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2014.04.28

第17回 秋田・青森 冬の旅 その1

憧れだった五能線に乗り、日本海を北上。ハタハタと太宰と、縄文を訪ねた旅。それは鳥潟小三吉という海を渡ったサーカス芸人の足跡を追う旅の序章でもあった。冬の東北をめぐる旅紀行。

2013年12月6日 大館から能代へ

横浜・富岡の自宅から見た朝焼け

横浜・富岡の自宅から見た朝焼け

東京駅のはやぶさ

東京駅のはやぶさ

 6時すぎに家を出る。朝焼け空がひろがる。こんな空ここからは見たことがないのでは。横浜パンの家に寄って、朝飯用に調理パンを購入。予定より早く横浜駅に着く。時間があったので、パンは非常食用にして、駅そばとおにぎりの朝食をとる。おにぎりがえらいまずくてテンションがぐっと下がる。

 東京8時20分発のはやぶさに乗車。はやぶさに乗るのは初めてではないか……。今日から天気は下り坂ということなのだが、盛岡までは時折青空も、それ以降は雲行きがあやしくなってくる。盛岡過ぎてからはトンネルが続いて、景色なんて何もみえないまま、新青森に到着。ここで奥羽線のつがる4号に乗り換え大館に向かう。新青森で外に出ると、肌を刺すような寒さ、いいねえやはり冬はこうじゃないと。新青森の反対ホームは函館行き特急、こちらの方はそこそこ人がいたが、大館方面に向かうつがるはガラガラ。今回も時刻表を持ってきているのだが、この電車は載っていなかった。どうなっているのだろう。

 新幹線とちがって在来線の特急はいい、なにより走っているときに「カタンコトン」という音が聞こえるのがいい。弘前駅を出るとき、津軽三味線の音楽が流れてきた。大館に着くまでの1時間12分ずっと車窓にひろがる景色を眺める。田んぼに白鳥が群がっているのが目に入る。そういえば11月に東松島に行ったときも同じよう光景を目にした。

碇ヶ関駅

碇ヶ関駅

大舘駅のハチ公像

大舘駅のハチ公像

 大鰐温泉駅から弘南鉄道の電車が出ていた。碇ヶ関という駅を通ったが、ここはかつて関所があったところ、イザベラ・バードが東北を旅していたとき、たしかここで雨のため足止めをくらったところだったはず。

 大館到着。駅前のロータリーに渋谷のハチ公の銅像があった。ここはハチ公の故郷らしい。今日の一番の目的地である鳥潟会館までのバスでの行き方を駅前の観光案内所で聞く。バスは13時36分に出るというので、1時間ほど時間がある。散歩するにもなんもなさそう。花善という飯屋があったのでここで食事をすることにする。比内鶏が名産らしく、鶏めし御前にする。これがなかなかうまかった。とくにじゅんさいの入った味噌汁が美味しかった。この飯屋には自分と同じような中年でひとり旅をしているおっさんが3人ぐらい同じ鶏めし御前を食べていた。みんなつまらなそうな顔をしていた。自分と同じく「大人の休日倶楽部 東北・北陸4日間17000円、JR東日本管内乗り放題」の客なのだろう。自分もつまらなそうな顔をしているのかも……

 バスを待っている間二羽の白鳥が啼きながら飛んでいた。

 このとき思わず「旅に出てみよう、いま住んでいるこの街が、美しく、緑に包まれた心の故郷だったとしても」と口ずさんしまった。確か吉田拓郎の歌だったと思う。こんな歌口ずさむなんてどうしたのだろう、きっと大学以来、口ずさんだことなどないのではないか。

鳥潟小三吉会館の入口

鳥潟小三吉会館の入口

 バスに乗って花岡本郷という停車場まで、25分ぐらいかかった。このあたりで空模様があやしくなってきた。ぽつりぽつりと雨が降り出す。バス停からちょっと迷ったが、鳥潟会館に到着。やはり大きな屋敷である。玄関にあるブザーを押せと書いてあったので、押してみる。まもなく女性がひとり現れ、彼女の案内で屋敷内を見学させてもらう。この建物は京大で教えていた鳥潟右吉という人が、建てたものだという。古民家ブームということもあってここを訪れる人は増えているという。まあ半端じゃない大邸宅であった。さまざまな仕掛けがあるのにも驚いた。ただ自分の目的はこの屋敷ではなく、資料館にある鳥潟小三吉の資料を見ることである。女性は小三吉に結構肩入れしているところがあり、自分が小三吉の資料を見に来るために横浜から来たと言ったら喜んでいろいろなことを話してくれた。なかなか参考になることばかりだ。そして別棟の小さな蔵に作られた資料室に案内される。

鳥潟小三吉コーナー

鳥潟小三吉コーナー

小三吉の衣装

小三吉の衣装

鳥潟会館と空地

鳥潟会館と空き地
(ここに小三吉が洋館を建てた)

小三吉とあぐりの墓

小三吉とあぐりの墓

 小三吉のコーナーはわずかなスペースだが、よく本で見るポスター、衣裳、衣裳を入れる行李など興味深いものばかりであった。

 なぜいまさら小三吉なのか。それはいま作業している「アートタイムズ」11号のタキエさん特集を編集するなかで思いついたことであった。タキエさんと海を渡ったサーカス芸人との結びつきは、澤田豊だけではなかった、澤田よりもっと前の幕末に海を渡った鳥潟小三吉の子孫の方とタキエさんは縁あって仕事をしていた。タキエさんと海を渡ったサーカス芸人のつながりは実はもっと強いものではなかったのか、そんなことが気になったら、小三吉が遺した資料を展示してあるというここに来たくなったわけである。

 案内の女性の話にもあったが、小三吉はたいへんな金持ちで、近くの駐車場のあたりに帰国してから大きな洋館を建てたという。医者になった人よりこっちの小三吉さんの方が案外幸せだったかもねというようなことも話していた。

 ここで近くのお寺に小三吉と最初の妻のフルンネル、そして晩年に妻となったアグリの墓があるというので、すぐ近くにある信正寺へ。お墓探しに時間がかかると思ったが、なにせでかいのであっさり見つかる。立派な、そして新しい墓だったからなのだが、この墓の裏側に三人のものらしい墓があった。

 小三吉とあぐりの間には三人の子どもがあったという。この直系の子孫をたどっていくとなにか資料が出てくるかもしれない。なにも根拠はないのだが、なにかそんな気がしてならなかった。

 バスが出るまで時間があったので、村を歩いてみる。川から煙が出ていたのでなにか思ったら温泉だった。3時44分発のバスに乗って、大館駅にもどる。今日は能代に宿をとっているのだが、電車の時間までは一時間ぐらい時間がある。駅の売店でワンカップを買って、待合室で酒をのみながら待つことに。なぜかここでこんどは「夜汽車に乗って嫁いでいくの」なんて歌が自然に口から出てくる。確かにすっかり日は落ち、暗くなっていたことがあったのかもしれない、自分の中では学生の頃冬に北陸を旅したときのことの情景が浮かんできた。電車が豪雪のために止まって、確か直江津あたりで駅の待合でストーブにあたっていたことを思い出しているうちにこの歌が飛び出してきた。

 待合にあるニュースを見ていたら、今日12月6日がハタハタの日であることを知る。今回は鳥潟会館に来るのと、もうひとつの大きな目的はハタハタを食べることであった。ニュースを見ていたら男鹿の方ではまったく水揚げがないとのことだった。地名は忘れたが、もうひとつの港ではずいぶんたくさんのはたはたが水揚げされていた。

 東能代で乗り換えて、6時過ぎ能代に到着。汽車はクラブ活動を終えた高校生が多く乗っていた。三日前に柔道部の飲み会の時に秋田に17年間住んでいた同期の男が、秋田美人には二通りあって、海岸寄りは色が白くて脚が長くて、なんか外人、そうロシア人ぽっい、内陸の角館あたりはぽっちゃり系がいてなんていう話を聞いていたので、きっと秋田美人と会えるし、そのロシア人系の美人さんたちを拝顔したいものだと思っていたので、電車に乗っている女子高校生を目で探し求めていたのだが、ほとんどむさい男子高校生ばかり、たまに女子高校生がいても、ちょっと違うということで、秋田美人とは巡り会えなかった。これは残念!

能代駅ホーム

能代駅ホーム

能代駅の駅前

能代駅の駅前

 能代駅ホームにはバスケットのためのゴールが。これは前になにかのテレビで見たことがある。駅前に出てびっくり、なにもない。ホテルは線路沿いに歩き、踏み切りを渡ったところにあった。えらい立派なホテル。近くで飯食えないんじゃないかという不安がよぎる。フロントで聞くと歩いて10分ぐらいのところに飲食店街があるという。荷物を置いて、早めに飯を食おうとすぐに出かけるところで、フロントでこの店が結構評判になっていますよと一軒の居酒屋を教えられる。今日はここでとにかくハタハタを食べればいい。

 なかなか立派な飲食店街だ、そそられる店が何軒かあったが浮気せずに教えてもらった店へ。ビールなど飲まず、せっかくなので秋田の地酒からいく。すぐに目に入ったのは、「おとこなかせ」という能代の酒、野毛の福田さんご愛飲の静岡の「おんな泣かせ」を思い出す。そしてもちろん肴の方は、はたはた寿司と、はたはた焼きと比内鶏の焼きとり。店はなかなか混み合っていた。最初に出てきたのがはたはた寿司、これがもう絶品、ちょっと酸っぱくて、卵がこりこりしているあの感触がたまらない。最初はいそがしそうで注文するのもままならぬという感じであったが、二杯目に「やまとしずく」を頼んだあたりでカウンターにいたふたりから声をかけられる。

 「ひとりで飲むなんてかっこいいですね」と最初声をかけられ、こんなことふだん言われたことないもんだから、また調子こいて三杯目にいく。

 四杯目はおやじさんがこれはおごりだと、自分ところのブランドである「べら棒」をだしてくれる。自分は酒を味わうというよりは、肴と一緒に楽しめればいいほうなので、酒についてはあんまり能書きいわずにうまいうまいと飲んでいた。そのうちにハタハタ焼きがでてくる。これもうまい!はたはたのポイントは卵にあることがよくわかる。卵のないハタハタはあり得ないだろう。ますます酒はすすみ、今度はおやじさんが隣に座っていろいろ秋田のことを語りはじめる。どうも県北と県南という分け方があるようだ。でまたもう一杯奢ってもらう。明日はどこに行くのと尋ねられ、五能線に乗ってとりあえずは、五所川原まで行く予定と行ったら、いいんじゃない、でも明日雪だよ、と言われたので汽車に乗っているだけだからと答えると、五能線は雪とか風に弱いんだよねという。海際を走るのだから無理はない、特に予定があるわけじゃなし、止まったら止まったでいいべしということだ。

「べら棒」外観

「べら棒」外観

「べら棒」のおやじさんと

「べら棒」のおやじさんと

 最後にかやき鍋(塩鯨と豆腐とナスが入っていた)と、もう一杯「雪の茅舎」を頼む。これを「ゆきのぼうしゃ」と正しく読んだので、若旦那の方がびっくり、よく知ってますねと言われたので、これ「菅江真澄」の紀行文にでてくるからと言ったら、おやじさんはよく菅江真澄のことを知っていた。

 秋田の酒と秋田の味を堪能した一夜となった。考えてみたらこの店で六合飲んだことになる。すっかりいい気分になっておやじさんと一緒のところを写真に撮ってもらう。こんなことは初めてじゃないか。

続く