第31回~40回 桑野塾の開催概要と内容
第31回~40回 桑野塾の開催概要と内容です。
- 第31回 『異郷へ…』
●「曲芸のタブロー ── インドサーカス写真紀行」芦沢武仁
●「タンザニア ── アフリカとアラブ、二つの世界の接点」岡田眞樹 - 第32回 『〈サーカス学〉がめざすもの』
●「サーカス学講座について」竹内正則(古書カフェ「くしゃまんべ」オーナー)
●「サーカス学とパフォーマンス学の交錯点」ハードパンチャーしんのすけ(にぢゅうまる企画代表)
●「映像で追う『〈サーカス学〉誕生』」大島幹雄 - 第33回 ●「黒いピエロは何を歌ったか?――亡命の歌手ヴェルチンスキーを聴く」武隈喜一
- 第34回 ●「私のエセーニン――ふたりの日本人ロシア文学者と21世紀のロシア人を悩ませ続ける 『黒い人』あるいは『不吉の人』をめぐって」斎藤 秀明
- 第35回 『ロシアのジャポニズム ―― 2つの「ミカド」をめぐって』
●「スタニスラフスキイと日本人軽業師」大島 幹雄
●「19世紀末のロシア・バレエにおける日本文化受容」斎藤 慶子 - 第36回 『「佐野碩―人と仕事 1905-1966」刊行記念 [決定版]佐野碩の世界』
●「『佐野碩―人と仕事 1905-1966』について」菅 孝行
●「メキシコの佐野碩研究―現状とこれからの課題」吉川 恵美子
●「『赤い貴族』の時代と佐野碩の『転向』」加藤 哲郎 - 第37回 ●「モスクワ放送を生きた人々 東一夫、木村慶一、ムヘンシャン」島田顕
- 第38回 ●「ガガーリンの表象――2つの映画作品を通して」佐藤千登勢
●「シクロフスキー(のため?)の「異化」再考」八木君人 - 第39回 ●「回想のルムンバ大学」田中道子
●「『異国の丘』異聞ーープリンス近衛文隆抑留死の二つの謎」加藤哲郎 - 第40回 ●「日本で活躍した最初のチェコスロバキア人画家 プラハのフィアラ家を訪ねる」鈴木明
●「ひと・音楽――東欧、トルコ、グルジアでの出会い」大野慎矢
第31回
異郷へ…
●「曲芸のタブロー ── インドサーカス写真紀行」芦沢武仁
●「タンザニア ── アフリカとアラブ、二つの世界の接点」岡田眞樹
- 2015年5月23日(土) 午後3時~6時
- 早稲田キャンパス16号館820号室
●「曲芸のタブロー ── インドサーカス写真紀行」芦沢武仁
カルカッタの路上で暮らす芸人、綱渡りやアクロバットの姿に魅せられて写真を撮りはじめてから30年以上経っている。インド北部では「足芸一座」に住み込み、アグラの周辺の村や町を周り、縁日の小屋掛け芝居や手品小屋などを撮影した。また旅の途中で出会った大サーカス、ファミリーサーカスなども記録している。
今回はそうして撮った写真をご覧になっていただきながら、紀行風に自分のインドのサーカスを求めた旅の話をしたいと思います。
●芦沢 武仁(あしざわ たけひと)
東京生まれ。
写真家。旅行雑誌、PR誌などの撮影を永年続け、
2007年頃より作品作りのための撮影、制作を始める。
主な写真展に、09年「ルーマニアの木造教会」(エプソンギャラリー)、12年「マラムレッシュ 家の記憶」
(銀座ニコンサロン)、14年「曲芸のタブロー」(新宿ニコンサロン)などがある。
現在、写真展「ロマの熊遣いと踊る熊」を企画中。
●「タンザニア ── アフリカとアラブ、二つの世界の接点」岡田眞樹
タンザニアはキリマンジャロがそびえ野生生物の宝庫であるタンガニーカと、象牙と奴隷貿易の支配に乗り出したアラブ人スルタンのつくったザンジバルとが合併したしてできた国です。100を超える黒人の部族が住むタンガニーカは、植民地化を進めるドイツの軍隊に対し大酋長ムクワワなどが西部劇のインディアンさながらの戦いを挑みました。政争に明け暮れ没落の道を辿るザンジバルからは、一人の王妃がドイツ人に嫁いで行き、時代の波に翻弄されました。他方、日本からは、日露戦争の頃から「からゆきさん」が出稼ぎに行っており、タンザニア建国直後には、チェ・ゲヴァラがタンザニアを通ってコンゴに行ってゲリラ戦を指揮したこともあります。
そういった様々な人たちの足跡を織り交ぜながら、タンザニアの自然や文化、社会、最近の発展ぶりなどについてお話ししたいと思います。
●岡田 眞樹(おかだ まさき)
千葉市出身。
1973年京都大学法学部卒、外務省入省。
本省では儀典長、広報文化交流部長など、
在外ではタンザニア大使、デンマーク大使を務めた。2015年3月退官。
趣味は、ヴァイオリン演奏、ウェッブサイト作成など多岐にわたる。
第32回
〈サーカス学〉がめざすもの
●「サーカス学講座について」竹内正則
●「サーカス学とパフォーマンス学の交錯点」ハードパンチャーしんのすけ
●「映像で追う『〈サーカス学〉誕生』」大島幹雄
- 2015年7月4日(土) 午後3時~6時
- 早稲田キャンパス16号館820号室
桑野塾世話人のひとり大島幹雄の『〈サーカス学〉誕生』(せりか書房)発刊にちなんで、サーカス学のこれからを展望します。
大島幹雄
『〈サーカス学〉誕生 曲芸・クラウン・動物芸の文化誌』
せりか書房/2015年6月発行/定価2,400円+税
●「サーカス学講座について」竹内正則(古書カフェ「くしゃまんべ」オーナー)
『〈サーカス学〉誕生』という本は王子にある古書カフェ「くしゃまんべ」で2013年3月から不定期に6回開催された「サーカス学講座」から生まれました。オーナーとしてこの店で行ってきたさまざまなイベントやこのサーカス学講座についてお話しします。
●竹内 正則(たけうち まさのり)
東京都北区の王子駅から徒歩5分にある大道芸・サーカスなどが専門の古書カフェのオーナー。
この店で古書やパフォーマンス、大道芸・サーカスに関するさまざまなイベントを展開。
ハードパンチャーしんのすけとのユニット「本を読めコノヤロウ」は、
ブックバトルを超えた読書人パフォーマンスとして人気を呼んでいる。
●「サーカス学とパフォーマンス学の交錯点」ハードパンチャーしんのすけ(にぢゅうまる企画代表)
今、「パフォーマンスや芸能を研究し、語る」のが来てる!という息吹を感じて、その風を確たるものにしたいと思い、2013年に「両国パフォーマンス学会」を立ち上げました(第3回は6月27日開催)。「パフォーマンス学」がめざすものはなにか、パフォーマーとして「サーカス学」をどのように見ているかなどを中心に、サーカス学の可能性を展望します。
●ハードパンチャーしんのすけ
東京大学在学中に、ピーター・フランクル氏(数学者、ジャグラー)らにより創設された
ジャグリングクラブ「マラバリスタ」に所属し、ジャグリングを学ぶ。
自らも「小平ジャグリング倶楽部」を創立するなどジャグラーとしての活動をしながら、
研究者を目指し東京大学大学院博士過程進学。
しかし、ジャグリングの魅力から逃れられず進路を変更し、
2002年からプロジャグラーとしての活動をスタート。
さまざまな大道芸イベントを企画制作する会社「にぢゅうまる企画」を経営するかたわら、
各地のカルチャースクールなどでジャグリング講師としても活躍中。
●「映像で追う『〈サーカス学〉誕生』」大島幹雄
拙著『〈サーカス学〉誕生』はサーカスを、文学・歴史・音楽・美術という窓を通じて見ていったものです。この中で映画は大きな役割を担うことになりました。本書に出てきた映画のすべてを予告編や本編を見てもらいながら、サーカス学を立体的に感じとっていただきます。
●大島 幹雄(おおしま みきお)
サーカスプロデューサー。
著書に『サーカスと革命』(水声社)、『明治のサーカス芸人はなぜロシアに消えたのか』(祥伝社)、
『サーカス学誕生』(せりか書房)など。
第33回
●「黒いピエロは何を歌ったか?――亡命の歌手ヴェルチンスキーを聴く」武隈喜一
- 2015年10月24日(土) 午後3時~6時
- 早稲田キャンパス16号館820号室
●「黒いピエロは何を歌ったか?――亡命の歌手ヴェルチンスキーを聴く」武隈喜一
“野蛮なロシア”の哀愁の歌声――
アレクサンドル・ヴェルチンスキー
(1889-1957)
Алекса́ндр Никола́евич Верти́нский
ロシア語版Wikipediaより
ロシア革命前のキャバレーで、黒いピエロとして一世を風靡した
ロマンス歌手、アレクサンドル・ヴェルチンスキーは、亡命後、
ベルリン、パリ、ニューヨーク、上海、そしてハルビンで
故国への郷愁を歌い続けた。
そして、1943年秋、ヴェルチンスキーはソビエト連邦へ「帰国」する。
黒いピエロは何を歌ったのか、ヴェルチンスキーの生涯を追い、
その歌を聴く。
●武隈 喜一(たけくま きいち)
1957年生まれ。東京大学露文科卒業。
出版社、通信社を経て、1992年からテレビ朝日に勤務。1994~1999年 モスクワ支局長。
2012~2013年 北海道大学スラブ研究センター客員教授。
著書『黒いロシア 白いロシア──アヴァンギャルドの記憶』(水声社、2015)、
編訳書『ロシア・アヴァンギャルド』Ⅰ 未来派の実験、Ⅱ 演劇の十月(国書刊行会)他。。
★武隈喜一 最新刊:
水声社《水声文庫》/2015年7月発行/定価3,500円+税/四六判 354頁
ISBN:978-4-8010-0121-3
〈革命〉によって、芸術文化が華開いた〈白いロシア〉の背後には、政治的抑圧によって社会的混乱に陥った野蛮な〈黒いロシア〉があった。
ロシア革命からペレストロイカ以降までの芸術と政治の光と影を対照的に描き上げた、斬新な芸術─革命論! (水声社blogより)
第34回
●「私のエセーニン――ふたりの日本人ロシア文学者と21世紀のロシア人を悩ませ続ける
『黒い人』あるいは『不吉の人』をめぐって」斎藤 秀明
- 2015年11月14日(土) 午後3時~6時
- 早稲田キャンパス16号館820号室
●「私のエセーニン――ふたりの日本人ロシア文学者と21世紀のロシア人を悩ませ続ける
『黒い人』あるいは『不吉の人』をめぐって」斎藤 秀明
今も論争続く、早逝のデカダン詩人の魔力
1956年にスターリン獄から帰還した染谷茂と内村剛介は、日本での生活基盤を固めるべく葉書で頻繁に近況を知らせあっていた。当時エセーニンの詩の翻訳に取り組んでいた内村は、『黒い人』の解釈をめぐって染谷から「落第」の烙印を押される。
ところが、その詩を巡る論争は21世紀ロシアのネット空間でも続いていた…。
没後90年目のいまも祖国で輝きを放ち続けるエセーニンのことばをめぐる、時空を超えた論争にスポットを当て、「デカダン詩人」の魔力に迫る。
●斎藤 秀明(さいとう ひであき)
1955年生まれ。1979年 東京外語ロシア語科卒。
在学中に一年間、内村剛介の謦咳に接する。卒業後は名古屋の放送局に勤務。
第35回
ロシアのジャポニズム ―― 2つの「ミカド」をめぐって
●「スタニスラフスキイと日本人軽業師」大島 幹雄
●「19世紀末のロシア・バレエにおける日本文化受容」斎藤 慶子
- 2015年12月19日(土) 午後3時~6時
- 早稲田キャンパス16号館820号室
●「スタニスラフスキイと日本人軽業師」大島 幹雄
スタニスラフスキイに「日本」を教えた日本人とは
1887年冬スタニスラフスキイは「ミカド」を上演するために、日本人軽業師を家に招き、日本風の所作を学んだ。
この日本人は一体誰だったのか? モスクワ芸術座博物館に残された絵ビラとスタニスラフスキイ博物館にある二枚の写真を手がかりにこの謎に迫る。
●大島 幹雄(おおしま みきお)
サーカスプロデューサー。著書に『サーカスと革命』(水声社)、
『明治のサーカス芸人はなぜロシアに消えたのか』(祥伝社)、
『 サーカス学誕生』(せりか書房)など。
●「19世紀末のロシア・バレエにおける日本文化受容」斎藤 慶子
『ミカドの娘』の劇中劇は、なんと「忠臣蔵」!
「忠臣蔵」が19世紀末のロシアで、しかもバレエ劇場で上演されていた。これは世界の
舞台における「忠臣蔵」上演例の中でもかなり早いうちに入る。
19世紀末のロシアで日本文化を題材にしたバレエ作品が続けて3本上演された。
『ダイタ』(1896)は日本の音楽文化を、『ミカドの娘』(1897)は文学作品を取り入れた例として、そして『月から日本へ』(1900)はロシア貴族たちの日本文化への高い関心を示す事例として紹介したい。
(本報告は2015 年ICCEESで行った報告を元にしています)
●斎藤 慶子(さいとう けいこ)
2010年 リムスキー=コルサコフ記念国立サンクト・ペテルブルグ音楽院舞踊学科舞踊史コース卒。
早稲田大学大学院文学研究科ロシア語ロシア文化コース博士後期課程在籍。
第36回
『佐野碩―人と仕事 1905-1966』刊行記念 [決定版]佐野碩の世界
●「『佐野碩―人と仕事 1905-1966』について」菅 孝行
●「メキシコの佐野碩研究―現状とこれからの課題」吉川 恵美子
●「『赤い貴族』の時代と佐野碩の『転向』」加藤 哲郎
- 2016年1月23日(土) 午後3時~6時
- 早稲田キャンパス16号館506号室
没後50年という区切りの年に、いままで謎に包まれていた演出家 佐野碩の全貌が明らかになる!
官憲の迫害を受けながらプロレタリア演劇をつくっていた戦前の日本時代。
メイエルホリドの弟子として過ごしたソ連時代。
スターリンによって追放され、逃げ延びたメキシコ時代―――
大きな時代の荒波を乗りこえ、越境する演劇人として世界の演劇界に大きな足跡を残したこの演出家の仕事を、800頁に及ぶ大著としてまとめあげた本が昨年末に上梓された。
この『佐野碩―人と仕事 1905-1966』の刊行を記念して編集・執筆者を招き、巨人佐野碩に鋭く迫る。
佐野碩(さの・せき) 1905-1966
「新劇」の基礎を築き、日本プロレタリア演劇同盟の中心的存在として活躍した演出家。「インターナショナル」「ワルシャワ労働歌」の訳詞者としても知られる。1931年治安維持法違反で逮捕後、偽装転向して国外へ脱出。ソ連で世界的演出家メイエルホリドの演出助手として活躍。1937年スターリンによる大粛清の中で国外追放処分を受け、フランス・チェコ・アメリカを経て1939年にメキシコへ渡り、演劇学校を創設。メイエルホリドの身体訓練法ビオメハニカとスタニスラフスキー・システムを融合させる試みを手がけ、多くの演劇関係者を育成して「メキシコ演劇の父」と称えられている。
●「『佐野碩―人と仕事 1905-1966』について」菅 孝行
本書の編集者として、構成、内容について解説するほか、本書第Ⅱ部「芸術は民衆のものだ!」の中で取り上げられている統一戦線論の現代的解釈や『MNZ』再評価の必要性についても論及する。
●「メキシコの佐野碩研究―現状とこれからの課題」吉川 恵美子
本書に共著者として参加している3人のメキシコ人研究者は「ロドルフォ・ウシグリ演劇研究センター」の「佐野碩セミナー」(田中道子氏主宰)のメンバーである。このセミナーを中心に展開されるメキシコにおける佐野碩研究の現状を踏まえたうえで、佐野碩アーカイブ整備の必要性について考えたい。
●「『赤い貴族』の時代と佐野碩の『転向』」加藤 哲郎
佐野碩は、戦前「赤い貴族」とよばれた良家出身の左翼の一人だった。1930年5月の共産党シンパ事件で、小林多喜二や中野重治と共に検挙されたが、家族の奔走と前年没した祖父後藤新平の威光で、いち早く保釈された。それは転向であったか、偽装転向なのか、それとも新天地への戦線復帰であったのか。
【書籍情報】
第37回
●「モスクワ放送を生きた人々 東一夫、木村慶一、ムヘンシャン」島田顕
- 2016年4月23日(土) 午後3時~6時
- 早稲田キャンパス16号館820号室
●「モスクワ放送を生きた人々 東一夫、木村慶一、ムヘンシャン」島田顕
1942年、モスクワ放送は日本語放送を開始した――
戦中から戦後直後にかけて、モスクワ放送の職員をつとめた三人を追う。
一人はモスクワ放送局日本語放送の最初のアナウンサーであるムヘンシャン。故郷、そして遺族がようやく判明し、訪問取材ができた。
二人目は木村慶一。ハバロフスク放送局日本語放送の初期を支え、シベリア抑留者の便りを伝えた人物。ご子息を探し出し、樺太からハバロフスクへ至った話、さらに戦後帰国後についてうかがった。
最後は東一夫。言わずと知れたロシア語教育の第一人者であるが、ハバロフスク局、モスクワ局に勤務していたことはあまり知られてはいない。モスクワの文書館で発見した個人ファイルから、ロシアに入った事情からハバロフスク、モスクワでの暮らしぶりが明らかになった。
この三人の生涯をたどりながら、初期のモスクワ放送の内情を明らかにする。
●島田 顕(しまだ あきら)
1965年横浜市生まれ。
ロシアの声(旧モスクワ放送、現ラジオ・スプートニク)日本語課翻訳員兼アナウンサーを経て、
関東学院大学経済学部および法政大学理工学部講師、博士(社会学)。
第38回
●「ガガーリンの表象――2つの映画作品を通して」佐藤千登勢
●「シクロフスキー(のため?)の「異化」再考」八木君人
- 2016年5月28日(土) 午後3時~6時
- 早稲田キャンパス16号館820号室
●「ガガーリンの表象――2つの映画作品を通して」佐藤千登勢
55年前、人類は初めて地球を見た
ガガーリン生誕80周年を記念して、その偉業とロケット開発者セルゲイ・コロリョフの功績に光をあてた映画『ガガーリン』(パヴェル・パルホメンコ監督)が2013年4月12日にモスクワで公開されました。これに先立ち、有人宇宙飛行のために犠牲を払った人々のエピソードや心理的な動きをロケット打ち上げ6週間前から丁寧に辿った『宇宙飛行士の医者』(アレクセイ・ゲルマン・ジュニア監督)が2008年に公開されています。いずれも人類初の宇宙飛行をテーマとしていますが、その光と影の部分、まったく相反する観点からこの出来事を描いています。今回は、この2つの映画作品を通して、人類初の有人宇宙飛行55周年を静かに言祝ぎたいと思います。
●佐藤 千登勢(さとう ちとせ)
法政大学国際文化学部准教授
●「シクロフスキー(のため?)の「異化」再考」八木君人
「異化」って、なんだ!?
そんな報告者が「シクロフスキーの異化」を考える際に重視するのは、「運動」という契機です。それは、とりわけ小難しいニュアンスを孕みがちな「運動」ではなくて、もっと素朴な「運動」です。今回の報告では、『チェマダン』で記したことを補足しながら、当時の身体文化との関連性や、この概念が提起された「手法としての芸術」が公にされた1917年当時のシクロフスキーのおかれた状況などに思いを馳せながら、いわば、いちばんフォルマリスティックでない方法で、「異化」を再考したいと思います。もちろん、それが「正しい」理解になるのかはわかりません。
●八木 君人(やぎ なおと)
早稲田大学文学学術院専任講師
★オンライン雑誌「チェマダン」 http://chemodan.jp/
第39回
●「回想のルムンバ大学」田中道子
●「『異国の丘』異聞ーープリンス近衛文隆抑留死の二つの謎」加藤哲郎
- 2016年7月2日(土) 午後3時~6時
- 早稲田キャンパス16号館820号室
●「回想のルムンバ大学」田中道子
1960年代、モスクワでの留学生活
近くここで学んだ卒業生の文集が雑誌「カスチョール」(33号)で特集号として発刊されることになりました。
それにちなみ、ここで1962年から1967年にかけて一学生として学んだときのソ連体験を振り返ります。
●田中 道子(たなか みちこ)
メキシコ大学院大学教授
★雑誌「カスチョール」 http://koctep.jp/
●「『異国の丘』異聞ーープリンス近衛文隆抑留死の二つの謎」加藤哲郎
シベリアに抑留された若きプリンスの謎の死
二つの謎とは、収容所での文隆毒殺の疑いと、抑留末期の文隆の家族宛手紙に出てくる「夢顔さん」とは誰かの問題である。
ゾルゲ事件、上海・鄭蘋如(テンピンルー)日中和平工作事件、関東軍の人体実験・細菌戦731部隊、極東軍事裁判、シベリア抑留帰還者への米軍二重スパイ工作、などが背景になる。
●加藤 哲郎(かとう てつろう) 一橋大学名誉教授
第40回
●「日本で活躍した最初のチェコスロバキア人画家 プラハのフィアラ家を訪ねる」鈴木明
●「ひと・音楽――東欧、トルコ、グルジアでの出会い」大野慎矢
- 2016年10月8日(土) 午後3時~6時
- 早稲田キャンパス16号館820号室
●「日本で活躍した最初のチェコスロバキア人画家 プラハのフィアラ家を訪ねる」鈴木明
初めてのヨーロッパ一人旅 自分のロシア語で大丈夫か?
大正時代、ロシア革命の戦火を逃れて日本にやってきたロシア・アヴァンギャルドの画家たちがいました。チェコスロバキア人画家のバーツラフ・フィアラもその一人。
今年、チェコのプラハに彼の家族を訪ねる旅に出ました。ヨーロッパを訪れるのは初めてで、不安がいっぱいでしたが大きな成果を得ました。
今回は私がフィアラを調べるようになった経緯と旅中のできごと、現在のフィアラ家の様子と日本時代の資料などについてお話しします。
●鈴木 明(すずき あきら)
1939年生まれ。日ソ学院でロシア語を学ぶ。ロシア語の機械マニュアル作成に従事。
ロシア・アヴァンギャルドの画家ダヴィッド・ブルリュークの研究者。
共著に「ブルリューク、フィアラの頃の小笠原」(2006年)、
訳書にバーツラフ・フィアラ著「富士山詣で」(2012年)、
「OGASAVARA」(改訂版2010年)、「上野公園」(2008年)、
ブルリューク著「大島」(2001年)、「海の物語」(2003年)など。
●「ひと・音楽――東欧、トルコ、グルジアでの出会い」大野慎矢
多彩な民族音楽と人々に出会う旅
2015年9月~11月の3ヶ月で巡った7カ国の町や村々で出会った人々、そして音楽。様々な民族や文化がモザイクになり、地方ごとに固有の文化を持っています。
初めて訪れる先々で、音楽を介して、不思議と沢山の素敵な出会いがあり、縁がつながっていきました。
普段自分が勉強しているブルガリア音楽を始め、各地の多彩な音楽、踊りの一端をご紹介できればと思います。
●大野 慎矢(おおの しんや)
2005年よりブルガリアを訪れ、伝統楽器ガイダ(バグパイプ)の演奏家、職人と出会い、演奏を始める。
現在、国内でブルガリアの民俗音楽楽団《BALKAN》や、東欧フォークロア全体を探求しつつ、
《トラペ座》《DOSAMA》といったグループ等で精力的に演奏活動をしている。
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