2004.07.30
『初めて世界を一周した日本人』展 オープニング
「吉村昭講演会」
7月28日(水)、ついに『初めて世界を一周した日本人』展が開幕しました。
オープニングの様子が「石巻かほく」新聞に紹介されました。
記事はこちら(太十郎のジャケット展示の写真もあり)。
開催会場サンファン館のホームページにもオープニングの様子が紹介されています。
紹介ページはこちら(写真4点)。
太十郎の子孫・奥田大夢君らによるテープカット
8月8日鳴瀬町中央公民館において、吉村昭氏講演会が満員の盛況のなか行われました。約250人の聴衆の皆さんもおよそ1時間半の講演を食い入るように耳を傾けていました。「日本の漂流記について」と題された先生の話も、若宮丸漂流民についてなんの知識もない人にもわかるような、語り口で、どんどん世界に誇る海洋文学漂流記の話へと引き込んでいく、素晴らしいものでした。
漂流の背景となった、江戸時代の海運の発達ぶり、鎖国が数多くの漂流をもたらしたのではないということを前提に、帆船に負けないぐらいの和船の構造などを導入に、まさに吉村歴史文学そのもの、事実を踏まれた歴史の面白さに聴衆をまきこんでいきます。会場には小学生もいたのですが、彼らが熱心に聞いていることでも、それがわかります。漂流民帰国200周年という記念の年に、あまり知られていない若宮丸漂流民の世界を、もっともっと広めていきたいという、今回の私たちの意図は、吉村さんのこうしたわかりやすく、まだ事実の重みにうらづけられた話で、実現することができたと思います。
後半は、本になった大黒屋光太夫の話、そしてロシアに残った新蔵・庄蔵のことが気になって、「環海異聞」を読みはじめ、これがきっかけで若宮丸のことを調べるようになったと、核心の話題に入っていきます。光太夫たち神昌丸乗組員がロシア領で凍傷などで命を落とす人が多いの比べて、東北の若宮丸が寒さに強かったことが多くの生存者を残したこと、ロシア側が帰化を促すために若い女性をあてがえていたはずだという話、商人の出であった光太夫と、船乗りだった津太夫を一緒にしている大槻玄沢は間違っているなど、刺激的な話が随所に出てきました。
いずれこの講演会の報告は、会報で詳しく紹介するつもりですが、善六の足跡を史実にしたがって追いかけたいと思っている私にとっても大きなヒントを得たように思っています。
いろいろありましたが、この講演会ができてほんとうに良かったと思っています。
実際にこの講演会を招請することになった鳴瀬町の実行委員会の皆さん、さらには石巻若宮丸漂流民の会員の協力ではじめて実現できました。ありがとうございました。
(大島幹雄・デラシネ掲示板より転載)
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