我にナジェージダ(希望)あり―石巻若宮丸漂流物語
「石巻日日新聞」で2012年4月2日から翌年8月30日まで連載した小説『我にナジェージダ(希望)あり』を冊子にしました。
1793年に石巻から江戸へ向かった廻船若宮丸の乗組16人は嵐に遭い、約半年の漂流後に極北のアリューシャン列島に上陸。ロシア人に助けられてシベリアを横断し、世界を一周して故郷に帰るまでの12年間の苦難に満ちた実話に基づいた小説です。
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刊行に寄せて
2012年4月2日から翌年8月30日まで「石巻日日新聞」で連載された『我にナジェージダ(希望)あり』を冊子にしました。
震災津波で大きな被害を受けた生まれ故郷石巻の人たちになにかできないか、そんな思いからうまれたこの小説で、220年前石巻から旅立った郷土の先達たちが、幾多の艱難辛苦を乗り越え、たくましく生きていった姿を描いています。
嵐に遭った若宮丸乗組員は、沈没の危機を乗り越え、およそ半年太平洋を漂流しながら、仲間と助け合いながら生きのびました。アリューシャン列島の原住民やロシア人の助けを得ながら、アリューシャン列島からシベリア横断、さらには世界一周の航海をして日本に戻ってきます。生きることへの強い意志、そしてそれを助けた異国の人々たちの優しい思い、そこから希望が生れました。そんな希望を伝えたいという思いを込めて書いた小説です。
ノンフィクションしか書いたことがない私が初めて書いた小説です。敢えて小説にすることで、いままで謎とされていたことに大胆な解釈を試みています。例えば、なぜ善六はあっさりと故郷に帰ることを諦め、ロシア人になろうとしたのか、帰化した漂流民と帰国をめざした漂流民たちのあいだに相剋はあったのか、帰国したいと思っていた2人の漂流民はなぜ直前に帰国を断念したのか、なぜ太十郎は長崎で自らナイフで喉を掻き切ったのか、文献史料だけでは解明できなかったこうしたことに、私なりに迫ってみました。
まもなく「石巻日日新聞」でこの続編とも言うべき「ロシアから来た日本人―善六ものがたり」の連載をはじめることもあり、これを機会に5年前に連載したものをまとめたいと思い、自費出版のかたちで冊子をつくることにしました。
若宮丸漂流民に関心のある人にはもちろん読んでいただきたいと思っていますが、まったく若宮丸のことを知らない人にでもわかるような内容になっていますので、多くの方に読んでいただきたいと思っております。
図版もなく、文字だけで2段組で200頁以上というあまり色気のない冊子になっていますが、これがいま自分のできる精一杯でした。
2017年5月20日
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(2017.6.7)
紹介記事・書評
紹介記事
- 地域情報誌「りらく」 2017年9月号「りらく図書室別館」
- 「毎日新聞」2017年6月25日宮城版「世界史上の壮挙知って 『若宮丸漂流物語』自費出版」→記事PDF
- 「石巻かほく」2017年6月3日 「『若宮丸漂流』が小説に 石巻出身・大島幹雄さん、自費出版」
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関連書籍
-漂流民善六物語-
廣済堂出版 / 1996年 / 227頁 / 四六判
1813年10月1日、函館。高田屋嘉兵衛の仲介による日露会談の席にロシア側の通訳としてひとりの日本人がいたことを知る人は少ない。彼の名は、キセリョーフ善六。
大黒屋光太夫に遅れること11年。
漂流の末、カムチャッカにたどり着いた石巻若宮丸乗組員のひとりだった。
ロシア人として生きるのか、それとも、日本へ帰国するか。苦渋の選択を迫られた漂流民たちの物語。
日本滞在日記 -1804-1805-
レザーノフ著・大島幹雄訳
岩波文庫(青 479-1) / 2000年 / 440頁
1804年9月、長い航海の末長崎に到着したロシアの全権大使レザーノフ。通商を求めて交渉するが、日本側の対応にいらだちを募らせる―――半年余りの日本滞在中の日記。
本書は長年出版が禁じられ、1994年に初めて公刊された。開国への胎動のうかがえる日本社会や、日露交流史を考える上で、興味深い数多くの事実に満ちている。
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