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週刊デラシネ通信 今週のトピックス(2001.01.18)
ヤマサキ・ファイル公開について

 1月1日からいままでの「加藤哲郎の研究室」から「ネチズン・カレッジ」へと大幅なHPの拡充改組をなさった加藤哲郎氏が、「2001年の尋ね人」としてヤマサキ・キヨシをあげ、情報を求めるページをつくっていることは、以前にも紹介したとおりです。
 これに歩調をあわすべく、加藤氏からお借りしたヤマサキ・キヨシの取調べファイルを『月刊デラシネ通信』で公開していきます。

 このファイルは、次のように大きく5つに分けることができます。

1.ヤマサキ本人の取調べ記録
2.ヤマサキのスパイ行為を証言した人たちの記録
3.容疑と裁定決定書
4.ヤマサキの犯罪を実証するための証拠書類
5.ヤマサキの名誉回復に関係する書類

 2.の証言がかなりの分量をしめています。電気修理工として幼稚園にやってきたヤマサキは世間話程度に、最近おこった工場の火災は、反体制クループの仕業ではないかということをここで話す、この場に居合わせた先生ふたりがこれを証言するほか、職場の同僚、親戚らの証言は、ヤマサキのスパイ容疑を固めていきます。
 ヤマサキ本人への取調べ自体は、そんなに多くありません。告訴する側が、はじめからヤマサキをスパイと決めてかかり、彼を尋問していくなかで、彼が日本人であること、しかも革命以前にサーカス芸人としてロシアへ来たこと、彼がある時期モスクワの日本大使館を訪ねたこと、反ソ的発言をして共産党を除名されていたことを巧みに聞き出し、それだけでソ連に潜入した日本人スパイであることを立証していくのです。
 市民レベルでのスターリン時代の粛清がいかにおこなわれていたかを、このファイルは克明に伝えてくれます。それだけでも読む価値があると思われます。

 ヤマサキ・キヨシという粛清されたサーカス芸人の足跡を追うという視点からこのファイルを読んでいくと、実際のところ謎だけがふくらんでいくだけです。
 日露戦争で戦死した海軍の将校を父に持つ彼が、なぜ5歳の時にサーカス団と共に、ロシアにやって来たのか、なぜ14歳の時にサーカス団から離れ、志願兵としてロシア軍に加わったのか、革命後モスクワで何をしていたのか、共産党に入党した彼が、反ソ的な発言をした背景は何なのか、実際のところ疑問だけがふくらんでいくのです。
 この謎ときに是非みなさんも加わってもらいたいのです。
 次号までに全ファイルを公開していきます。


ヤマサキ・ファイル       

ヤマサキ・キヨシについて何かご存知の方はこちらから是非お知らせください


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