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2014.01.08 / 更新2015.04.28

これまでの桑野塾 第21回~第30回

第21~30回 桑野塾の開催概要と内容です。

  • 第21回 『小栗虫太郎の世界』
        ●「虫太郎周辺の人々とサーカス」大島幹雄
        ●「ケルト・ルネサンス――虫太郎の創った世界」山口雄也
  • 第22回 『満映の世界』
        ●「甘粕以前の初期満映について」上田 学
        ●「映画『私の鶯』に関わった人々~日露文化交流史の影のなかで」井上 徹
  • 第23回 『勝野金政 ソルジェニツィン・ハウス講演会報告』
        ●「80年ぶりのロシア帰還――作家・勝野金政の使命を届けて」稲田 明子
        ●「革命の消えたロシア、ロックと愛国のメーデー」加藤 哲郎
  • 第24回 ●「「新レフ」と中国――セルゲイ・トレチヤコフと「吼えろ支那!」の場合」春名 徹
  • 第25回『 1930年代のロシアアヴァンギャルドとサーカス 』
        ●「『賢人』から『サーカス』へ」大島 幹雄
        ●「ロトチェンコの二つのサーカス」河村 彩
  • 第26回『『チェマダン』からのメッセージ』
        ●「『チェマダン』からのご挨拶」八木 君人
        ●「現代ロシアのパフォーマンス・アート」伊藤 愉
  • 第27回 ●「大田黒元雄と『露西亜舞踊』──1914年のバレエ・リュス体験」沼辺 信一
  • 第28回 『音楽2題』
        ●「黒海をめぐる音楽と映像──ヴィンセント・ムーンを手がかりに」嶋田 丈裕
        ●「パリの牢に死す──亡命ロマンス歌手プレヴィツカヤの生涯」武隈 喜一
        小展示会「ロマンス歌手の楽譜」
  • 第29回 ●「日本で印刷されたロシアの紙幣」鈴木 明
        ●「サーカスの可能性を追う──サーカス・フォーラムに参加して」大島 幹雄
  • 第30回 ●サーカスの新たな視座を拓く!「文化空間のなかのサーカス」桑野 隆

第21回
小栗虫太郎の世界
●「虫太郎周辺の人々とサーカス」大島 幹雄
●「ケルト・ルネサンス――虫太郎の創った世界」山口 雄也

  • 2014年1月25日(土) 午後3時~6時
  • 早稲田キャンパス16号館820号室

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「虫太郎周辺の人々とサーカス」大島 幹雄

 山口さんの前座として、虫太郎と関連づけられる人たち――松山俊太郎、澁澤龍彦、種村季弘らとサーカスの意外な関係についてお話しします。

大島 幹雄(サーカスプロデューサー)

「ケルト・ルネサンス――虫太郎の創った世界」山口 雄也(やまぐち・かつや)

「黒死館殺人事件」初出『新青年』挿絵 1934

「黒死館殺人事件」初出『新青年』挿絵 1934

映画「巨人ゴーレム」ポスター 1920

映画「巨人ゴーレム」ポスター 1920

19世紀アイルランド城館図

19世紀アイルランド城館図

 戦後すぐに亡くなった小栗虫太郎は、以降のミステリー隆盛の中でも、他の作家の追随模倣を許さない作品が多い作家です。彼の代表作『黒死館殺人事件』は衒学的な語彙を無数に含んでおり、その多岐にわたる魅力に惹かれて、出典の探索を続けてきました。

 今回は黒死館建築のキーワードとなる「ケルト・ルネサンス式」という言葉から、彼の作りあげた語彙の迷宮に迫ります。大正期に素養を培った虫太郎の文学的背景を、当時流行したアイルランド文学研究と表現主義の面から見てみようと思います。

山口 雄也(黒死館愛好家)
→「黒死館古代時計室」

★会場にて、「黒死館逍遥総集編CDROM」、「虫太郎資料集ダクダク1-3 号」、「黒死館殺人事件的絵葉書集」を販売します。


小栗虫太郎(おぐり・むしたろう 1901-46)
探偵・伝奇小説作家。東京生れ。1933年に「完全犯罪」を発表、その異色の素材と清新なスタイルで探偵文壇の注目の的となった。翌年の長編「黒死館殺人事件」は絢爛たる抽象論理の世界を構築したユニークな作である。その後は新伝奇小説と銘うって、「二十世紀鉄仮面」など、異国情緒を底流にした怪奇ロマンを生んだ。
kotobank.jp/世界大百科事典 第2版より)

第22回
満映の世界
●「甘粕以前の初期満映について」上田 学
●「映画『私の鶯』に関わった人々~日露文化交流史の影のなかで」井上 徹

  • 2014年4月26日(土) 午後3時~6時
  • 早稲田キャンパス16号館820号室

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「甘粕以前の初期満映について」上田 学

洪熙街に建設された撮影所の完成予想図・模型 雑誌『満洲映画』1巻1号(1937年)より

洪熙街に建設された撮影所の
完成予想図・模型
雑誌『満洲映画』1巻1号(1937年)より

 1937年に「満洲国」の国策会社として誕生した満洲映画協会(満映)は、従来、甘粕正彦が理事長に就任した1939年以降を中心に語られてきた。甘粕以前の満映は、その製作体制の「未熟さ」から映画史において批判的に語られ、関心を集めてこなかったのである。
 しかし、この時期は雑誌刊行や俳優養成など、のちの満映の発展にもつながる活動が展開されていた。本発表は、演員訓練所出身の女優の活躍や、芥川光蔵らによる満鉄映画製作所の活動も視野に入れて、初期満映にあらためて照明をあててみたい。

上田 学(早稲田大学演劇博物館招聘研究員)

「映画『私の鶯』に関わった人々~日露文化交流史の影のなかで」井上 徹

李香蘭 雑誌『満洲映画』4巻3号(1940年)表紙より

李香蘭
雑誌『満洲映画』4巻3号(1940年)表紙

 『私の鶯』は、東宝が満洲映畫協會(満映)と共同で製作した日満合作映画です。女優・李香蘭の代表作のひとつとされる作品にもかかわらず、製作時には公開されなかったというのが定説とされています。果たしてこの作品は、いかなる素性の作品だったのでしょうか。
 日ロ文化交流史の闇の結節点ともいえるこの作品に関わった人々の群像を紹介しつつ、この影に少しばかり光を当ててみたいと思います。

井上 徹(エイゼンシュテイン・シネクラブ(日本)副代表/日本ユーラシア協会副理事長)

第23回
勝野金政 ソルジェニツィン・ハウス講演会報告
●「80年ぶりのロシア帰還――作家・勝野金政の使命を届けて」稲田 明子
●「革命の消えたロシア、ロックと愛国のメーデー」加藤 哲郎

  • 2014年5月17日(土) 午後3時~6時
  • 早稲田キャンパス16号館820号室

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勝野金政(1901-84年)

勝野金政(1901-84年)

勝野金政「赤露脱出記」(1934年)

勝野金政「赤露脱出記」(1934年)

 ラーゲリから奇跡の生還を果たし、スターリン体制を告発した“日本のソルジェニツィン”勝野金政(1901-84年)。
 今年4月28日、ロシアで初めて勝野を紹介する写真展「ソビエト・ロシア時代のひとりの日本人の運命――スターリンのラーゲリにおける作家 勝野金政」が、モスクワのソルジェニツィン・ハウスで開催された。
 そのオープニングを記念して講演した勝野金政の長女・稲田明子さんと加藤哲郎さんによる報告。

第11回桑野塾「勝野金政」

「80年ぶりのロシア帰還――作家・勝野金政の使命を届けて」稲田 明子

講演会での稲田さん(右端)と加藤さん(左から2番目)

講演会での稲田さん(右端)と
加藤さん(左から2番目)

 勝野金政の長女である稲田明子さんが、今回の講演をなさった経緯と講演の内容について、旅の印象も交えて報告いたします。

「革命の消えたロシア、ロックと愛国のメーデー」加藤 哲郎

 1972年、1993年に続いて、ほぼ20年ごと3回目となった今回のペテルブルグ訪問で、その都度レニングラード=ペテルブルグの日本語ガイドの観光案内を聞いてきた経験をもとに、モスクワの愛国メーデー、ソルジェニツィン・ハウスやウクライナ・クリミア問題の印象などを語ります。

加藤 哲郎(早稲田大学大学院政治学研究科客員教授)

第24回
●「「新レフ」と中国――セルゲイ・トレチヤコフと「吼えろ支那!」の場合」春名 徹

  • 2014年6月14日(土) 午後3時~6時
  • 早稲田キャンパス16号館612号室

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「「新レフ」と中国――セルゲイ・トレチヤコフと「吼えろ支那!」の場合」春名 徹

1920年代後半、革命期のソビエトから見た中国の姿とは――

セルゲイ・トレチャーコフ(1892-1939)

セルゲイ・トレチヤコフ
(1892-1939)

『新レフ』表紙
(1927年4号) 『新レフ』表紙
(1928年3号)

『新レフ』表紙
(左・1927年4号/右・1928年3号)

トレチャコーフ『吼えろ支那』表紙(1926年、モスクワ)

トレチヤコフ『吼えろ支那』表紙
(1926年、モスクワ)

 北京大学のロシア語科の創設者であり、レフや新レフの詩人、評論家であったセルゲイ・ミハイロヴィッチ・トレチヤコフ(1892-1939)。彼は自分の学生だったある中国青年の聞き書き伝記『鄧惜華(トン・シファ)――中国の命運』によって同時代中国の息吹をロシアとヨーロッパに伝えた。またブレヒトの中国情報の主な提供者でもあり、その詩『中国よ吼えよ』のイメージは、メイエルホリド劇場の同名の劇を生んだ。その«Рычи, Китай»=『吼えろ支那!(砲艦コクチフェル)』=『怒吼吧中国!』における帝国主義の象徴として観客にのしかかる大砲のイメージは、明らかに『戦艦ポチョムキン』の影響を受けており、日本で、中国で広く上演され、当時の対中国非干渉運動すなわち「支那から手をひけ!」に大きく影響を与えたのである。
 蜂起する中国のイメージは、一方でブレヒトの『トゥーランドット』『セチュアンの善人』『メ・ティ』へ、他方で新感覚派の横光利一『上海』、ソビエト映画『上海ドキュメント』や亀井文夫の『上海』の名高いトラックショット、そして佐藤信の『ブランキ殺し上海の春』へと通底する。このようなトレチヤコフのヴィジョンを通じて同時代中国の意味を考えてみたい。

* レフ(«Леф»=芸術左翼戦線、1923~25年)/新レフ(«Новый Леф»=新芸術左翼戦線、1927~28年):いずれもロシア(当時はソビエト連邦)の雑誌。
* 本文中ではあえて歴史的な用語として「支那」を用いました。

春名 徹(はるな・あきら)
1935年東京生まれ、東京大学で東洋史を学ぶ。中央公論社で編集歴21年と3か月。
その後、短大の先生とかやってました。
著書に『にっぽん音吉漂流記』(晶文社)『北京――都市の記憶』(岩波新書)など。

第25回
1930年代のロシアアヴァンギャルドとサーカス
●「『賢人』から『サーカス』へ」大島 幹雄
●「ロトチェンコの二つのサーカス」河村 彩

  • 2014年7月12日(土) 午後3時~6時
  • 早稲田キャンパス16号館820号室

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「『賢人』から『サーカス』へ」大島 幹雄

ソ連映画『サーカス』とは何だったのか

『サーカス』(1936年)ポスター

『サーカス』(1936年)ポスター
ロシア版Wikipediaより

 20年代アヴァンギャルドがサーカスにいっせいに向かったなか、最もサーカス的な作品となった『賢人』(エイゼンシュテイン演出、1923年)の中で、主役を演じ、高度なテクニックを要する綱渡りを演じたアレクサンドロフが監督した映画『サーカス』(1936年公開)。空前のヒットとなったこの映画は、アヴァンギャルドの精神から遠く離れたものだった。
 この映画が意味するものをあらためて検証することによって、アヴァンギャルドたちがサーカスに賭けた夢のありかを探る。

 

●大島 幹雄(おおしま みきお)
サーカスプロデューサー。著書に『サーカスと革命』(水声社)、
『明治のサーカス芸人はなぜロシアに消えたのか』(祥伝社)など。

「ロトチェンコの二つのサーカス」河村 彩

幻の“サーカス特集号”の写真と絵画作品

ロトチェンコのサーカス写真

ロトチェンコのサーカス写真

『建設のソ連邦』表紙

『建設のソ連邦』表紙

ポスター「あらゆる知についての書籍」

ポスター「あらゆる知についての書籍」

アレクサンドル・ロトチェンコ(1891-1956)

アレクサンドル・ロトチェンコ
(1891-1956)

 構成主義のリーダーとして数々の家具デザインやグラフィックデザインを生み出したアレクサンドル・ロトチェンコは1920年代後半からは写真を手がけ、ソヴィエト写真のパイオニアとしても活躍しました。1930年代以降、ロトチェンコはグラフィック雑誌『建設のソ連邦』において数々のフォト・オーチェルク(写真エッセイ)を手がけました。1940年、『建設のソ連邦』はソヴィエトのサーカスについての特集を企画し、ロトチェンコはサーカスに足しげく通ってはアクロバットや動物の様子をフィルムに収めました。しかし第二次世界大戦の戦火が激しくなったため、この特集号が発行されることはありませんでした。
 今回の発表では近年出版されたロトチェンコのアルバムに収録されたものを中心に、幻に終わったサーカス特集号の写真を考察します。また写真家として活躍する一方で、ロトチェンコは公に発表することなく私的に絵画を描いていました。これらの絵画の中にはサーカスをモチーフにしたものが多数あります。写真と絵画の二つを対象に、ロトチェンコにとってのサーカスを考察します。

●河村彩(かわむら あや)
ロシア・アヴァンギャルド美術を専門に研究し、
東京都内の大学で非常勤講師をつとめる。

第26回
『チェマダン』からのメッセージ
●「『チェマダン』からのご挨拶」八木 君人
●「現代ロシアのパフォーマンス・アート」伊藤 愉

  • 2014年10月11日(土) 午後3時~6時
  • 早稲田キャンパス16号館820号室

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気鋭の研究者が“トランク(チェマダン)”に詰め込んだ
旧ソ連圏、東欧諸国の芸術・文化のいま!

雑誌『チェマダン』ロゴ

雑誌『チェマダン』ロゴ

雑誌についての詳細はhttp://chemodan.jp/blog/を参照

※チェマダン(ЧЕМОДАН):ロシア語でトランク・スーツケースの意

「『チェマダン』からのご挨拶」八木 君人

幻の“サーカス特集号”の写真と絵画作品

『チェマダン』第4号

『チェマダン』第4号

 伊藤愉、河村彩、八木君人の三名は、ロシアを中心に、旧ソ連圏、東欧諸国の現在の芸術・文化を紹介すべくPDF雑誌『チェマダン』(http://chemodan.jp)を起ち上げました。毎号、編集部の独断と偏見で「この人なら面白い記事を書いてくれそうだ」と思われる、今、活躍している若手研究者を中心に原稿を依頼し、10本程度の記事を掲載しています。とはいえ、創刊準備号の発行が2013年3月4日で、今回の桑野塾が開催される頃には最新号の第5号が出るくらいの、まだまだ「若い」雑誌です。この雑誌が想定している読者は、実は、「ロシアや旧ソ連圏、東欧諸国」といったかつて「東側」と呼ばれたある特定の地域に愛着がある人というよりは、むしろ、そういう枠組みとは無関係に、広く現在のアートや文化全般に関心を持っている人です。
 『チェマダン』を契機として、それら地域の現在の文化が、日本語話者にとってより近しいものとなり、現代の日本のアートシーンや文化活動に対して、少しでも何か刺激を与えられればと思いながら、われわれはこの「雑誌」を起ち上げました。今回の桑野塾では、こうした『チェマダン』のコンセプト、これまでの記事の内容、雑誌以外の活動等を紹介し、もし時間が許せば、『チェマダン』最新号の記事から一つをとりあげ、その内容について少し掘り下げて説明したいと思います。

●八木君人(やぎ なおと):早稲田大学文学学術院専任講師。
ロシア・フォルマリズム、ロシア・アヴァンギャルド、ロシア散文史が専門。『チェマダン』編集委員。

「現代ロシアのパフォーマンス・アート」伊藤 愉

オリガ・クロイトル『無題』

オリガ・クロイトル『無題』

アンドレイ・クズキン『円に沿って』

アンドレイ・クズキン『円に沿って』

 近年ロシアでは、「パフォーマンス」が注目を集めています。今年(2014年)10月17日から12月5日には、現代文化センター「ガラーシュ(ГАРАЖ)」で、「ロシアにおけるパフォーマンス:歴史の製図」が企画され、ロシアのパフォーマンス・アートを考察し直す試みがなされています。この展覧会に先立って、ガラーシュは2010年より定期的にパフォーマンス関連の展示、レクチャー、国際カンファレンス等を企画してきました。こうした一連の企画展に合わせて、ガラーシュは2014年初頭にローズリー・ゴールドバーグ著『パフォーマンス――未来派から現代まで』の露訳版を出版しています。
 ガラーシュは、これまでの企画展においてロシア語の「перформанс(パフォーマンス)」を西洋の文脈といかに接続させるか、ということを意識してきました。対置されるロシアの文脈というのは、ゴールドバーグが著書の中でも触れているロシア未来主義を中心としたロシア・アヴァンギャルドの活動であり、また70年代の集団行為やグネズド(巣)によるソッツ・アートといった非公式芸術等であり、ロシア独自の西洋とは断絶した(と彼らが考える)文脈での豊かなパフォーマンスの実践でした。今回の発表では、こうしたガラーシュの活動を簡単に振り返りつつ、現代ロシアでどのようなパフォーマンス・アートが実践されているか、を報告します。

●伊藤愉(いとう まさる):一橋大学大学院博士課程。
ロシア国立演劇大学(GITIS)に3年間留学。ロシア演劇史が専門。『チェマダン』編集委員。

第27回
●「大田黒元雄と『露西亜舞踊』──1914年のバレエ・リュス体験」沼辺 信一

  • 2014年11月8日(土) 午後3時~6時
  • 早稲田キャンパス16号館820号室

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「大田黒元雄と『露西亜舞踊』──1914年のバレエ・リュス体験」沼辺 信一

ゴンチャローワによる《金鶏》舞台デザイン(1914年初演)

ゴンチャローワによる《金鶏》舞台デザイン(1914年初演)

 

大田黒 元雄(1917年)

大田黒 元雄(1917年)

大田黒の著作『露西亜舞踊』(音楽と文学社、1917年刊)

大田黒の著作『露西亜舞踊』
(音楽と文学社、1917年刊)

1914年ロンドン、21歳の大田黒青年は舞台に魂を奪われた

 一昨年・昨年に続き、百年前の日本人のバレエ・リュス体験をたどるシリーズの最終回。
 1913年秋、ニジンスキー退団という危機を招いたディアギレフは、必死の努力で劣勢を挽回し、翌14年のバレエ・リュス公演を成功に導きます。ロンドン留学中だった21歳の大田黒元雄(おおたぐろ・もとお 1893~1979)はこの連続興行に通いつめ、『金鶏』(R=コルサコフ曲)でゴンチャローワの華麗な舞台装置に目をみはり、『ペトルーシュカ』でストラヴィンスキーの先鋭的な音楽に打ちのめされました。帰国後の大田黒はそのときの体験を糧に、音楽評論の道を歩み始め、1917年には『露西亜舞踊』を刊行、自らの見聞をつぶさに書き留めています。
 日本におけるバレエ受容史上、画期的な出来事となった「1914年のバレエ・リュス体験」の一部始終を紹介します。

●沼辺信一(ぬまべ しんいち):編集者・研究家。
ロシア絵本の伝播、日本人とバレエ・リュス、
プロコフィエフの日本滞在など、越境する20世紀芸術史を探索。
ブログ http://numabe.exblog.jp/

第28回 音楽2題
●「黒海をめぐる音楽と映像──ヴィンセント・ムーンを手がかりに」嶋田 丈裕
●「パリの牢に死す──亡命ロマンス歌手プレヴィツカヤの生涯」武隈 喜一

  • 2014年12月13日(土) 午後3時~6時
  • 早稲田キャンパス16号館820号室

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パリからロシア・ウクライナへ――現代の映像作家ヴィンセント・ムーンと、
ロシアからパリへ――ロシア革命期のロマンス歌手プレヴィツカヤを追う

「黒海をめぐる音楽と映像──ヴィンセント・ムーンを手がかりに」嶋田 丈裕

Нур-Жовхар(チェチェン) Vincent Moon / Petites Planètesより

Нур-Жовхар (チェチェン)

The Bambir(アルメニア) Vincent Moon / Petites Planètes より

The Bambir(アルメニア)

Ayşenur Kolivar(トルコ) Vincent Moon / Petites Planètes より

Ayşenur Kolivar(トルコ)

Vincent Moon / Petites Planètes より
(3点とも)

 パリ出身の映像作家ヴィンセント・ムーンは、手持ちカメラを持って世界各地を旅し、その音楽を撮影、録音するCollection Petites Planètesプロジェクトを2008年に始め、ネットレーベルや動画投稿サイトで発表してきている。その音楽はプロ、アマチュアを問わず、また、宗教儀礼やサウンドスケープも含んでいる。2012年、2013年にはロシア、ウクライナ、コーカサスを旅し、その音楽と映像は“OKO - carnets de Russie”(ロシア)、“(((Музопис))) - musical portraits of Ukraine”(ウクライナ)、“Traces of Crimea”(クリミア)などとシリーズ化されいている。また、彼は2011年にはトルコ・イスタンブールを訪れ、そこでも撮影、録音を行っている。
 数多あるヴィンセント・ムーンの映像の中から黒海沿いに焦点を当て、関連する他の音源、映像も併せ、多様な音楽がとりまく黒海をめぐる。

●嶋田 丈裕(しまだ たけひろ)
技術系の研究員として働く傍ら、欧米のジャズ/即興や
アンダーグラウンドなロック、クラブ・ミュージックなどの音楽を追いかけている。
Webサイト:TFJ’s Sidewalk Cafe

「パリの牢に死す──亡命ロマンス歌手プレヴィツカヤの生涯」武隈 喜一

Надежда Плевицкая (1884-1940) ロシア版Wikipediaより

Надежда Плевицкая (1884-1940)
ロシア版Wikipediaより

 歌が歌いたくて修道院に入ったクールスクの農家の少女が、放浪のサーカス一座に惹かれて仲間入りし、やがて民謡とロマンスによって、ヴェルチンスキーらとともにカフェの花形となる。
 ロシア革命後は白衛軍とともにパリに亡命し、亡命者にとっての第二の国歌と言われる〈ロシアよ、おまえは雪に埋もれて…〉などを歌うが、30年代後半、ソ連のスパイとして亡命将軍誘拐に関わったとしてフランス政府に逮捕され、レンヌの牢獄で死んだロマンス歌手ナジェージダ・プレヴィツカヤ(Надежда Плевицкая 1884-1940)の波乱の生涯を、その歌とともに辿る。

●武隈 喜一(たけくま きいち)
1957年生まれ。東京大学露文科卒業。
編訳書『ロシア・アヴァンギャルド』 1 未来派の実験、2 演劇の十月(国書刊行会)他。

小展示会 ロマンス歌手の楽譜
ロマンス歌手の楽譜

1910年代、20年代のロシアのロマンス歌手、ヴェルチンスキー、クレーメル、プレヴィツカヤらの楽譜を展示します。

第29回
●「日本で印刷されたロシアの紙幣」鈴木 明
●「サーカスの可能性を追う──サーカス・フォーラムに参加して」大島 幹雄

  • 2015年1月24日(土) 午後3時~6時
  • 早稲田キャンパス16号館703号室

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「日本で印刷されたロシアの紙幣」鈴木 明

日本で印刷されたロシア紙幣(20ルーブル)

日本で印刷されたロシア紙幣
(20ルーブル)

 石井柏亭が雑誌『中央美術』大正9年4月号に寄稿した『若き露人の群』の中に、ダビッド・ブルリュークの知人ニェダシコフスキーが、凸版印刷所でデザインしたロシア紙幣がでてくる。このニェダシコフスキーの紙幣は、実際に発行されたのだろうか……

 ある偶然の発見を手掛かりにこの幻の紙幣を追ったロシア貨幣コレクター斎田章氏からの報告をもとにして、この謎を追う。

●鈴木 明(すずき あきら)
1939年生まれ。「日ソ学院」でロシア語を学ぶ。
ロシア語の機械マニュアル作成に従事。
ブルリュークの調査を2001年出版の「大島」から始める。

「サーカスの可能性を追う──サーカス・フォーラムに参加して」大島 幹雄

フォーラムに合わせて開催されたチニゼリ・サーカス「パントマイムと夢幻劇展」ポスター

フォーラムに合わせて開催された
チニゼリ・サーカス
「パントマイムと夢幻劇展」ポスター

 2014年12月7日から3日間ロシア・サンクトペテルブルグで開催されたサーカス・フォーラムに参加・報告した。フランスのコンテポラリー・サーカスDefractoの公演、サーカスや野外劇の演出をめぐっての討議には、昨年メイエルホリドセンターで公演されたロシア初のコンテンポラリーサーカス「360度」の演出家やソチオリンピックの開閉幕式を演出したダニエル・フィンジ・パスカも報告、サーカスや野外劇の歴史を振り返りながら、サーカスの未来の可能性について熱い論議がかわされた。
 その一部を映像を含めながら紹介する。

●大島 幹雄(おおしま みきお)
サーカスプロデューサー。著書に『サーカスと革命』(水声社)、
『明治のサーカス芸人はなぜロシアに消えたのか』(祥伝社)など。

第30回
●サーカスの新たな視座を拓く!「文化空間のなかのサーカス」桑野 隆

  • 2015年4月18日(土) 午後3時~6時
  • 早稲田キャンパス16号館612号室

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●サーカスの新たな視座を拓く!「文化空間のなかのサーカス」桑野 隆

オリガ・ブレニナ=ペトロヴァ著『文化空間のなかのサーカス』表紙

オリガ・ブレニナ=ペトロヴァ著
『文化空間のなかのサーカス』表紙

映画『SILENT SONATA』DVDパッケージ

映画『SILENT SONATA』DVDパッケージ

 オリガ・ブレニナ=ペトロヴァ『文化空間のなかのサーカス』の謳い文句に、「文化空間においてサーカス芸術が果たしている役割をこれほど深く解明した研究は、いまだ類例がない」と書かれている。実際、文化全体とサーカスとの関係をこれほど多面的かつ具体的に扱った本もめずらしい。今回はこの刺激的なサーカス本を紹介したい。

 サーカスならではの「動的バランス」や「非定住」、「回転」、「手品」、「生命中心主義」、その他を、文化のありようと関係づけようとする試みは、すこぶる大胆とも言えるが、説得力は十分にある。
それと同時に、いやむしろそれよりも面白いのは、本書でとりあげられている個々の事例とその解釈。今回の報告では、1970年代の私自身と「サーカス学」やロシア・アヴァンギャルドとの出会いなどにも触れながら、本書の内容を、動画や画像、音楽を補いつつ、紹介していくことにしたい。

 なお、著者は、本書全体の言わんとしていることとほぼ重なり合う映画として、スロヴェニアの映画監督ヤネズ・ブルゲルの2010年の作品『SILENT SONATA』(原題は『幻想的サーカス』)をあげている。映画を観て、私もそのとおりだと思った。
そのような次第で、この映画も見ていただきたいと思っている。

●桑野 隆(くわの たかし)
早稲田大学教育・総合科学学術院(教育学部複合文化学科)教授。
専門は、ロシア文化、表象文化論。

映画『SILENT SONATA』のワンシーン
映画『SILENT SONATA』のワンシーン


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