石巻若宮丸漂流民の会
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『ロシアへ渡った日本人漂流民』シンポジウムレポート

 さる3月23日大阪で開催された『ロシアに渡った日本人漂流民』の報告をしなければと思っていたのですが、この会に石巻より取材のために参加した当会会員でもある久野義文氏が『石巻かほく』に、詳細なレポートを書いておりました。
 このなかの、パネラーとして発言した四名の発言要旨を、ここで紹介することにします。会員のみなさんには、記事コピーをお送りします。

ゴンザファンクラブ(鹿児島)  事務局長 長沼庄司氏
『初の草の根運動、映画化も』

「ゴンザが手掛けた「新スラヴ・日本語辞典」について、国語学者の金田一春彦氏は「ロシア語・鹿児島弁辞典というべきもの。日本にこのように古い時代の一つの方言を記した本はない」と学術的評価を高く評価しています。
 しかし、ロシアに残っている記録によると、ゴンザについては航海の見習いのため父親と乗船したという以外、出身地も出航地も分かっていません。名前もロシア語で「ゴンザ」とのみ記録されています。ゴンザは多くのなぞに包まれているため、これらのなぞを解くロマンも膨らみます。
 ゴンザファンクラブですが、結成されたのは一九九四(平成六)年。ゴンザの生涯を解明し、ゴンザの業績を普及すると共にゴンザの出身地と出航地を探しています。「ゴンザ方言研究会」と「ゴンザの出港地を探る会」を毎月交互に開催しています。
 鹿児島市の繁華街の一つの通りが「ゴンザ通り」と改名、阿久根市には「GONZAタウン」が出現。小学校や中学校の副読本にも掲載、阿久根市では立志式でも紹介、子どもたちに夢とロマンを与えています。新年度からは総合学習がスタート、 ゴンザは格好の題材と言えます。
 鹿児島は明治の元勲たちを郷土の偉人として顕彰してきましたが、庶民出身のゴンザを顕彰するする草の根からの運動は、初の試みでしょう。今は映画「GONZA」の製作を目指しています。郷土の誇りを全国に広げたいと考えています」

大黒屋光太夫顕彰会(鈴鹿市)  副会長 金田良一氏
『中学・高校の教科書に登場』

「鎖国の時代に外国を見てしまった人物として、伊勢の若松村(現在の鈴鹿市若松町)生まれの大黒屋光太夫に光を当てたい。光太夫の残した貴重な文化遺産を後世に伝えたい。こんな願いを込めて発足太したのが「大黒屋光太夫顕彰会」です。一九九一(平成三)のことです。会員は若松地区在住者で千人を数えます。
 光太夫の話は、一九九二(平成四)年井上靖さん原作の映画化「おろしや国酔夢譚」で有名になりましたが、顕彰運動は既に一九一八(大正七)年に始まり、顕彰碑「開国曙光」が建立されています。八五年、光太夫の「帰郷文書」が発見されたのを機に、顕彰機運が再び盛り上がり、九〇(平成二)年、大黒屋光太夫資料室を若松小学校内に開設、先の顕彰会発足につながっていきました。
 鈴鹿市と一言うとF1で知られていますが、ここにもう一つ、国際交流都市の先駆者として売り込もうとなりました。仲間の乗組員が眠るイルクーツクに「日口友好記念碑」を 建立。イルクーツク市の光太夫協会と友好協定を結びました。
 光太夫の業績を全国に広く知らしめる方法として教科書に載せられないだろうか−となり、文部省に陳情。九五(平成七)年、高校の歴史教科書に初めて登場、翌年には中学校の社会科教科書にも取り上げられました。先祖をたたえる活動を通じて 現代人は歴史的認識を持たないといけない。「光太夫を知らなければ日本人ではない」という意気込みで顕活動に努めたい、、記念館も二年後には実現するかもしれません」

石巻若宮丸漂流民の会(石巻市)  事務局長 大島幹雄
『船乗りと同じ目線に立つ』

「江戸時代、ロシアに漂流した日本人としては鹿児島のゴンザや鈴鹿の大黒屋光太夫が知られていますが、残念ながら若宮丸漂流民については地元宮城県でもあまり知られていません。もっと多くの人たたちに紹介されるべきだと思い、昨年十二月に発足したのが、石巻若宮丸漂流民の会でした。
 学術的研究会ではありません。若宮丸について知りたい人の集まりです。ここにポイントがあります。市民レベルで関心を持っている人たちが集まり、情報交換をする中で、彼らのたどった足跡を、歴史の片隅から拾い集め、追いかけていこうと思っています。
 大事なのは目線だと考えます。漂流民と同じ目線からアプローチしていきたい。船乗りの目線に立つことで初めて見えてくるものがあるはずです。歴史的偉人ではない、隣にいるような庶民が漂流民になって、鎖国下に海外にわたって懸命に生きてきた、このことを伝えたい。
 二〇〇四(平成十六)年は、若宮丸漂流民四人が帰国してからちょうど二百周年に当たります。ロシアの親善大使役を務めたのがレザーノフでしたが、二百周年記念として企画展「レサーノフと日本展」をやりたい。
 また、こういうシンポジウムの機会を通じて、全国の漂流民研究団体が横の連携を図っていくことが重要、草の根交流こそ市民運動を発展させていく原動力だと思います」

伝兵衛友の会(大阪市)  生田美智子氏(大阪外語大教授)
『日露文化交流に大きな位置』

「江戸時代は漂流の時代でもありました。商品経済が発達し、海上輸送が発達しました。しかし、鎖国のため外洋航海の船の建造が禁止されていたため、特に冬季は季節風による海難事故が多かった。ロシア人がオホーツク海、太平洋に到達した時でもあり、北の隣国の出現でした。そのとき重要な役割を果たしたのが漂流民です。
 大阪の伝兵衛は、記録に残る最初の日本人漂流民です。最も重要なことはピョートル一世との出会いです。伝兵衛の話はピョートル一世に交易相手国としての日本に興昧を抱かせるからです。以来、ロシアは開国の扉をたたき続けるようになります。
 伝兵衛の業績として (1)ロシアの東方経営に影響 (2)最初の日本語教師 (3)日本人初のロシア正教徒 (4)大阪方言の日本語を残す、十七世紀の大阪方言の研究上貴重な資料 (5)自筆の文字で出自に関する情報を残す(一九七〇年の万国博覧会のソ連館の展示品)−などを挙げることができます。
 伝兵衛の住居のあった場所の特定などは、今後の調査を待たなければなりませんが、まだ正式な市民レベルの研究会はありません。日露文化交流における伝兵衛の位置の大きさからして、その業績を語り継ぎ、顕彰する必要があるのではないでしょうか」


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