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2001.09.09

会報準備号0-2

「若宮丸漂流民友の会(石巻若宮丸漂流民の会 正式発足前の旧称)」の会報準備号0-2(2001.09.09発行)です。

※高橋寿之『私と津太夫』は会報Vol.1 No.0にも掲載されています。

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若宮丸友の会は着々と旗揚げの準備を整えています

 デラシネ通信を中心に若宮丸友の会(仮称)を立ち上げたいと呼びかけてから、思った以上に大きな反響に、少々驚いています。そして確かな手応えを感じています。
この会はなによりも、若宮丸乗組員の故郷である石巻を中心に、成立させていきたいと思っていたのですが、反響は若宮丸の地元から巻き起こっていることをなによりもうれしく思ってます。
 準備号0-1で紹介した石巻かほくの記事を読んで、是非発起人にと手を上げてくれる人が現れています。この会は石巻を本拠地に運営していきたいと思っていただけに、こういう反応は心強い限りです。
 8月に若宮丸研究になみなみならぬ情熱を傾けてきた石巻高校の石垣先生とお会いし、いろいろ意見の交換をしました。先生は、今回のこの会の立ち上げに全面的に協力するだけでなく、各方面に働きかけてくれることを申し出てくれました。
石垣先生を中心に会を運営するというひとつの方向が出来上がりました。

 10月9日仙台で、準備会を開きたいと思ってます。これにはもちろん私も参加します。掲示板で正式に、この準備会についての案内をします。
9月8日の河北新報紙にも、この会のことが紹介されました。(記事の内容は本号でも紹介しております)
いま私が本業がかなり忙しく、また会報を作成することになっている発起人のひとりで、デラシネ通信のデスクをしている大野も本業が多忙のため、実現が少しずれ込みそうなのですが、ネットだけでなく、この会報準備号を印刷して配布したいと思ってます。
少しずつですが、ああでもないこうでもないと言いあうなかで、会をスタートさせていきたいと思ってます。(大島幹雄)

【連載】私と若宮丸 第1回『私と津太夫』

 最も名高い漂流民の一人・大黒屋光太夫が賞賛されているのを見ると、「宮城には光太夫よりもすごい人物がいる」と大声で叫びたい衝動に駆られる。光太夫や高田屋嘉兵衛といった有名人の陰になった津太夫の名を広めたい。そんな気持ちで津太夫のホームページを開設したのは1年前のこと。その時は「打倒井上靖・打倒司馬遼太郎」などという無謀なことを考えていたものである。

 インターネットで津太夫を紹介するページを作りはじめてまもなく、書店で2冊の本――「仙台漂民とレザノフ」(木崎良平氏)「魯西亜から来た日本人」(大島幹雄氏)を見つけた。
 あまりにもタイミングが良かったのは、何かの因縁かと思わざるを得ない。
この2冊の本と以前から愛読していた「初めて世界一周した日本人」(加藤九祚氏)の3冊で、若宮丸への関心がさらに強くなっていった。この3冊がなければ自分のページも大規模なものにはならなかっただろう。文学のページの一部分に留まり、大勢の歴史ファンの目に触れることもなかったはずだ。

 若宮丸のことを真剣に調べようと思ったのは、1993年だった。世界一周した最初の日本人・津太夫のことを知ったのは、荒川秀俊氏の著書「異国漂流物語」を通してである。
イギリス・ユートピア文学を研究していた自分は、見知らぬ異境との遭遇とそこから始まる啓蒙の思想を求めていた。そして行き着いたのが漂流物語だった。
外国との接触がなかった江戸時代、それまで自分が信じて疑わなかったものを、異国を通して見たときに、はじめて批判の思想というものが生まれる。漂流という不慮の事故によって異国文化を見た人々は、まさにユートピアを旅した人たちと共通する思想を持っていた。いやユートピア小説の世界よりも、もっと現実的で生き生きとした人々だった。自分の関心は、文学から歴史の世界へと移っていったのである。
 そしてなにかの機会で宮城県図書館の郷土資料室を訪ねた時、加藤氏の著書が目に留まった。それまではほとんど関心を持っていなかった津太夫の生き方を知り、郷土の偉人に対して初めて愛着が湧いてきたことを記憶している。

 津太夫は光太夫よりも学問がないというだけで愚人であると酷評された。船頭に代わり船乗りたちに生きる力を与えつづけたことは無視され、仲間割れの事実だけが取り上げられてきている。高齢であるにもかかわらず苦難に打ち勝ってきた強靭な精神力は、まったくといっていいほど顧みられなかった。津太夫の名誉を回復したいという気持ちが、ホームページ作成に大きな原動力になった。この気持ちがなかったら、真剣に取り組んでいくことはなかっただろう。

 『環海異聞』からは、津太夫らの生の声は伝わってこない。彼らが本当に伝えたいと思っていたのは、編者大槻玄沢が求めていた学術的なことではなかった。漂流やシベリアでの苦しかったことや珍しい出来事、そして帰国して日本を目にしたときの喜びだったはずだ。小説を書いているつもりで、自分の考えを織り交ぜながら津太夫物語を構成していく間、いつしか津太夫に感情が移入されていった。それまでは特に感動もなかった出来事の一つ一つにも深い感慨を抱きはじめている。

 残された史料からその想いを再現するのは容易ではない。とくにロシアも見たことのない自分が津太夫の生涯を書くのは無理なことだと思う。自分の頭の中だけで作り上げた津太夫物語は、現実からは遠くかけ離れたものになってしまっているかもしれない。しかしそれでも、津太夫らの想いをいくぶんかでも復元できているのではないかと勝手に考えている。小説というのはそのようなものなのだろう。津太夫のページを多くの歴史ファンの方が目にし、そしてこの人たちから感想をいただいたことは何よりも励みとなった。少しずつだが自分の目的は達成されつつあるようだ。

 今にして思うと、津太夫のことを調べる気になった年は漂流から200年目であった。これも何かの因縁だったのかもしれない。

(高橋寿之・文学研究家)

河北新報の友の会紹介記事転載
「若宮丸漂流民のなぞ探る 日本人初の世界一周」

河北新報紙に若宮丸漂流民友の会が紹介されました。
こちらの記事を転載します。

河北新報 2001年09月08日土曜日

若宮丸漂流民のなぞ探る 日本人初の世界一周

 江戸時代、石巻から江戸にコメなどを運ぶ途中、難破してロシアに流れ着き、日本人として初めて世界一周して帰国した「若宮丸漂 流民」の研究会結成の機運が石巻市などで高まってきた。幅広い分野の人がなぞの多い漂流民の足跡を研究、石巻地方の「海のロマン」を検証するとともに、史 実に基づきロシアとの交流を図るのが狙い。研究会は10月の準備会を経て、年内にも発足する運びで、会員を募集している。
 研究会結成を呼び掛けているのは、石巻市出身で「魯西亜(ろしあ)から来た日本人―漂流民善六物語」など若宮丸の漂流民に関する著書がある作家大島幹雄さん(48)=横浜市在住=。
 研究会は、石巻市で若宮丸の研究を続けている石巻高の石垣宏教諭(59)らが核となり、函館、根室、鹿児島の研究組織などと連携しながら、漂流民が住ん だイルクーツクともインターネットなどで情報交換する計画。機関誌を発行するほか、漂流民データベースなどの作成も検討している。
 若宮丸については、(1)16人の乗組員のうち病死や帰化した12人を除く4人を日本に連れ戻し、ロシアの親善大使役を務めたレザーノフに日本語を教え た漂流民善6のその後(2)イルクーツクにあるとされる漂流民の1人、吉郎治の墓の行方(3)日本語辞書を残したレザーノフの手によるとされるもう1冊の 辞書の存否―など多くの研究課題が残されているという。
 東北大大学院国際文化研究科の田中継根教授が先日、レザーノフの日本語辞書を基に「露日辞書・露日会話帳」を出版したほか、レザーノフ最期の地、クラス ノヤルスクで「レザーノフ記念館」建設の運動が起きるなど、若宮丸をめぐる動きは国内外で広がり始めている。このため、大島さんは「研究会発足の機が熟し た」としている。
 日本人のロシア漂流史では、井上靖の小説「おろしや国酔夢譚」の主人公、大黒屋光太夫が知られている。しかし、寒風沢(塩釜市)の津太夫ら4人の若宮丸漂流民が帰国を目指し、世界を一周してまで故国の土を踏んだ史実は忘れ去られた感があるという。
 石垣教諭は「善六が教えた200年前の石巻弁がどんなものだったかなど興味は尽きない。イルクーツクなどを訪れ、漂流民の足跡をたどりたい」としている。
大島さんの連絡先は045(773)4643。http://deracine.fool.jp/
<若宮丸漂流民>若宮丸の乗組員(16人)は1793(寛政5)年11月、仙台藩米と木材を積んで石巻港を出港し たが、いわき市沖の大しけで半年間漂流し、アリューシャン列島に漂着。ロシアの役人に引き取られ、当時の首都ペテルブルクに移住した。この間、6人が病死 し、6人が洗礼を受けて帰化。残る4人が帰国するため結果的に世界を一周し、1804(文化元)年、親善大使役を果たしたロシア人レザーノフとともにロシ ア船で長崎に送還された。

発起人紹介

 現在まで若宮丸友の会(仮称)の発起人として、16名の方々が手をあげてくれています。幅広い分野から参加していただいているのが、なんとも心強 いかぎりです。また長崎、クラスノヤールスクと、若宮丸にとっては縁の深いところからも、発起人として手をあげていただいているのも、意義深いものがあると思います。
新聞などで紹介されてから、会員になりたいという方もすでに、何人かいらっしゃいます。この中には、漂流民の子孫の方もいらっしゃいました。
 10月ぐらいには、会報と、会員募集申込書などをつくり、本格的に配布したいとおもっております。

 現在まで発起人として参加していただいている方は、次の方々です。

(順不同・2001年9月17日現在)

大野康世 (デラシネ通信デスク)
木村成忠(東北放送ラジオ局)
石垣 宏(高校教諭)
金倉孝子(クラスノヤールスク在住)
齋藤重美(小学校教諭)
平川新(大学教授)
平田賢一(編集者)
斉藤 博(東北放送テレビ局)
加藤豊子(みやぎ県おやこ劇場)
久野義文(石巻かほく記者)
瀬之口政志(自営業)
本馬貞夫(長崎県図書館)
桑野隆(大学教授)
菊池 豊(放送作家)
齋藤博(小学校教諭)
高橋寿之(文学研究者)