2012.11.07

アートタイムズ No.9 可能性としての満洲 書評

虚業なれり

 雑誌「アートタイムズ」No.9 可能性としての満洲に寄せられた書評です。

→書籍情報


秋原勝二さん(文芸誌『作文』編集人)

 『アートタイムズ』9号「可能性としての満洲」を読んでどのような感想をお持ちになるのだろうと、気になる方はたくさんいるのですが、その中のおひとりである、『作文』編集人秋原勝二さんが、すぐに感想を送ってくださいました。秋原さんにご承諾いただきましたので、原稿用紙4枚に書かれたこの感想を、ここに紹介いたします。
 秋原さんは、今年100歳になられたとのことですが、大連で創刊された文芸誌『作文』をいまなお発行し続けてらっしゃいます。『作文』は長谷川濬も同人で、長谷川が亡くなったときに追悼特集を出していました。満洲を生き延びて、そしていまなお満洲のことを書きつづける秋原さんがどのように、今回の満洲特集をどう読んだのか、どうしても多くの方に知っていただきたかったのです。
 秋原さんの著作について、『作文』と秋原さんについては、下記のサイトをご参照ください(新聞社サイトのため、リンク切れになるかもしれません)

 なお私も『作文』次号で今回の『満洲浪漫』ができるまでについてのエッセイを書くことになっております。

 満洲に懲りた日本人が、きたない衣を脱ぎすてるように、「満洲」を忘れたがる昨今、人びとはすでに見捨てたと思っている小生に、
◎「何と、こんなに満洲のことを書ける人たちがいたのか」とおどろきをあたえました。

◎表紙のどまんなかにある大連大広場、この写真は、満鉄経営のヤマトホテルから、見下ろした姿です。正面にみえるのは、横浜正金銀行、手前の銅像は、関東州をとりしきる関東都督府長官の大島陸軍大将。小生は、大正15年秋(13歳)から正金銀行の向かって左の大山通りからこの広場を斜めに、右側の道路へよぎり、満鉄本社に通勤したところ。今はこの銅像もないことでしょう。

◎この一冊で、もっとも大切な言葉を、あえて掲げれば2頁最後の三行です。ただ、この境地も法律がかぶさると、一律統制の地獄をみると、大懸念する人がいますが。

◎小生は28頁の神戸大学・ 魏 舒林さんの一文に特に注目しました。30頁の下段にある心境は、小生が満洲にいて、抱いたギャップとつながるものです。日向伸夫、長谷川濬の研究も結構ですが、二人とも「満洲国」が建国されてから渡満した人びとに属します。それとは距離を持つ建国前の1920年から満洲で生活した秋原勝二のような者の作品も研究されたら、もっと視野がひろがるのではないか、と勝手に思いました。

◎本書特集の船戸与一さんは、全く知らない人でした。インタビューを拝読した限りの印象は

  1. 何と巨大な視野を持つ作家だろう。
  2. 何と頑健な体力の保持者であろうか。
  3. その筆力のエネルギーと才能は計りしれない。
  4. 「日本陸軍史」を書くその着眼は的確である。
  5. 小生は、満鉄社員であったため、悲運の「満鉄史」を、一生の仕事のひとつとして着目していますが、それに関わる多くの研究書も、満鉄上層部または業績表層の功罪史か、個人の手柄話、苦労話、敗戦後ひどい目に遭った記録が殆どのようにみえ、最も欠けている黙々と任務に、家族もろとも没頭した下積みの裾野に生きた社員からみた満鉄と満洲の一端を、平成4年「かなしみの花と火と」という上・中・下三巻の記録にまとめたことを併せ考えました。草柳大蔵の『実録満鉄調査部』が満鉄史のなかでは、最も重要な一書とも考えています。(関東軍の裏のことも書かれています。)
  6. 『満洲国演義』は抜群の、大衆にもわかりやすく巻を重ね、考証も豊かな重層的「陸軍史」を想像しました。
  7. 懸念されるのは、船戸さんは、その時代の満洲にいなかったことです。記録の資料と伝聞と想像力が、どこまで事実の、現象の本質を射抜くか、と気にします。たとえば陸軍による被害者、自国民、他国民にメスが入るか、など。小生はとても拝読たしかめる体力がありません。
  8. 長谷川濬は、生きた満洲を身をもって浴びたこと、詩人長谷川濬は、はるかに豊饒な生き生きとした世界を病身を削って描いた、とそのように感じています。

以上、思いうかぶままに走り書きしてみました。お許しください。

2012.10.16 秋原 勝二