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今月のトピックス
長崎通詞からみた日露会談の連載を終えて
ロシアから来た黒船−ロシア船長崎来航秘話

 七回にわたって『通詞たちから見た日露交渉』を連載してきたが、これはレザーノフ来航という日本史ではほとんど知られていない事件の裏側を通詞たちが残した日記と、昨年私が翻訳したレザーノフの『日本滞在日記』を読み比べるなかでみていこうという試みであった。
 試みであるために、じっくりと事実関係を検証したわけでもなく、熟読したうえでの書いたものではないことをご承知いただきたい。

 レザーノフの日記が衝撃的だったのは、日露会談が終わったあと長崎通詞たちが、突然レザーノフに、今回はダメだったが、また来航してもらいたい、そのためには出島にひとりかふたりロシア人を送り込むことが必要だと、秘密工作をもちかけたことだった。
 この話しは本当なのだろうか?
 もし本当なら通詞たちの真意はどこにあったのだろう?
 本当に、日本とロシアが通商を結ぶべきだと考えていたのだろうか。
 それともあまりにもレザーノフにとっては酷な結果となった今回の会談に彼が憤って復讐しないために、怒りを緩和するための策略だったのだろうか。
 いずれにしても彼らは幕府の命令で動いたわけではないだろう。もしも自分たちの意志でやったとすれば、それは何のためだったのだろう。
 それが一番興味のあることだった。何か通詞たちが残したものはないのだろうか、レザーノフのように日記は書いていなかったのだろうかとずっと気になっていた。
 実際に長崎通詞たちはレザーノフ来航から出帆までの自分たちの行動を記録した『魯西亜滞船中日記』を残していたのである。そして長崎のシーボルト記念館に、この原本、当時の大通詞中山作三郎が持っていた『魯西亜滞船中日記中山控』が保管されていたのだ。今回使用したのは、この史料である。

 通詞たちの真意をこの日記で知ろうというのは、無理なことであった。彼らが残した日記は、レザーノフの日記のように喜怒哀楽をむきだしにすることなく、あくまでも淡々と自分たちのしたこと、つまり作業日記を残すようなつもりで書いているので、彼らの真意をくみとるというのは至難の技であることは間違いない。
 ただ読み比べていくなかで、ぼんやりではあるが、通詞たちの像が浮かんできたような気がする。
 さらに通詞たちの日記とレザーノフの日記を比較して読むことで日露最初の本格的交渉となった長崎会談の舞台裏を蘇らすことができた。いままで歴史でほとんど語られなかった生々しい交渉の現場がここで初めて明らかにされたと言っていいだろう。
 いくつかここで明らかにされたことを箇条書きにしてみよう。

  1. 最初の交渉のテーブルについた日露両国の駆け引きの実態が初めて明らかにされたこと。
     後くされなくロシアに帰ってもらいたい日本側に対して、必死に抵抗する使節レザーノフの姿が浮き彫りにされているのだが、この中で注目すべきことは、交渉の窓口となった通詞たちが会談の実際のイニシアティブをとっていたことだろう。これは通詞たちの日記が明らかにしている。
     
  2. 通詞たちが、ロシアと通商関係を結ぼうと画策したこと。これはレザーノフの日記が暴露した最大の秘話であると言ってもいい。これについて通詞たちの日記は何も証言していない。しかし通詞たちの行動を日々書きとめた日記の行間から確かに不審な動きを読み取ることもできる。
     
  3. レザーノフは、司馬遼太郎が「いやな野望をもつ、いやな男」、「どの国にもいる、愛国を金儲けにする男」と評価していたような、人物ではなかったことを裏付けていること。
     通詞たちが残した日記のなかで、レザーノフはある共感をもって描かれている。それは彼が、真剣に交渉の場に臨み、国益を代表する人間と見なしていたからだろう。
     司馬遼太郎が「真の愛国者」だと評価している、クルウゼンシュタインは、この交渉ではあくまでも脇役にすぎない。
     しかもレザーノフは、大国の威をかりて、見下して交渉するのではなく、日本語を学び、日本語で交渉しようとしてさえしたように、日本に近づこうとしていたのだ。
     
  4. 松平定信退陣後、強力なリーダーを失った幕府の実態も明らかにされていること。松平退陣後、幕府は老中の戸田氏教を中心とした集団体制で運営されていた。しかし彼らにはまったくビジョンというものがなかった。大国ロシアが、献上品をもって来航しているという外交上の重要性を認識せずに、その場しのぎで対応していたのだ。
     通詞たちは、この舞台裏をレザーノフに暴露している。
     
  5. 通詞たちのしたたかさが浮き彫りにされていること。彼らは、本来はオランダ語ができた小役人にすぎなかった。権限もなく、レザーノフとも自由に交流できたわけではない。奉行所とレザーノフの間に立って、通訳するのが仕事であった。彼らには決定権などまったくなかったのある。しかしここで彼らは、この交渉の舵とり役をすることになった。実質的には日露会談のイニシアティブは、彼らが握っていたといえる。幕府に対しても、レザーノフに対してもへりくだりながら、巧みにリードしていく様子は、通詞たちの日記からうかがうことができる。
     日露会談の演出をしていく通詞たちは、何を望んでいたのだろうか。日本という国の将来だったのだろうか、それとも自分がよりよく生きるための手段だったのだろうか。
     
  6. 連れ帰ってきた漂流民とレザーノフの交流ぶりも明らかにされていること。レザーノフにとって、漂流民はある意味で交渉の最後の砦であったはずだ。しかし国に帰りたいという彼らの思いは痛いほど分かっていた。太十郎が自殺をはかったあと、レザーノフは奉行所に対して、いますぐ漂流民を解放してほしいとなりふりかまわず、請願する。そして交渉が失敗に終わり、漂流民を返還する別れの場面に、レザーノフは漂流民たちのことを思い、涙を流す。この別れについても通詞たちは、共感を込めて描いている。

 なによりも、この交渉がその後の日露両国の不幸な関係を象徴する出来事であったことを明らかにしているといえるかもしれない。
 あまりにもタイミングが悪すぎた。かたや熱烈にラブコールをしているのに、これを受け取る江戸幕府は、もう関わりたくないこんなこと、と思いながら、その場をしのごうと適当に口裏をあわそうとしていたのだ。
 ちょっとしたこのタイミングのズレが、両国に不幸を招くことになる。
 ロシアが日本に対して歩み出ることは、もう二度とないのである。

 レザーノフの滞日日記、そして通詞たちの交渉日記という埋もれていた史料を再読したことで、日露会談の舞台裏という、いままで知られなかった過去を明らかにすることができたと思う。

 ここからもう一歩も二歩も踏み込んで、レザーノフ長崎来航という事実の裏側にあったものを、たぐりよせる作業がはじまると思っている。
 そのなかで、通詞たちの秘密工作の真意を明らかにしたい。
 もうひとつは、レザーノフによって幕が開けられた日露外交劇の第一幕の裏に秘められていたドラマが、不幸な交流のはじまりという結果ではなく、日露間で新しい付き合いを模索していたというもうひとつの一面に光をあてたいということだ。
 もしかして通詞たちとレザーノフが正面でぶつかりあっていたところ、そこに的を絞って見ていくと、この日露の不幸な外交劇のなかに、現在の日露関係につながる一筋の光明が見いだせるかもしれないとも思っている。


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