沢田豊
『海を渡ったサーカス芸人-コスモポリタン沢田豊の生涯』という本を出したのは、一九九三年です。沢田豊という日本では全く無名のサーカス芸人の評伝を書くことができたのは、多くの人々との出会いによってでした。これについては、この『海を渡ったサーカス芸人』を読んでいただきたいのですが、ここでは簡単に沢田豊のたどった足跡を紹介したいと思います。
記事一覧
- 「地平線の群像-語り継ぐ破天荒人生-沢田豊・海を渡ったサーカス芸人」
- 2003.04.09 公開
- 国際協力事業団(JICA)が出している月刊誌『KAIGAIIJU(海外移住)』3月号に、連載「Iju Who‘s who」の第18回目として書いたものを転載します。
- 田伏記者の「日本人の足跡」を書き終えて
- 2001.05.08 公開
- 「日本人の足跡-沢田豊」を書いた産経新聞の田伏潤記者から寄せられた原稿です。
新聞社の支局勤務という激務をこなしながら、よくこれだけの記事を書いたものだと思います。田伏氏のこの馬力を支えたものを、エッセイ風に綴っていただきたいという無理なお願いを聞いていただきました。
- 日本人の足跡(86)-沢田豊(1886-1957)
- 2001.04.19 公開
- 2001年4月19日から産経新聞の産経Webに掲載された田伏記者の記事を転載。
- 第1回 サーカス芸人【天性のバランス感覚】喝采浴びた棒上頭倒立
- 2001.04.19 公開
- 付・コラム≪サーカス事情≫・沢田豊略歴
- 第2回 サーカス芸人【曲芸の原点は浅草に】軽業一座とロシア公演
- 2001.04.20 公開
- 付・コラム≪出国状況≫
- 第3回 サーカス芸人【運命的な契約】ドレスデンで注目の的
- 2001.04.22 公開
- 付・コラム≪サラザニ・サーカス≫・≪沢田豊・年表≫
- 第4回 サーカス芸人【トップスター結婚】興行先で得た生涯の伴侶
- 2001.04.23 公開
- 付・コラム≪ヴァリエテ≫
- 第5回 サーカス芸人【捕虜生活】逆境の中で新たな技習得
- 2001.04.24 公開
- 付・コラム≪横田一座≫
- 第6回 サーカス芸人【厳しい冬】戦火に砕かれた常設劇場
- 2001.04.25 公開
- 付・コラム≪年表≫・▽『日本新聞』と沢田
- 第7回 サーカス芸人【“故郷”で静かな終幕】半世紀ぶり夢の館復活へ
- 2001.04.26 公開
- 付・コラム≪年表≫・≪あとがき≫
- 「日本人の足跡-沢田豊」4月から連載へ
- 2001.03.19 公開
- 産経新聞の大型連載企画「日本人の足跡」で沢田豊がとりあげられる。
- 新・沢田豊物語-沢田豊を求める新たな旅のはじまり-
- 2000.12.14 公開
- 沢田豊を追いかける旅が終わったと思ったのは、息子のマンフレッドが亡くなったときだ。いまから6年前の1月のことである。亡くなる2週間前に、見舞いにドイツまで行った時、ゲッチィンゲンにある沢田豊の墓を初めてたずね、『海を渡ったサーカス芸人』をやっと書き上げたことを報告したことで、旅の終わりを予感していた。
しかし実際には、これで旅は終わらなかった――
- マンフレッド沢田について
- 2000.08.14 公開
- 沢田豊の息子マンフレッドとの出会いがなければ、評伝「海を渡ったサーカス芸人」は書けなかった。
- 海を渡ったサーカス芸人(NEC『コンセンサス』掲載記事)
- 2000.08.14 公開
- 幕末から昭和初期まで、数多くの日本人サーカス芸人が海を渡って世界中の観客を魅了していたことはあまり知られていない。
そんなサーカス芸人たちのなかで、最も数奇な運命を辿った男、沢田豊を紹介する。
NEC『コンセンサス』掲載記事。
- マンフレッド沢田について(サンケイ新聞掲載エッセイ)
- 2000.08.14 公開
- 明治32年に日本を飛び出してドイツで大成功を収めたサーカス芸人、沢田豊。彼の息子マンフレッドが、日本に帰る夢を果たせず亡くなった父の代わりに来日した――