第17回 秋田・青森 冬の旅 その2
12月7日 五能線と太宰の故郷探索
昨日はかなり飲んだのと、だいぶ歩いたので熟睡できたようだ。おそるおそるカーテンを開けると、雪は降ってはいないようだ。これから青森に向かい北上するのだから、雪は覚悟しないといけないだろう。昨日横浜パンの家で買ったパンとコーヒーで簡単な朝飯を食べ、能代駅へ。いよいよこれから五能線鈍行の旅である。この汽車に能代から乗り込んだのは、自分をふくめてふたり、彼は完全に鉄ちゃん。でかいカメラを首からぶらさげて、駅でスタンプを押していた。
7時44分いよいよ能代駅を出発。五所川原で下りるまでおよそ4時間の旅となる。ボックス席ひとり占めどころか、一車両貸し切り状態がずいぶん続いた。車窓から見る景色にずっと魅入っていた。そして天気も激しく変わるので、寝ることもなく、ずっと飽きずに海を見つめていた。沢目という駅をすぎたあたりから海が見えてきた。八森駅をすぎて汽車は日本海に沿って走ることになる。時折青空が見えたりするかと思うと、激しく窓を叩きつけるようにあられが降ったりする。遠くに見えた岬のようなところにあった大きな風車がだんだん近づいてくる。このあたりは白神山地の登山口にもなっている。駅の名前が味のあるものばかりだった。艫作駅とか驫木(とどろき)、風合瀬(かそせ)、追良瀬(おいらせ)という駅もあった。みんな海を背後にした小さな駅ばかりだった。ウェスパ椿山という駅は、遠くから見えた風車があるところだったのだが、ここだけはえらいおしゃれな駅だった。千畳敷きを過ぎたところでかすかに岩木山が見えたが、ほんの一瞬だったろう。結局この日は岩木山をこれ以上見ることはなかった。
景色を見ながら、たまに持ってきた谷川俊太郎の詩集を開く。無作為にページを開きながら読んでみる。自分の鈍い感受性にはなかなか詩のことばは入ってこないのだが、今日は入ってくる。例えばこんな詩句が・・・
「ほんとうに出会った者に別れはこない
あなたはまだそこにいる・・・」とか。
単線なので上り電車を待ち合わせることがなんどかあった。日本海をバックに電車の写真を撮って、鉄ちゃんのダメじゃん小出に送る。「さてどこにいるのでしょう?」ということなのだが、すぐに返事。「わかんないす、JR四国?」という。「ブッー」。一応第二ヒント用に行き先のプレート入りの写真を撮って再送。すぐに返事「青森だ」。
千畳敷のあたりで津軽の方に入るのだが、ここでまず上り列車が強風のため遅れているというので20分ぐらい待つことに。中にいるとなかなか実感できないが外はそうとうの風が吹いているのだろう。やっと動き出して次の駅から乗り込んだお客さんが、ずいぶん待ったぞみたいな感じで車掌さんにぼやいていた。確かにみんな小さな駅ばかり、雪とか風の強い日は待つのもたいへんだ。このやりとりを耳にしたら、完全に訛っている。いいもんである。太宰も津軽に帰ってこうした訛りを聞いて故郷を感じたのだろうか。
まもなく五所川原駅、20分ぐらい遅れていたが、途中ぶっ飛ばして定刻に到着。こういうことができるんだね。鯵ヶ沢からは完全に雪景色になる。
五所川原から津軽鉄道に乗り換えて金木、そう太宰の故郷へ向かう。この津軽鉄道、前の方の車両はストーブ列車、300円増しだという。なんとなく観光客相手というのがみえみえだったので、普通の車両に乗り込む。
天気がよければ津軽平野や岩木山も見えるのかもしれない。20分乗って金木に到着。まずは腹ごなしということで駅の上のレストランでしじみラーメンを食べる。昨日飲み過ぎのおじさんにはとてもいいやわらかな感じのスープだった。ここでも中年のひとり旅おっさんが同じくしじみラーメンを食べていた。なんとなく寂しそう・・・きっと自分もあんな風なんだろうな・・・
雨がかなり強く降り始めた中、斜陽館に向かう。駅から10分もかからないのはいいが、この駅にしても町にしても太宰一色。走れメロス通りがあったり、メロスの小説がプレートにそのまま彫られ、全部読めるようになっている(何枚のプレートがあったのかは不明)。
太宰みそに太宰治ラーメン、そして太宰治御膳など太宰だらけ、ちょっとやりすぎだろうな。斜陽館のあと近くの津軽三味線会館へ、ここで津軽三味線のショーを見る。いろんな盆唄があるんだね。
太宰の銅像があるという芦名公園まで歩く。春は桜の名所になるという。途中大粒のあられが降ってくる。立派な公園だ。公園の中に動物園があって熊が一頭うろうろしていたのには驚いた。ちょっと怖い感じ。
寒くなってきたのでちょっとひっかけたくなり、駅の近くに酒の看板がある店に入る。残念ながら酒は売っていなかったが、いろんなものかえらい安い。何故かポテトチップスときなこねじりを買ってしまう。
上り方面のホームに行くと、突然向こうの橋の近くにカラスが群がりはじめる。すごい数になっている。なにか獲物がいたんだろうなあ。
五所川原から青森までは1時間ちょっと。金木の駅でかった「じょっぱり」という酒を飲みながら、青森まで向かう。
青森駅はずいぶんとモダンな駅になっていた。といっても前に来たのは中央放送エージェンシーに入って3年目ぐらいの時だから、30年ぐらい前になる。あの時は駅前に市場があって賑わっていた。さっぱり言葉がわからなかったことがなつかしい。いまはそんな面影はまったくない。雪も積もり、絶え間なく降っている。ホテルまでちょっと迷ったが駅から10分ぐらいで到着。チェックインして、すぐに飲み屋探し。今日はこの雪で足元も悪いので、とにかく近くの居酒屋に入る。忘年会シーズンのピークでほとんど団体客ばかり、テレビを見ながら3合飲んで、締めにハイボール。たつのてんぷらという白子のてんぷらとホタテ味噌が美味かったな。リンゴ餃子はいまいち。
部屋に戻ってフィギアのグランプリ大会を見る。グランプリ大会ではなくどこかの大会に今シーズン初めて登場したということでキム・ヨナのVTRが流れる。「悲しみのクラウン」という曲をつかっていたが、これはsend in the clown じゃないか。あとでこのとき着ていたコスチュームがたくわんみたいだと叩かれることになるのを知る。
寝るには早すぎたので、コンビニで買ってきた缶ハイボールを飲みながら、タキエと海を渡ったサーカス芸人の構成をメモ。
12月8日 三内丸山遺跡探索
朝飯は昨日と同じように家から持ってきたコーヒーと、ホテルのサービスのパン。雪が降っている。9時のバスに乗るために駅に向かう。雪はなとかなるが雪道を歩けるような靴ではなく普通のジョギングシューズなので、今日はあまり歩けないだろう。帰りの新青森からの指定席は買っていたが、場合によったら一本前のはやぶさで帰ろうかと思い始める。とにかくバスに乗って三内丸山遺跡へ。20分ぐらいで到着。立派な施設なのだが、この手のものにしては驚くべきことにすべて無料、太っ腹だ……
ここの写真はいろいろ見ていたが、雪景色はさぞかしと思ったら、それは逆。遺跡を歩き、見るには雪はないほうがいい。ボランティアガイドの説明に途中から参加させてもらう。やはりこういうところは説明を聞いた方がいい。このあとミュージアム見学。ここが素晴らしかった。これだけの遺物が出てきたのかとうっとりしてしまう。特に土偶の美しさ。土器も素晴らしいものばかり。ちょっとの間ではあったが縄文時代のロマンに浸れた。ここへ来て初めてわかったのだがここといま評判の青森県立美術館は隣合わせになっている。遺跡と美術館を結ぶ道もあるらしいが、この雪だし行くのをあきらめた。これはあとでちょっと後悔。無理しても行って一目みるべきだった。
お昼前に青森に戻る、雪も少しやんできたので海の方へ。昔はここから青函連絡船が通っていたのだよね。ということもあって何故か津軽海峡冬景色の碑があり、ずっと石川さゆりの歌が流れていた。
駅前の商店街にある食堂で、刺身定食を食べる。そのあと新青森で1時間近く待ってはやぶさに乗り東京へ。車中の読書は、石巻日日新聞で連載していた自分の小説「我にナジェージダあり」。書き終えてからいままで読み返すという気がまったく起らなかったのだが、もしかしたら旅の中であったら読めるかもしれないと思って持ってきた。破綻があったりしているのではないかといろいろ心配していたが、なかなかちゃんと読めたし、面白かった。面白かったなんていうのはふざけた感想かもしれないが、実際に面白かった。書き終えてから時間もそこそこ経っているということもあって少し距離をおいて読めたということかもしれない。ちょっとうれしかった。
2泊3日の旅。またも東北だった。ひとり旅でよく独り言を言っていた。しかたがないだろう。自分と向き合うとか東北のことを考えるとか、そんなではなくほんとうにぶらっと出た旅、よく酒も飲み、あちこち眺めながら、目的のない旅となったが、楽しかった。こんなちいさな旅を続けていきたい。
大館に着いてバスを待っているときに何故か拓郎のあの唄を口ずさんでいた。
「街を出てみよう 今住んでるこの街が
美しく緑におおわれた 心の故郷だったとしても
街を出てみよう 汽車にのってみよう
話をしてみよう 今話しているその人たちが
やさしく心をうちあけた 愛すべき人たちだったとしても
話をしてみよう 知らない人の中で
恋をしてみよう 今恋しているあの人が
こそこそ私の心の人と 信じれるすばらしい人だったとしても
恋をしてみよう もう一度すべてをかけて」
「好奇心」という歌だった。青春時代の唄かもしれないが、なぜか蘇ってきた。
でも汽車に乗って旅をしようなんて思う最初の動機は、この歌の通りなのだと思う。それはいつまでも変わらないのではないだろうか。
だから自分は旅に出るのだと思う。