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早稲田大学『ロシア芸術の現在』講義報告2007

配布資料「サーカス映画リスト」(PDF)
こちらのページを6ページにまとめたものです)

2007年6月5日
ロシア芸術の現在 『サーカス学へのチュチュローネ』

 この授業も、何年続いたのだろう。大学の改編に伴い、今年は前期だけ、自分の担当は2回だけ、しかも例のはしか騒動で、実質一回だけの授業となったので、今回は、サーカス学入門編というような切り口で、講義をすることになった。
 今年の授業の場所は、カフェテリアの階上にある、300人ぐらい収容できるAV教室。以前にも、授業をしたところ。ただ今年の受講者は、50人ぐらい。なんか閑散な感じがした。
 去年ぐらいから、授業のコツみたいなものをつかんだような気がする。この授業で、学生に伝えることは、やはりサーカスという現場で働いている自分の経験であろう。ということで、自分の経験をもとに、サーカスのもついろいろな側面を紹介することにした。


 自己紹介の前に、まずは今年1月川崎のクラブチッタで公演した「フェリアミュジカ」のプロモーションビデオを流す。
 以下、簡単に準備していたメモを紹介しよう。

1.プロローグ――フェリアミュジカについて

ダンスとサーカスが一体となる
ボリショイサーカスやシルクドゥソレイユとは違う、新しいサーカスのかたち
いまサーカスが面白い
ヨーロッパ、特にフランスで表現の新しいかたちとしてさまざまなサーカスが演じられる。

2.サーカスの可能性――いろいろな視点からサーカスを見ることができる

サーカスと映画
 フェリーニ、エイゼンシュタインらサーカスにインプレッションを得た監督はたくさんいる

美術の中でのサーカス
 ルオー、ピカソ、ロートレックなどサーカスをテーマにした絵画がたくさんある
 ルオーの描くクラウンは、キリストとダブってくる

サーカスと文学
 カフカやヘンリー・ミラー、アーヴィングらサーカスをテーマにした文学作品
 いろいろな窓をもっているところが、サーカスの魅力

 サーカスは、いろいろな扉を用意している。
 では自分はどうやってサーカスと付き合うことになったのか。

3.私がツィルカッチになったわけ

サーカスを呼ぶという仕事をして、25年になる
そもそものきっかけ−旅への誘い
クマと共に
ロシア語と有効性
サーカスの世界は、狭い。でもそれだからこそ世界中のツィルカッチと、出会うことができる。このおかげで、自分はサーカスという窓を通じて、新しい世界に飛び出すことができた。
その最初の扉となったのは、ラザレンコという道化師だった。

4.ロシア・アヴァンギャルドが最初のサーカスの扉を開く

「サーカスと革命」が生まれたきっかけ
 ロシア・アヴァンギャルドをサーカスの視点から見直す
 そのきっかけを与えてくれたのは、スラフスキイの「ビタリー・ラザレンコ」伝であった。
スラフスキイと会うためにモスクワへ。そこでまたもうひとつの物語が始まる。

5.サーカスの越境性

「海を渡ったサーカス芸人」が生まれたきっかけは、共同通信の記事からだった
沢田豊を訪ねて、ドイツへ。
沢田豊のスモポリタン性について

 [参考ページ]

6.ヤマサキの悲劇

芸人の運命について
コスモポリタンであることを余儀なくされる
人を愉しませることが義務
差別問題
「河原乞食」
映画『王の男』について
ヤマサキと息子アレクセイの悲劇

 [参考ページ]

7.カンボジア・サーカス学校公演の意義

「国境なきクラウン団」について
NGOの世界的な活動
何故私たちは「カンボジア・サーカス学校」の公演をするのか


ビデオ映像
 フェリアミュジカ『蝶のめまい』プロモーション
 シマダファミリー『究極のバランス』
 カンボジア・サーカス学校公演プロモーション

配布したレジュメ
 『ボリショイサーカス』より参考文献
 『サーカス映画リスト』(PDF)

 

授業に出ての感想

 久々の大教室での授業。いつものように最初は受け手というか学生のテンションが低いというのは認識できた。ただあまり露骨に寝ている学生もおらず、まあまあいい反応だったのではないだろうか。メモも簡単だったが、実際の授業も淡々としたものとなった。
 学生をオルグたいという野望はもっているが、それは大学での授業ではないだろう。あとは積極的に参加してくる人たちとの共同作業になる。
 サーカスという扉の向こうにあるもの、それは自分でしか捕まえることができない。そんなきっかけを与えることができたと思う。
 


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