目が見えなくなっている。芸術の芸能化、芸能の芸術化とでも称したくなるような状況である。しかし、それでもこの二つのジャンル分けを決定的にしているのは、記録や評論の大小ではないだろうか。サーカスや大道芸について、どれだけの評論と記録が本屋に並んでいるか、演劇と比較してどうか。答えは歴然だ。クリティークの無いところにクリエイトは育たない。そう思う。ショーやレビューや軽演劇、サーカスなどを、今映像や文によって残し批評の対象にすべきだろう。
本書は、一八九〇年に生まれ一九三九年に没したロシアの道化師、ヴィターリイ・ラザレンコの生涯を、時代と人との対比の中に克明に追い続けている。日本でほとんど知られる事のない、この“赤い道化師”と呼ばれたラザレンコの軌跡を辿るのは、大変な作業であったろう。著者は、そうした困難さを承知の上で、革命期の中の人間と文化の関係を、サーカスから見た視点で書き留めかったのだ。芸術が芸能に目を向けたこの時期の出来事は、今も今日的な命題として継続しているテーマを含んでいる。そこに意味を認めたからだ。この問題は、未来派詩人カメンスキイのサーカスヘの傾倒ぶり、演出家メイエルホリドの演劇を「陽気な見世物」とし捕らえた方法論、タイーロフの俳優=軽業師論、エイゼシュテインのアクロバット訓練など、様々なエピソードの中に散見出来る。それらは芸術か芸能の中に未来を発見し、方法やスタイルを大胆に取り入れたプロセスである。このエピソードを読んでいる内に、現代の演劇やパフォーマンスなどに見られる「笑い」の傾向が、対立事項として浮かび上がってくる。そこが面白い。
つまり、道化師ラザレンコの波乱にみちた生涯を活写しながら、実は著者は、背景の時代と人物のエピソードから、たったひとつの事を主眼しているのである。それは、見せ物としてのサーカスの中にこそ、今一番表現行為の中で見落とされている重要なテーマが存在しているという事だ。身体を喪失した芝居、表面的な笑いの為の笑いをどう乗り越えるか。著者のサーカスヘの情熱は、最後にそこに着地するのではないだろうか。
日本経済新聞 1990年6月17日
スターリニズムが台頭する一九三〇年代までのソ連では、芸術運動の面でも新鮮な実験や創造が盛んに試みられていた。いわゆるロシア・アバンギャルドが美術、演劇、詩、建築、映画といったジャンルを超えて壮大な芸術運動を展開していたのである。
今年はこの時代の代表的な舞台芸術家、メイエルホリドの没後五十年、同じく代表的な詩人マヤコフスキイの没後六十年にあたり、社会主義リアリズムによって圧殺されていったロシア・アバンギャルドを再評価するには格好の年といえそうだ。
「サーカスと革命」はこの時代のサーカスの道化師、ヴィターリイ・ラザレンコの生涯を追いながら、サーカスを通じてロシア・アバンギャルドの芸術運動を展望しようと試みている。
ロシア・アバンギャルドの時代、サーカスは民衆の芸術として高く評価され、演劇の中にサーカスの形式をとり入れるなどの実験がメイエルホリドやエイゼンシュタインらによって盛んに行われていた。
ラザレンコは「赤い道化師」としてこれらの舞台やサーカスのアリーナに立ち、自ら笑われる存在だったサーカスの道化師を、権力や革命の敵に辛辣(しんらつ)な風刺を浴びせ、笑いとともに民衆をアジテートする存在へと変えていった。
ソ連のサーカス研究の最新の成果やラザレンコ自身の回想録などの豊富な資料をもとに、当時のサーカスの舞台芸術を生き生きと再現している。写真や図版も数多く収録されており、ロシア・アバンギャルドの青春期を俯瞰(ふかん)することができる。
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関連書籍
『サーカスと革命-道化師ラザレンコの生涯-』(新版)
大島 幹雄 著 / 水声社 / 2013年12月 / 2,800円(税別) / 272P / 四六判
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