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特 集
田伏記者の「日本人の足跡」を書き終えて

「日本人の足跡−沢田豊」を書いた産経新聞の田伏潤記者から寄せられた原稿です。
新聞社の支局勤務という激務をこなしながら、よくこれだけの記事を書いたものだと思います。田伏氏のこの馬力を支えたものを、エッセイ風に綴っていただきたいという無理なお願いを聞いていただきました。
奈良はいまとんでもないことになっているようですが、これが第一回目ということのようなので、落ち着き次第、また二回目が送られてくるのではと期待しています。


「奈良県警汚職 元警視が焼身自殺」(産経新聞大阪本社発行14版)。
連載1回目の掲載日となった4月19日の1面トップは、こんな衝撃的なニュースを伝える記事だった。奈良発のニュースが、文化財の考古学ニュース以外で一面トップを飾ることはほとんどない。
 2月末から、3月にかけてのドイツ・スイス出張を終えて、ようやく連載が記事化し始めた日。出張中に疑惑が出始めた奈良県警の汚職事件が急展開し、私は前日の18日早朝、自殺した元警視の自宅前で、その日午前中には行われるという家宅捜査を待っていた。
 その後も事件は進展し、現在も徹底した取材活動が進行中。世間がゴールデンウイーク入りするも、休みはほとんどありませんが、ようやく大島さんに依頼されていた投稿第1回目を書く時間を持てました。
 今回、沢田豊を取り上げることになった経緯は、ホームページ「デラシネ通信」に掲載されているように、一つの企画募集がきっかけでした。
 「外国で活躍した日本人」をテーマに全社的なコンクールがあり、コンテと呼ばれる企画案を書くことになりました。採用されるため「できるだけ知られていない偉人を探そう」と思った私は、図書館をしばらく探すのと同時に、インターネットでも検索しました。ここで、大島幹雄氏が書いた沢田豊の本と偶然出会うことになりました。
 沢田豊。16歳のとき、サーカスに熱をあげ、魂を奪われてしまった男がロシアへ渡り、欧州のトップスターとして躍り出た、とある。そして、戦争に翻弄されつづけながらも、コスモポリタンとして生き抜いたという。
 この男の生涯を追いたいと思った。これまで、幼いころに大阪城か天王寺で(私は大阪出身です)木の下サーカスを見て以来、ほとんど触れたことのないサーカスの記事を書くという無謀な計画がスタートした。
 HPにあったアドレスへ問い合わせ先のメールを送信した。あて先は思いも掛けず、著者の大島さん本人。ここから、日本人の足跡沢田豊シリーズが始まった。

 「日本人の足跡」取材にあたっては、大島さんに全面的な協力をいただきました。あらためて、御礼申し上げます。


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