粛清されたサーカス芸人 ヤマサキ・キヨシ
海を渡ったサーカス芸人というテーマを追ううちに、自由の代償として死を余儀なくされた者たちがいたという事実に遭遇することになった。スターリンの粛清の嵐が吹き荒れたソ連で銃殺されたヤマサキキヨシもその一人である。
記事一覧
- 粛清されたサーカス芸人ヤマサキ・キヨシ追跡
- 2011.12.01 公開
- モスクワで1937年に粛清されたサーカス芸人、ヤマサキ・キヨシ。彼の足跡を追って、1995年、私は彼の息子アレクセイに手紙を書いた――
- 第1回 アレクセイからの手紙
- 2001.03.29 公開
- ヤマサキ・キヨシの息子アレクセイから私のもとに届いた手紙を全文公開 。
- 第2回 アレクセイの回想
- 2001.05.02 公開
- ヤマサキ・キヨシの息子アレクセイに会いにナルフォミンスクに。父に対する複雑な思いをアレクセイはゆっくりと語りはじめた。
- 第3回 帰ってきた女芸人1-山根はる子「私のロシア放浪記」
- 2001.05.30 公開
- ヤマサキと一緒にロシアでサーカス公演したヤマダサーカスの一員山根ハルコの手記を紹介。
- 第4回 帰ってきた女芸人2-山根はる子「私のロシア放浪記」
- 2001.07.06 公開
- 山根ハルコの手記を紹介する第2回。ロシア革命の年、山根の夫・野口は身重の妻をのこして演技中に亡くなる。
- 第5回 帰ってきた女芸人3-山根はる子「私のロシア放浪記」
- 2001.08.05 公開
- モスクワの日本大使館にたどりついた山根��、日本人であることを証明するために、必死でカッポレを踊る。
- 第6回 シマダの悲劇1-シベリアのエトランゼ
- 2001.09.01 公開
- 1930年世界五大陸横断飛行の途中イルクーツクに寄ったパイロットの東善作は、ここであるサーカス一座の座長と会う。彼の名はドクター・シマダ。革命前からロシアにやって来たサーカス芸人だった。彼もまたスターリンの粛清の犠牲者だった。
- 第7回 シマダの悲劇2-シマダ・ブラザーズの悲劇(最終回)
- 2001.10.05 公開
- ロシアサーカスの伝説的な芸のひとつとして語り継がれている、シマダブラザーズの『究極のバランス』。ここに秘められたドラマを紹介。
- ヤマサキ探しの手がかり
- 2001.03.08 公開
- 公開したヤマサキ調書をもとに、ヤマサキキヨシの年表を作成。ヤマサキのルーツを探るヒントを洗い出す。(ヤマサキの写真あり)
- ヤマサキ探しの手がかり 旧版
- 2000.08.31 公開
- ヤマサキの写真あり
- ヤマサキ・ファイル
- 2001.01.18 公開 / 2001.02.26 更新
- ヤマサキ・ファイル公開について
- 2001.01.18 公開
- ドキュメント・レポート 粛清されたサーカス芸人-ヤマサキ・キヨシの尋問調書
- 2001.01.01 公開
- モスクワで粛清された日本人とヤマサキ・ファイル
- ヤマダサーカス団の謎
- 2000.08.31 公開
- 粛清されたサーカス芸人ヤマサキキヨシ
- 2000.08.14 公開
- 共同通信配信記事(1997年)