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2001.12.11

石巻若宮丸漂流民の会 設立総会報告

2001年12月8日の石巻若宮丸漂流民の会設立総会の模様を紹介します。

 12月8日午後2時より、石巻文化センターにおきまして『若宮丸漂流民の会(仮)』設立総会が開催されました。30名程度の参加者を予定していたのですが、会場にはマスコミ6社を含めて、50名近くの参加者が集まるという盛会になりました。しかも東京や横浜など遠方からもわざわざこの会に参加するために駆けつけた方が何人かいらっしゃたのには驚きました。
 会は「石巻かほく」の久野義文の司会ではじまり、石垣宏よりあいさつが、それに引き続き大島幹雄が会の設立にいたるまでの経緯を報告しました。そのあと来賓代表として石巻教育委員会の阿部教育長より祝辞をいただき、議事に入りました。

 議長には、平川新が選出され、会の名称、会則、役員選出、今後の活動方針などについて意見交換が行われました。

 会の名称については、理事会側から「若宮丸漂流民の会」という案が提出されたのですが、若宮丸という船が石巻以外の土地にも何隻かあるという指摘を受けて、石巻の名前を明確につけた方がいいのではないかという提案がなされ、会の名称を『石巻若宮丸漂流民の会』に決定しました。

 会則は理事会案を若干訂正した上、承認されました。ただこの中であまり専門的になってしまったり、若宮丸のことばかりにとらわれることがなく、漂流民について幅広く考える場として意識していく必要性が意見として提出されました。

 このあと役員案が理事会から提出され、これも拍手で承認されました。
ここで決まった会則と役員については、別に案内してあります。(会則・役員)

 このあと会の今後の活動について大島と平川から報告がありました。大島からは、全国の漂流民研究団体や海外の団体と提携しながら、インターネットも活用するなかで、今後活動していくこと、イルクーツクにある吉郎次の墓探しを中心に、ロシアに残った子孫探しについても取り組みたい旨が報告されました。平川からは現在東北大学東アジア研究センターが展開しているシベリアを中心とした日露交流研究の資料集めの現況について報告があり、これらの資料を翻訳するなかで、会にも提供されていくことが明らかにされました。

 この議事を終え、正式に『石巻若宮丸漂流民の会』が発足することになりました。当日会員申し込みをした人が27名、会に参加できなくて入会を希望している人が20名、合計47名の会員でスタートしたわけです。

 休憩を15分はさんだあと、大島が『若宮丸漂流民の謎に迫る』と題した記念講演を行いました。
吉郎次の墓探し、ゴンザの辞書、レザーノフの辞書、新蔵の会話帳、レクシコンなどの漂流民たちがもたらした18世紀の言語遺産研究の可能性、レザーノフの長崎での交渉についてなど、解明が待たれるテーマを中心におよそ1時間の講演となりました。

 午後5時からは北上川沿いにある小料理屋『友福丸』で、10人の有志が集まり懇親会が開かれました。なんのことはない、みんな自分たちも漂流している仲間であることを認識し合えた会になりました。アルコールが進むうちに、イルクーツクに行くだけでは足りなく、若宮丸が漂流した道筋を辿って、まずはアリューシャン列島まで漂流して、そのあとシベリアを横断、さらには世界一周しようなどということまで話が発展しました。
 来年3月再会することを確認し、散会となりました。(大島記)