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2003.06.05

大島幹雄(クマ)とは何者か

編集長・大島幹雄(クマ)の自己紹介です。(2003年版)

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右から3番目が私です
右から3番目が私です

 

私の本業は、プロモーターです。

サーカスのアーティストや、クラウンなどを海外から招聘する業務を中心に、大道芸やイベントの制作もしております。そのかたわら『サーカス』、『クラウン』、『漂流民』、『芸人』をテーマに著述活動もしています。

いま思えば、20数年前に大学院の試験に落ちて(ロシア演劇を専攻しようと思ってました)、就職先もなく、新聞の求人広告で見つけたソ連からサーカスを呼ぶプロモーターの会社に入ったことから、すべての歯車が狂ってしまったようです。すべて成り行きで始まり、あとは風の吹くまま、気の向くまま、なるように成れ、そんな感じで四七年生きてきました。これからもこんな風に羅針盤ももたず、フラフラと歩きまわっていくのだと思います。このHPは、ひとつにはいつも雑然としている自分の机の引き出しを整理してみたいということがあります。とはいえ結局は何の脈略がないまま雑然とした状態をそのまま見せてしまうということになるとは思うのですが・・・

もうひとつには、自分の引き出しをのぞいてもらうことで、情報を集めたいということもあります。ひとつひとつのコーナーをのぞいてもらえばわかると思いますが、私が調べていることは、文献資料だけでは追えないテーマばかりです。歴史的に見ても、学問上からいっても何か大きな発見をしたいということは、これっぽっちも思っていません。ただこんな人間が生きていたということを知ってもらいたいということが大きいのです。この時どんな小さな情報でも寄せてもらえれば、調べるヒントになるのではないかと思っているのです。

つまり自分の机を整理しながら、情報を集めるというきわめて虫のいいことを考えているわけです。自分がこんな風だから、追いかけているテーマも結局はフラフラと彷徨い歩く人々のことが中心になっています。

このまま先へ進むのも、ここで引き返すのも、皆さんの気持ち次第、あとは風の吹くまま、気の向くまま、漂って下さい。

ところで私のここでのハンドルネームはクマです。

サーカスの呼び屋さんの会社に入って、最初の仕事、それは『ボリショイサーカス』と一緒に日本全国巡回公演したことでした。私はこの時クマのショウのアシスタントとして、舞台に出るだけなく、餌の買い出しに走り回っていました。とても愛着があるのです、クマには・・・


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