これまでの桑野塾 第11回~第20回
第11~20回 桑野塾の開催概要と内容です。
- 第11回 ●「ソ連・コミンテルンとスペイン内戦―モスクワを中心にしたソ連と
コミンテルンのスペイン内戦介入政策の全体像」島田顕
●「異形のロシア・ソビエトアニメ」井上徹 - 第12回 『勝野金政』
●「日本のソルジェニツィン――勝野金政の生涯」加藤哲郎
●「父・勝野金政のラーゲリ記憶検証の旅」稲田明子 - 第13回 ●「Magic will wait」ケント・ダール
●「ロシアのネットレーベル」嶋田丈裕 - 第14回 『満洲』
●「満洲の多民族文化における亡命演劇」上田洋子
●「長谷川濬とバイコフ」大島幹雄 - 第15回 『ロシア・バレエ―アジアとの出会い』
●「ウダイ・シャンカールとアンナ・パヴロワ」平野恵美子
●「日本人の眼に映ったバレエ・リュス」沼辺信一 - 第16回 ●「忠犬ならぬ地下鉄“ハチ公”」門田直人
●「『ドストエフスキーの創作の問題』を読む」桑野隆 - 第17回 ●「サーカスは舞台裏もアクロバティック」大島幹雄
●「わからない人? 小山内薫」武田清 - 第18回 ●「2012年夏ドイツ美術旅行レポート」嶋田丈裕
●「消された〈ロマンス〉―作曲家ボリス・フォミーンについて」武隈喜一 - 第19回『歴史の闇に鋭く切り込む、若き研究者の報告』
●「大川塾が秘めていた可能性」玉居子精宏
●「モスクワ放送の歴史――調査報告」島田顕 - 第20回●「大正二年のバレエ・リュス──『春の祭典』初演100年を記念して」沼辺信一
第11回
●「ソ連・コミンテルンとスペイン内戦
―モスクワを中心にしたソ連とコミンテルンの
スペイン内戦介入政策の全体像」島田顕
●「異形のロシア・ソビエトアニメ」井上徹
- 2012年1月21日(土) 午後3時~6時
- 早稲田キャンパス16号館820号室
「ソ連・コミンテルンとスペイン内戦
―モスクワを中心にしたソ連とコミンテルンのスペイン内戦介入政策の全体像」島田顕
スペイン内戦スペインに行きたい、スペインを救いたい――
既にファシズムの黒い影が色濃くなっていた1930年代後半、進歩的な若者の誰もがこう考えた。
1936年7月に反政府勢力のクーデターによってスペイン内戦が勃発すると、ソ連とコミンテルンは、革命勢力、進歩的勢力、反ファシズム運動を支援する立場から、スペイン共和国を支援した。だがソ連とコミンテルンは、本当にスペインを救おうとしていたのではなかった。
スペイン支援の全貌が今明らかになる。
「異形のロシア・ソビエトアニメ」井上徹
ロシア版クマのプーさんチェブラーシカはたしかにかわいい。
ノルシュテインはたしかに深い。
でも、ロシア・ソビエトアニメには、まだまだひっそりと隠された
宝があるのです――
ロシア版クマのプーさん、フリージャズを取り込んだタラーソフのような知る人ぞ知る存在から、シュルレアリストのフルジャノフスキー、さらには現代ロシアの新しい作品、まで、ロシアアニメのイメージが変わる(かもしれない)作品を紹介します。
第12回 『勝野金政 』
●「日本のソルジェニツィン――勝野金政の生涯」加藤哲郎
●「父・勝野金政のラーゲリ記憶検証の旅」稲田明子
- 2012年4月21日(土) 午後3時~6時
- 早稲田キャンパス16号館820号室
「日本のソルジェニツィン――勝野金政の生涯」加藤哲郎
粛清を生き延び、スターリン体制を告発した男の生き様
勝野金政(1901-84年)は、昭和初期に社会主義実現の理想に燃えてフランス経由でソ連に渡り、片山潜の秘書として活動した。ところが1930年初頭に不当に逮捕され、5年間のラーゲリ生活を体験、釈放後奇跡的に日本への生還をはたした。
以後ソ連社会の現実、特にラーゲリの存在や自由の圧殺を批判する「赤露脱出記」「凍土地帯」等を執筆、発表当時宮本百合子らに酷評されたが、今日では藤井一行により「スターリン体制告発の世界的先駆者」、山口昌男により「日本のソルジェニツィン」と評されている。死後1989年にソ連最高会議幹部会命令で冤罪であったことが認められ、1997年に家族からの申請でロシア政府から名誉回復証明書が届けられた。
*ウィキペディアにも立項されている。http://ja.wikipedia.org/wiki/勝野金政
「父・勝野金政のラーゲリ記憶検証の旅」稲田 明子
父の足跡を辿り、モスクワ、そして白海へ――
ソ連崩壊の3年後、加藤哲郎教授からの突然の父・勝野金政に対する問い合わせが端となり、10年前に亡くなって封印された父の歴史はこの世に蘇りました。加藤教授の陣頭指揮により、藤井一行教授、モスクワのスドー・ミハイル教授の強力な連携・支援で、すでにソ連時代に名誉回復がなされていることが判明したのです。その後正式にロシア政府から名誉回復を取り付けることがかないました。
ソ連刑法第58条6項・スパイ罪に問われた5年余りの囚人体験は、父に「理想のソ連」の崩壊をもたらしました。帰国後ソ連の知られざる実相を写しだした一連の著作は、今日ではまさに世界記憶遺産だともいわれます。 1998年6月、この名誉回復に携わった加藤哲郎教授、藤井一行教授、元朝日新聞記者松井覚進夫妻、遺族・勝野眞言と稲田明子は、スタ-リンの粛清遺児スドー・ミハエル教授の待つモスクワに出かけました。
KGB国家公文書館の父のファイル閲覧、ブティルスキー監獄、ブトヴォ処刑場、ドンスコイ墓地、ラーゲリ体験を語り継ぐ会「ボズブラセニー」会長と会見。さらに、白海のラーゲリ跡を目指し、白海運河(スターリン運河)建設の体験記『赤露脱出記』(1934年出版)、『白海に怒号する』(遺稿)、KGB資料などを案内役にして北上。帰路ペテルブルグでドキュメンタリー映画『スターリン記念運河』を制作したミレイコ・ブロスバヴィッチ監督と会談しました。
今回はこうした父の足跡を検証した旅の写真を映しながらご報告させていただきます。
*稲田さんが館長をつとめる「勝野金政Web記念館」はこちら
第13回
●「Magic Can Wait
―インド大魔術・ロープトリック」ケント・ダール
●「ロシアのネットレーベル」嶋田 丈裕
- 2012年6月9日(土) 午後3時~6時
- 早稲田キャンパス16号館825号室
「Magic Can Wait ―インド大魔術・ロープトリック」ケント・ダール
虚空に伸びる1本のロープ
どこまでも登っていく少年
そして、次の瞬間……
ケント・ダール氏が5年の歳月を費やして制作した、インドのストリートマジシャン、イシャムディン・ハーンを追ったドキュメンタリー映像『Magic Can Wait』を見ていただきます。
大道芸人たちが巣窟するシャイブールというスラム街に、家族たちと暮らしているイシャムディン。インド魔術の秘法といわれたインディアン・ロープを復活させ、大道芸人から脱皮、世界を目指す――。
「ロシアのネットレーベル」嶋田 丈裕
ロシア音楽シーンの揺籃場――
2000年代半ば以降、indie rock、electronica や jazz/improv など、欧米のalternative / independent の音楽シーンの影響を受けたミュージシャンたちが、モスクワやサンクトペテルブルグに限らず、ロシア各地で活動するようになっています。
そんな彼らの活動の基盤となっているのが、インターネットを通して無料で音楽を配信するネットレーベルです。そして、ネットレーベルやSNSを活用したロシア各地の音楽シーンのネットワークは、欧米の影響を越えた試みの揺籃場になりつつあります。そんなロシアのネットレーベルの動向を紹介します。
第14回 『満洲』
●「満洲の多民族文化における亡命演劇」上田 洋子
●「長谷川濬とバイコフ」大島 幹雄
- 2012年9月29日(土) 午後3時~6時
- 早稲田キャンパス16号館820号室
「満洲の多民族文化における亡命演劇」上田 洋子
演劇にとっての「満洲」とは――
東清鉄道建設ともなって発展したハルビンの地は、20世紀初頭から上海とともに極東ロシアの文化の中心となっていきました。極東ロシアが生んだスターには、たとえばウラジオストク出身のアメリカ俳優ユル・ブリンナーがいます。彼の義理の母は元モスクワ芸術座・第二芸術座の若手スター、エカテリーナ・コルナコワ=ブリネルで、ハルビンで演劇スタジオを開いていました。
満州国建国後、日本からは本国で活動ができなくなった左翼系の演劇人が、それまでの実践を新天地で活かそうと満州の地に渡り、現地の人々を指導して新しい演劇を作ろうとしました。
中国・ロシア・日本ほか、多くの民族文化が混在していた20世紀前半の満州における演劇の役割を、ロシア人と日本人の演劇活動を対象に考察します。
「長谷川濬 とバイコフ」大島 幹雄
「見事なる敗北者」と亡命ロシア人の見た「満洲」
長年にわたって長谷川濬の生涯を追ってきたその成果を『満洲浪漫――長谷川濬が見た夢』(藤原書店 9月25日刊行)としてまとめた報告者による、長谷川濬とバイコフの出会い、そして「偉大なる王」の翻訳が満洲日日新聞に紹介されるまで、などふたりの見た満洲を見ていきます。
第15回 『ロシア・バレエ―アジアとの出会い』
●「ウダイ・シャンカールとアンナ・パヴロワ」平野 恵美子
●「日本人の眼に映ったバレエ・リュス」沼辺 信一
- 2012年11月17日(土) 午後3時~6時
- 早稲田キャンパス16号館820号室
「ウダイ・シャンカールとアンナ・パヴロワ」平野 恵美子
インド舞踊がヨーロッパに与えた衝撃
著名なシタール奏者ラヴィ・シャンカールの長兄であるウダイ・シャンカールは、今世紀初頭、アンナ・パヴロワと共演することなどにより、インド古典舞踊の復興とその欧米での認知に大きな役割を果たした。
20世紀初頭ヨーロッパにおいて、シャンカールやパヴロワらを媒体とし、日本やインドの東洋舞踊がどのように受容されたかということについて考察する。
*アンナ・パヴロワ:有名なバレエ・リュスの元花形バレリーナ。後に自身のバレエ団を結成し、世界中で公演。世界的な名声を得た。
「日本人の眼に映ったバレエ・リュス」沼辺 信一
百年前のパリに咲いた華――
今年(2012年)は日本人がディアギレフのバレエ・リュスと遭遇してから百年という記念すべき年にあたっています。
1912年6月、洋行中の画家・石井
彼らがどのような経緯からバレエ・リュスと出逢い、そこから何を学び、体得したかを考えてみます。
第16回
●「忠犬ならぬ地下鉄“ハチ公”」門田 直人
●「『ドストエフスキーの創作の問題』を読む」桑野 隆
- 2013年5月11日(土) 午後3時~6時
- 早稲田キャンパス16号館820号室
「忠犬ならぬ地下鉄“ハチ公”」門田 直人

モスクワの地下鉄メンデレーエフ駅に置かれた野良犬の像
ロシア版Wikipedia“Сочувствие (памятник)”より(2点とも)
モスクワっ子に愛された野良犬の銅像
2001年までモスクワの地下鉄構内をすみかとした、ただの野良犬だが、人なつこいしぐさが通勤客の心をなごませ、誰からもエサを与えられる人気者になった。駅員らは親しみを込め「マーリチク(少年)」と呼んだ。ある日、精神を病んだ通勤客の女性(26)がマーリチクをナイフで刺し殺した。その日以来、マーリチクのすんでいた場所には花とともに募金箱が置かれ、4年ほどで約15,000(約140万円)ドルが集まった。2005年、この金でマーリチクの像を造ることが決まり、像は完成。2007年2月、除幕式が開かれた。式では「世界中で野良犬のために像を造ったのはここが初めて。名所になるだろう」と称賛の声が上がった。
門田 直人(東京新聞社勤務・元モスクワ支局長)
「『ドストエフスキーの創作の問題』を読む」桑野 隆

平凡社ライブラリー 783
『ドストエフスキーの創作の問題
付:より大胆に可能性を利用せよ』
ミハイル・バフチン=著/桑野隆=訳
→書籍情報(平凡社サイト)
桑野隆が語る“難解な”最新訳書の全貌とは――
バフチンのドストエフスキー論と言えば、まず思い浮かぶのはポリフォニー論やカーニヴァル論であろう。
これにたいして、今回翻訳した『ドストエフスキーの創作の問題』(1929)は、「ポリフォニー小説」と「言葉」の二部構成になっており、カーニヴァル論がまだない。それだけでなく全体の内容も、既訳がある増補改訂版『ドストエフスキーの詩学の問題』(1963)にくらべて凝縮度が高く、読者もそのぶん「骨が折れる」かもしれない。となれば、敢えて『ドストエフスキーの創作の問題』を訳す意味はどこにあるのだろうか。
その辺のところを、訳語の選択理由や二つの版の相違点などにも触れながら、できるかぎり平易に語ってみたい。
桑野 隆(早稲田大学教授)
第17回
●「サーカスは舞台裏もアクロバティック」大島 幹雄
●「わからない人? 小山内薫」武田 清
- 2013年6月15日(土) 午後3時~6時
- 早稲田キャンパス16号館820号室
「サーカスは舞台裏もアクロバティック」大島 幹雄

〈私の大学〉テキスト版2
『サーカスは私の〈大学〉だった』
大島幹雄著/こぶし書房刊
→書籍情報(デラシネ通信サイト)
サーカスプロデューサーが語るサーカスの舞台裏
今年2月に出した拙著「サーカスは私の〈大学〉だった」でとりあげた16の体験談にちなんだ映像資料を見ていただいたうえで、このエッセイ集でとりあげられなかった舞台裏エピソードとして、タジキスタンのサーカスとの出会いと今年初めて訪れたタジキスタンの話をとりあげます。
「わからない人? 小山内薫」武田 清
明治・大正・昭和を駆け抜けた「新劇の父」の実像を追う
小山内薫(1881~1928)と聞くと、すぐに二世市川左団次と自由劇場を創設して、わが国で近代劇を上演したパイオニアだったとか、築地小劇場の演出家の一人としてわが国の新劇をリードした人だったとか、そういう答えが返ってくる。
だが、彼は演劇という世界にあって実に視野の広い、かつマルチな人だった。新劇のみならず、歌舞伎や新派とも関わって、商業演劇でも台本を書き、演出をした。しかも、あの時代にあって政治的に中立の立場を取り続けた。
そんな彼の晩年を「わからない人?」という問いを立てて、考えてみたい。
第18回
●「2012年夏ドイツ美術旅行レポート」嶋田丈裕
●「消された〈ロマンス〉―作曲家ボリス・フォミーンについて」武隈喜一
- 2013年7月27日(土) 午後3時~6時
- 早稲田キャンパス16号館820号室
「2012年夏ドイツ美術旅行レポート」嶋田 丈裕
現代アートの祭典 「dOCMENTA (13)」とその周辺
1年前になりますが2012年夏にドイツ・カッセルで国際美術展ドクメンタの第13回展覧会が開催されていました。
報告者は、それに合わせて、ドイツの現代美術関連のスポットをいくつか巡る旅行をしてきました。
そんなドイツでの現代美術鑑賞の旅を、ドクメンタを中心に観客目線で報告します。
「消された〈ロマンス〉―作曲家ボリス・フォミーンについて」武隈 喜一
貴重な音源を通してたどる〈ロマンス〉作曲家の生涯
ボリス・フォミーン(1900~1948)は、ヴェルチンスキーが歌って有名になった「長い道を」の作曲者です。
20年代から死に至るまで、「ロマンス」を作曲し続けましたが、ソビエトの文化政策の中で、「退廃的な音楽家」としてその名は抹殺され、極貧の中、モスクワで死んでいきました。
しかし、その歌は、幾世代にもわたって人々に歌い継がれてきました。
アジプロ劇団〈青シャツ〉や、第二次大戦中の劇団〈ヤストレボク〉で音楽を担当し、演劇史的にも重要な役割を果たしたフォミーンの、ほとんど知られていない生涯をたどります。
今回はフォミーンの作曲したロマンスを、20年代、30年代の歌い手、アレクサンドル・ヴェルチンスキー、タマーラ・ツェレテリ、イザベラ・ユーリエワ、ピョートル・レシチェンコなどの当時の音源で、たっぷりと聴いてもらおうと思います。
第19回
歴史の闇に鋭く切り込む、若き研究者の報告
●「大川塾が秘めていた可能性」玉居子 精宏
●「モスクワ放送の歴史――調査報告」島田 顕
- 2013年10月5日(土) 午後3時~6時
- 早稲田キャンパス16号館820号室
「大川塾が秘めていた可能性」玉居子 精宏(たまいこ・あきひろ)
玉居子精宏 著
大川周明 アジア独立の夢
志を継いだ青年たちの物語
平凡社新書651/2012年
→Amazon
「大川周明」が現代に投げかけるものとは
大川周明の弟子に出会うまでの曲折から、取材時の出来事、本に書けなかった事柄まで、いくつかの挿話を通じ、戦前・戦中の東南アジア進出の事績と大川塾の存在が現代日本において語られるべき理由を考えます。
「モスクワ放送の歴史――調査報告」島田 顕

1969年発行のモスクワ放送のQSLカード
(Wikipediaより)
新たに見つかった史料によって明らかとなったモスクワ放送の歴史の真実!
大出力送信機建設の話、ドイツ向けドイツ語語放送として始まった理由、初期のリスナーのお便りについて、さらにコミンテルンとの関係、第二次世界大戦における特別ラジオ放送など、モスクワ放送の歴史の中でも日本語放送以外の歴史に焦点を当てる。
第20回
●「大正二年のバレエ・リュス──『春の祭典』初演100年を記念して」沼辺 信一
- 2013年11月16日(土) 午後3時~6時
- 早稲田キャンパス16号館820号室
「大正二年のバレエ・リュス──『春の祭典』初演100年を記念して」沼辺 信一
1913年パリ、百年前の日本人はニジンスキーをどう捉えたか?
昨秋の「日本人の眼に映ったバレエ・リュス」の続編。前回は1912(明治45/大正元)年における日本人のバレエとの最初の遭遇を紹介しましたが、今回はいよいよ翌1913(大正二)年、バレエ・リュスのパリ公演を取り上げます。
この年、ディアギレフはニジンスキーの革新的な振付を得て、『遊戯』(ドビュッシー曲)と『春の祭典』(ストラヴィンスキー曲)の二作を世に問い、大胆な音楽=身体表現によってスキャンダルを巻き起こします。バレエ史上に名高い同年のパリ公演に足を運んだ二人の日本人──小山内薫と島崎藤村は、バレエ・リュスの舞台にどう反応し、何を体得したのか。それが今回のテーマです。併せて、大正二年の東京で、若き画家たちが遠く憧れて制作したニジンスキー素描・版画についても考察します。
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