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週刊デラシネ通信 今週のトピックス(2001.07.19)
続報・『若宮丸漂流民友の会』結成へ向けて

 先月号の『デラシネ通信』で『若宮丸漂流民友の会(仮称)』結成のための呼びかけをおこないました。引き続き同じ趣旨の案内を、先月東京外語大学で開催された市民学会『日本とロシア』において、約四〇〇部作成し、会場内で配布しました。さらには『日本とユーラシア』(日本ユーラシア協会発行)の7月15日号でも、呼びかけを行いました。また近日中に石巻で発行されている『石巻かほく』でも、レザーノフの辞書翻訳に関連した記事で、本会立ち上げについて紹介される予定です。(友の会会報準備号01で紹介
 いまのところこれといった反応はありませんが、発起人として郷土史研究家の石垣宏氏、東北放送の木村成忠氏、東北大学教授で東北アジア研究センターの平川新氏の3人の方が名乗りをあげていただいてます。心強いかぎりです。
 会の活動内容について、まだ漠然としたイメージしか描けていないのですが、いきあたりばったり、いろいろな人たちの意見を聞きながら、決めていけばいいか、例によって楽観的に考えています。ただ鹿児島のゴンザの会のように、関心のある人たちが、気楽に参加できるような、オープンな会にしたいとは思っています。
 いままでは発起人を募るような呼びかけだったのですが、まずは発起人の方たちに若宮丸漂流民に対する思いのようなものを書いていただいて、会報準備号のようなものを何度かだしていきながら、それをネット上で、または印刷したものを配布しながら、広く呼びかけていきたいと思っています。
 随時これに関しては、『デラシネ通信』で紹介していくつもりです。

 今日は『日本とユーラシア』に掲載した、私の原稿を紹介します。
 なおこの号では、「漂流民の研究・顕彰の市民活動もりあがる」と題し、若宮丸漂流民だけでなく、鹿児島のゴンザの会、大阪のデンベイの会、鈴鹿の大黒屋光太夫の会などの活動についての特集が組まれています。漂流民に関心のある方には必見だと思います。
 ちなみに日本ユーラシア協会のHPは、http://www.kt.rim.or.jp/~jes/デス。


世界一周した漂流民-若宮丸漂流民友の会をたちあげたい

 二百年以上も前、鎖国下にあった江戸時代に、世界一周をしていた日本人がいたことを知る人はあまりいないのではないだろうか。
 16名の乗組員と米と材木を載せた若宮丸は、宮城県石巻港を出帆し江戸に向う途中、鹿島灘沖で嵐に遭遇、難船した船は、約半年間北太平洋を漂流し、アレウト列島の小島に漂着する。漂着直後船頭が病死するが、残り15名は、ロシア人によってオホーツクに連れられたのち、イルクーツクに送り届けられる。ここで約七年間過ごした後、乗組員はペテルブルグへ召還された。この時帝都で皇帝アレクサンドル一世に謁見したのは10人。うち4名が日本に帰国を希望し、当時ロシアが準備していたロシア初の世界一周就航船ナジェジダ号で、長崎に送還されることが決まった。アジア、欧州、アフリカ、南北アメリカを遍歴すること九万里、4人の漂流民は世界一周をして、1804年9月長崎に到着する。津太夫ら4人の漂流民は、初めて世界一周をした日本人となった。
 ロシアに渡った漂流民というと薩摩のゴンザ、伊勢の光太夫らがよく知られているが、なぜか世界一周という希有な体験をしたのにもかかわらず、若宮丸漂流民についてはあまり知られていない。ロシアという国に関わりをもち、仕事をしていた私にとって、自分の生まれ故郷である石巻の漂流民の足跡をたどることは、なかば使命のようなところがあった。
 『魯西亜から来た日本人−漂流民善六物語』、さらには漂流民を日本に連れてきたレザーノフが日本滞在中に残した日記『日本滞在日記』の翻訳と、若宮丸漂流民に関して、二冊の本を出しているが、まだ仕事は終わっていないと思っている。自ら帰化を望んだ善六たちのその後、イルクーツクで亡くなった漂流民たちの墓の行方、レザーノフが残したもう一冊の日本語辞書についてなど、まだ調べなくてはならないことが残っている。
 これを私ひとりの手で調べるのは、どうしても限界がある。そして何よりも、若宮丸漂流民という存在自体、知らない人が多い。若宮丸に関心をもつ人たちが集まり、サークルというか、友の会のようなものをつくり、仲間を増やし、そして若宮丸漂流民のことを多くの人に知ってもらうことができないか、とだいぶ前から考えていた。ここで若宮丸に関心ある人々を募り、まずは会をたち上げ、それぞれの分野での調査活動を深め、さらに若宮丸漂流民の足跡を紹介する、いわば広報活動のようなものを展開していきたいと思っている。
 具体的に、まずは機関誌を発行したい。ここで若宮丸漂流民にまつわるさまざまな謎を整理しながら、その調査報告していくこと。そして彼らが体験した漂流、異国での体験、世界一周の航海のドラマを多くの人々に知ってもらうこと、そのふたつを軸にしていきたい。
 さらに漂流民研究のデーターベースもつくっていきたいと思っている。若宮丸の漂流談に関しては、さまざまな異本が出回っている。これをリストアップしていく作業からはじめる必要があるだろう。また漂流民のうち、日本に帰国してきた寒風沢の津太夫や、室浜の太十郎、儀兵衛については、寺に残された過去帳や、墓などの存在が確認されているが、善六をはじめてとした石巻出身の乗組員については、過去帳などの調査がされていない。彼らの出自を探ることも大きな作業となるはずだ。ロシア語の資料で、翻訳されていない文献もいくつかあるので、それも紹介したい。そしてこの機関誌を、宮城県内の小学校や中学校に配布することができないかとも考えている。そのためには石巻を中心とした地元と連携することが必要となるだろう。
 また機関誌だけでなく、インターネットをつかいながら、リアルタイムで情報を交換する場もつくりたい。まずは機関誌創刊準備号のようなものを何号かつくりながら、仲間をふやしていきたいと思っている。いまは言い出しっぺを集めているところ、まだまだ正式にスタートというわけではないが、地元のひとたちとスクラムを組みながら、なんとか会を立ち上げていきたいと思っている。


---> 2001年12月8日、石巻若宮丸漂流民の会が設立されました。


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