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編集後記

2001年2月号

 1月号と2月号では、特集で掲示板をつかった対談をやってみました。いろいろ問題点も見えてきたような気がします。こんどは、またちがうテーマで対談になるか、座談会になるかわかりませんが、やってみたいと思ってます。
 『月刊デラシネ通信』の中で、ずいぶんと原稿を書いた気がします。書きたいことがあった時は、バァーといっちゃうし、書かねばならないと思ったときは、ひとつの足枷のように、テーマを決めて目次で出してしまい、あとで苦しむということの繰り返しです。
 このペースで果たして毎月いくのだろうかと、ちょっと心配しているのですが、まあ行けるところまで行って、あとから考えようという感じです。
 掲示板での対談の他に、今月号でも安部保範氏『挑発』評を転載させてもらいましたが、私だけの原稿でなく、投稿とか、寄稿とかで、他の方々の原稿を紹介していきたいと思っております。
 産経新聞の大型連載企画「日本人の足跡」で、拙著『海を渡ったサーカス芸人』でとりあげた澤田豊のことがとりあげることが決まったと、12月号で紹介しましたが、この記事を書く田伏記者が、いよいよ取材のためドイツとスイスに向かいました。これについても3月号で紹介したいと思ってます。
 「ヤマサキファイル」も全部これで公開されたことになります。
 いまだ一件の情報もないのですが、まだまだ探索は始まったばかり、可能性がある限り、今後も続けてやっていくつもりです。3月号ではちょっと問題を整理したいと思います。
 レザーノフの復権というエッセイを書きましたが、レザーノフについても、いろいろ動きはあります。近々もろもろ報告できるはずです。
 レザーノフと漂流民ヤマサキサーカスクラウンを中心に、しばらくは書いていくようになると思います。
 デスクの大野女史から、手ほどきを受けて、お仕事日誌も自分で更新できるようになりましたので、これからはこれもほぼ毎日更新されるはずです。
 3月号はまた10日ぐらいにアップしたいと思ってます。(クマ)


 はたらきもせず、だらだらと日を送る毎日ですが、先日は久々に忙しくまた充実した1日を過ごしました。
 まずACCにお邪魔してクマ氏のパソコンに日記がスイスイ書けるマジナイをかけ、取って返した渋谷でヤン・シュワンクマイケルなるチェコのアニメ作家の映画を堪能し、急ぎ足にて愚妹と待ち合わせ中野でプラコメ5days第4夜にエヘエヘうふふと笑う。
 1日に3コも予定が入ったのって、ずいぶん久しぶりっす。
 なんてこと言って、ホームページFlash化計画は「そうだ、パソコンは音楽も作れるらしいから、どうせなら音つきのアニメに」なんつー無謀な一歩を踏み出したばっかりにじわじわと延期中。ううー、はたらけ>わし。
 そいえば連載のクラウン断章第2回に関連して、その昔師匠クマ氏から奪った資料の中からエンギバロフの写真とかをスキャンして貼り付けとこうなんて思ってたら、狭い部屋のどこかへお隠れになって出てきやしません。「一本足のワニ」の写真、貼りたかったのになぁ。ね、お掃除もしようよ>わし。
 二葉亭四迷「浮雲」を生まれて初めて読んでいるので、文体影響され気味。ご容赦。(おおのやすよ)


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