石巻若宮丸漂流民の会
Top 記 事 お知らせ 会のご案内

レザーノフと日本展 企画書(最終案)

2002.08.11

 来年ロシアで、そして再来年日本で開催しようとひそかに計画している「レザーノフ と日本展(仮題)」の基本プランをつくりました。
 これをもう少し肉付けして、所蔵先なども明らかにしながら、提案していきたいと考えています。
 意見・感想などありましたら、是非聞かせてください


レザーノフ長崎来航200周年記念
若宮丸漂流民日本帰還200周年記念
クラスノヤールスク市政200周年記念
ロシアにおける日本年記念

レザーノフと日本展(仮題)

企 画 書

 ペリーの来航よりも半世紀前に、ロシアから一隻の戦艦が、長崎に来航した。『ナジェージダ号』と名付けられたこの船で指揮をとっていたのは、ロシア皇帝から、日本に通商を求める命を受けた、皇帝侍従長、ロシア使節ニコライ・レザーノフであった。
 この船には、1796年石巻を出航して、嵐に巻き込まれ、ロシアに漂着した若宮丸乗組員4名も、帰国するため乗り込んでいた。彼らは日本人として初めて、世界一周をしたことになる。
 約半年にわたって半ば幽閉された状態で、長崎に滞在を余儀なくされたレザーノフは、幕府からの特使遠山景時と会談、鎖国を理由に、通商を断われたばかりか、二度と来航まかりならぬと申し渡され、長崎を離れることになった。
 長崎を出航する前、レザーノフは、ロシアから連れてきた漂流民4人と涙を流しながら、別れを惜しんだ。
 ロシア皇帝からの将軍に渡すように預かった献上品も、一部しか渡すことができず、そのまま持ちかえらざるを得ないという屈辱的な会談結果に怒ったレザーノフは、翌年エトロフ、クナシリに、攻撃を命じる。
 これを契機に日本とロシアは、北方を舞台に激しくしのぎを削り合うことになる。このため、レザーノフは、日本史のなかで、長年悪者扱いにされていたし、ロシアにおいても交渉に失敗した男として、歴史の闇に葬り去られていた。
 ソ連解体後、ロシア国内でレザーノフを再評価する動きが高まり、レザーノフ終焉の地となったクラスノヤルスクでは、レザーノフ博物館をつくる運動が展開されている。
 日本でもレザーノフの長崎滞在日記が岩波文庫で翻訳されたことにより、真摯に日本人と付き合おうとした彼の姿を通じて、悪者ではなかったのではという評価も出はじめている。
 こうした気運のなかで、長崎来航と漂流民帰還200年の記念の年に、漂流民が残したもの、レザーノフ来航にちなんだものを収集し、展示することは、日露交流の原点となったレザーノフ来航の意義を再検討し、日本とロシアの間に橋を架けるという意味で、大きな意義をもつといえる。


〔目的と意義〕

1)日露交流の原点

 レザーノフ来航は、日本とロシアが正式に交渉のテーブルについた最初の出来事である。これを日露交流の原点と捉え、歴史的には、否定的にとらえられているレザーノフ来航の意義を問いなおし、むしろ肯定的にとらえることで、日露の架け橋となるようなイベントにしたい。

2)日露共催の意義

ロシアにおける日本年のイベント
 2003年は、ロシアにおける日本年が展開されることになっている。しかもレザーノフや漂流民と関係の深いペテルブルグは、この年、建都300周年を迎え、プーチン大統領を実行委員長に迎え、国ぐるみで大きなイベントを展開することになっている。またレザーノフ終焉の地クラスノヤールスクも、市政200周年ということで、クラスノヤルスク郷土博物館でレザーノフ展の開催が予定されている。こうしたなかで、日本とロシアで共同で資料を展示することで、対外的な意義も増すのではないか。

3)未公開の資料の交換展示

 日本に残されている漂流民関係の資料をロシアで、さらにはロシア国内に残っている未公開の資料を日本でというように、交換展示を実現することで、日露間でいままでなかった共同開催の道を開く。

〔これが目玉だ〕

〔特色〕

1.立体的展示をめざす

 「環海異聞」や「レザーノフの辞書」などは、原本の展示だけではなく、複写拡大したものを展示するビデオモニターを数カ所におき、漂着地(アッカ島)、カムチャッカ、イルクーツクマルケサス諸島などの映像を紹介する

2.同時進行による資料追跡

 日本とロシアの交流が大きなテーマになっているので、まだ発見されていない資料を、両国で発掘する作業を平行しておこなうことで、話題をつくっていく。

 以下に掲げる未発見資料を探し出す過程自体が、話題になるのではないだろうか。

〔未発見資料〕

  1. 吉郎次の墓(可能性は決して高くない)
  2. 環海異聞オリジナル本
  3. レザーノフが日本から持ち帰ったお土産(クラスノヤルスクには何点かあるのは確認済)
  4. レザーノフが日本に持ってきたもの(ほとんどその行方については不明のままになっている)
     日本側の史料には、漂流民たちがロシアからもらってきたものや、通詞たちに渡された土産もののリストが掲載されている。それはいまだにどこにあるのかわからないままになっている。
     レザーノフが日記で書いている、幕府の検使たちに渡したという、サイン・メッセージ付きの記念の扇などが見つかれば、日露交流の象徴として話題になるはず。
     レザーノフが持参しながら、そのまま持ち帰った献上品の何点かについては、ロシア国内の博物館にあることを、東北大学東アジア研究センターが確認している。
  5. 善六が書いた直筆の手紙
     善六は、ゴローブニン釈放の交渉のために、日本語で幕府宛てに手紙を書いている。
  6. レザーノフの露日辞典増補版(ペテルブルグにはあることが確認されている)
     長崎滞在中に集めた約千語の日本語を増補した辞書は、18世紀の長崎でつかわれた日本語の実態を知るうえでも、貴重な資料となる。

〔展示内容〕

第一部 若宮丸漂流民の足跡

1.奥州石巻湊と千石船

2.漂流民たちの故郷

3.漂流生活

4.環海異聞

第二部 世界で初めて世界一周した男たち

1.ペテルブルグ

2.世界一周

第三部 レザーノフ長崎来航

1.長崎来航

2.長崎通詞たち

第四部 レザーノフ来航の余波

1.エトロフ来襲余波

2.その後のレザーノフ

カルフォルニア遠征
レザーノフの最後の地クラスノヤールスクにある資料

記事一覧へ デラシネ通信 Top 前へ | 次へ