月刊デラシネ通信 > その他の記事 > 編集後記 > 2001年1月号

編集後記

2001年1月号

 今回から『月刊デラシネ通信』の新たな試みとして、林史樹さんと対談をはじめました。林さんもサーカスもの、ロシア語でいうツィルカッチのひとりなのかもしれません。かつて一緒に寝食を共にしたサーカスのことを語る林さんは実に生き生きしています。この対談をひとつのきっかけに、ぜひ10か月の韓国サーカス放浪記をまとめてもらいたいと思います。
 2月号でもこの対談をもっとふくらませていきたいと思います。途中割り込みにしてもらったほうが、もしかしたらもっと話があっちこっちいって面白い展開になると思います。
 皆さんの参加お待ちしています。

 加藤哲郎先生との共同でヤマサキ・キヨシルーツ探しも本格的に始まりました。いまのところ寄せられた情報はゼロです。そう簡単には見つかるものだとは思っていません。根気よく、続けるしかないと思います。なんとか来月号の中で、ヤマサキファイルの全文を紹介していくつもりです。

 まだまだアクセス数は少ないですが、『月刊デラシネ通信』でやろうと思うことが、少しは見えてきたような気がしています。
 手前味噌ですが、月刊誌のスタイルをとったことで、継続性とその時どきのトピックをミックスさせることができたように思ってます。
 情報のやりとりだけでなく、もっと突っ込んだところで、関係性が生まれたらいいのかなと、それがもしかしたら『月刊デラシネ通信』のめざすところかもしれません。ただ敷居が高いのかもしれません。もっともっと自然体でクロスできるよう、いろんなことを試行錯誤しながらやるしかないのでしょう。

 ところで私は、25日から2月3日まで仕事でウクライナのキエフに行ってきます。
 また帰ってきたら、キエフでの出来事も報告できるはずです。
 こんな事情もあり、2月号は2月10日頃にアップということになるでしょう。
 来月も林さんとの対談は続けます。
 ヤマサキの調書もどんどんアップしていきます。
 神彰追跡レポートはお休みさせていただき、次号からいままで書いてきた神彰伝の一部を公開します。
 来月の大きな目玉として、いま考えているのは、レザーノフの『日本滞在日記』に関連して、レザーノフ長崎来航時の通訳のひとり中山作三郎が書いた日記のことです。
 一昨年長崎のシーボルト記念館に保管されているこの日記のコピーをとったのですが、やっと今年になって読み始めました。
 レザーノフの日記とてらしあわせて読んでいるのですが、実に面白いのです。
 最初の日露交渉の舞台裏が、かなり詳細に見えてきました。未公開のこの日記を読んでの、私なりの感想、そして問題点などをとりあえず報告します。
 今回のクラウン断章は、フェリーニの道化師に関して書いたエッセイです。
 『海を渡ったサーカス芸人列伝』は、たぶん来月はお休みになると思います。

 今回キエフ出張のため、2月1日私がプロデュースした『ダメじゃん小出・元気いいぞうバトルライブ「挑発」』が、見れなくなりました。これがなんといってもくやしい。きっとスリリングなライブ、生温いお笑いに風穴をあける、そんな公演になるはずなのに。それを見れないのがとてもくやしいのです。
 お時間のある方、是非見てください。歴史に残るライブになるはずです。
 そして見た方は、どうぞその感想を掲示板でもいいし、メールでもいいので知らせてください。(クマ)


 えー、管理人のおおのです。と思ったら今号から「デスク」に昇格(?)だそうで編集後記も書くようにとのお達しです。よぉし、書くぞ。
 クマさんノッてますね。月刊化で加速気味。2月号の記事はきっとドライブがかかっていることでしょう。思えば私が大島(クマ)さんと知り合うきっかけとなった『サーカスと革命』もその熱っぽいスピード感ある文体にひかれたのでありました。来月が楽しみ。
 でもね。クマさん、豪快なのはヨイのですが、細かいことを気にしてくれないの。「今月のトピックス」のサブタイトル、「ヤマサキ・キヨシの尋問調書」ってなってるけど、きっともうっていうのはないと思うの。お仕事日誌は1月17日が2回あったりするの。更新するときには、私がアップしておいたヤマサキ・ファイルを消しちゃったりするの。
 そんなわけで、編集・発行人に負けないよう、わたくしもなるべく豪快なHP制作態度で臨んでいこうと決意する今日この頃でした。
 お読みになる方も、「Not Found(ページが見つかりません)」とかが表示されても豪快な気持ちでまた見に来てくださいね。2〜3日で復旧しますからー。

 来月は私も自分のHPを立ち上げよーっと。こちらはFlashという動画ソフトの実験場にする予定です。(おおのやすよ)


目次へ デラシネ通信 Top 前へ | 次へ