クマとは何者か 2002年版

2002年に書いた編集長・クマの自己紹介です。
私の場合、自己紹介をする時、あるいは紹介してもらう時、ちょっと時間がかかってしまいます。まず自分がいま生業としていることについての説明に時間を要します。
「サーカスやクラウンを海外から呼ぶ仕事をしているのですが、それだけじゃなく日本人のパフォーマーのプロデュースもしています」と言うとすると、「どんなサーカスを呼ぶのですか?クラウンって何のこと?日本人のパフォーマーってなにをする人?」と質問を受け、これに答えるだけでも少なくても10分ぐらいはかかってしまいます。
そこでだいだい「変わった仕事ですね」と言われます。
ここで終わればいいのですが、相手によっては「本を何冊かだしているのですよ」という場合もあります。「サーカスのこととか、漂流民のこととか、冒険家のこととなんですが」と言うと、サーカスは仕事にしているから、なるほどと頷いてもらえるのですが、またここで「漂流民ってなんだ?、どんな冒険をした人?」と聞かれると、だいだい泥沼状態に陥ってしまいます。聞く人も関心があれば別ですが、あまり興味がない人は、たかが自己紹介なのに、なんでこんなに時間がかかるのかと、だいだい呆れられてしまいます。
なんでこんなに自分のことを紹介するのに、こんな手間がかかってしまうのだろうと思うことがままあるのです。いろいろ引きだしがあるのは確かなのでしょうが、いわいるマルチ人間とは違います。マルチ人間というと、才能があって器用な感じがしますが、私はそのまったく対極にいます。不器用だから、自己紹介すら満足にできないわけです。
要は自分の好きなことを、興味があることをその場の勢いだけでやっているわけです。この「デラシネ通信」も、サーカスとか、ロシアとか、漂流民とか、いちおうテーマらしきものはありますが、ごちゃごちゃになったおもちゃ箱みたいなもので、その時々の自分が気になったことを脈略もなく書き散らかしたものです。
とまたこんな風に何の役にも立たない紹介になってしまいました。
そこで2002年版「クマとは何者か」では、最近あるところに出した履歴書を掲載することにしました。少しはこの『デラシネ通信』編集長クマのことがわかっていただけるのではないかと思います。
ク マ の 履 歴 書 | |
氏 名 | 大島幹雄 |
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生年月日 | 1953年8月20日 |
本籍地 | 横浜市 |
出身地 | 宮城県石巻市 |
学 歴 | |
1971年 | 宮城県仙台第二高等学校卒業 |
同年 | 早稲田大学第二文学部入学 |
1975年 | 同大学同学部文芸科卒業 マヤコフスキイ学院でロシア語を学ぶ |
1976年 | 早稲田大学第一文学部ロシア文学科学士入学 |
1979年 | 同校卒業 |
職 歴 | |
1979年 | 中央放送エージェンシーに入社 ソ連・東欧のサーカスや人形劇、演劇を招聘する仕事に携わる 国立ボリショイ舞台サーカス、国立モスクワ中央人形劇場、国立モスクワロメン劇場、国立レニングラードボリショイドラマ劇場、後楽園国立ボリショイサーカス、DDR国立ドイツ動物大サーカスなどの招聘、営業、制作の仕事をする。 |
1988年 | 同社を退社 |
1988年 | 株式会社アフタークラウディカンパニーに入社、現在に至る ここでしてきた仕事は以下の通りです。 「サーカスレストラン」 「クラウンパフォーマンス」 「世界のサーカス」 「フェスティバル・その他」 「劇場コメディー」 |
その他の活動について | |
著作・翻訳 | 書籍ページを参照してください。 |
放送関係 | ミミクリーチ出演コーディネイト(フジテレビ『ポンキッキーズ』) 『地球ジグザグ-モスクワサーカス学校編』のコーディネイト 『情熱大陸-田中美佐子の綱渡り挑戦』のコーディネイト ラジオ・ドキュメンタリー『我にナジェージダ(希望)あり』の企画・構成 (東北放送 1996年) テレビ・ドキュメンタリー『二十世紀大サーカス-沢田豊国境のない旅』の企画・構成(民教協制作、全国放映 1997年) |
会社以外での役職 | |
「サーカス文化の会」事務局長 「石巻若宮丸漂流民の会」事務局長 早稲田大学非常勤講師 (文学部講座『サーカスのコスモロジー』98・99年) (同『ロシア芸術の現在』01・02年) |