長谷川濬函館散文詩集「木靴 をはいて」発刊
長谷川濬さんの墓前への報告
長谷川濬函館散文詩集『木靴をはいて』が刊行されたことを、誰よりも先に報告しなければならない人がいた。作者の長谷川濬である。仕事が一段落したので、この『木靴をはいて』の原本となるノートをずっと保管していた息子さんの寛さんに連絡をとり、濬さんのお墓参りをすることになった。
4月4日土曜日11時に八王子の駅で寛さんと落ち合った。花冷えの日が続いていたが、やっと暖かくなり、桜の花もほころびはじめていた。八王子駅からバスで濬さんが眠る中央霊園へ向かった。寛さんの話だと、いつもだとバスはガラガラだというが、今日は週末ということもあってか、バス停には長蛇の列ができていた。10分ぐらい待つと、バスが到着、満員の客を詰め込んで出発した。20分ぐらい経って、バスが滝山城址という停留所に着くと、リュックサックを背負った人たちが降りていった。窓の外を見ると、この滝上城址で今日からさくらまつりが始まるらしい。そのためにこんなにバスが混んでいたのだろう。
まもなくバスは終点の戸吹に着いた。ここから中央霊園まではなだらかな坂を登っていく。このあたりの桜はまだ六分咲き程度だろうか。鳥のさえずりが時折聞こえてくる。のどかな春の佇まいが心地よい。霊園はかなり広いところだった。寛さんが供花と線香を買って、濬さんのお墓に向かった。入り口からすぐのところに長谷川家の墓があった。昭和五十四年に建立したものということだが、まだ新しい感じがする。寛さんは年に二回は必ず墓参りに来るということもあるのだろう、よく手入れされていた。
いかにも濬さんらしいお墓だった。同じような墓が並ぶ中でひっそりと、自己主張するわけでもなく静かにくつろいでいる、そんなお墓なのだ。線香に火を点け、花を供えてから、リュックから『木靴をはいて』をとり出しお墓に供え、手を合わせた。いろんな思いがこみ上げてくる。
遠くで鳥のさえずりが聞こえてきた。隣に立つ寛さんの顔が、のどかな春の日和のように柔らかい。良かったと、しみじみ思う。
思えば不思議な縁だった。神彰の取材で寛さんとお会いした時にこのノートのことを知った。取材もほぼ終わり、席を立ちかけた時だったかと思う。寛さんが、父が残したノートがあるのですが、興味がありますかと聞いてきたのだ。慌てて席に座り直し、どんなノートなのかを聞きただすことになった。あの時濬さんが寛さんの声を借りて、私に語りかけてきたのだと思う。そして長谷川濬と私のつき合いが始まったのだ。神彰の評伝『虚業成れり』が出来たあと、何度か寛さんと会いながら、ノートのコピーをいただき、お父さんの思い出を聞かせてもらうということが続いた。
ノートに書かれていたことは刺激的だった。書かれていることは、作品ノートであったり、詩であったり、読書や映画の感想だったりするのだが、豪放磊落といわれた長谷川濬が、傷つきやすい魂をもった詩人であったことがよくわかった。知り始めると小出しに渡されるコピーに完全に欲求不満になっていた。何度目かに寛さんにお会いした時、どうでしょうか、私に全部のノートを預けてもらえませんかとお願いした。寛さんは、果たして父親が残したものがどれだけ価値があるものかわからない、そんなものを見せてどうだろうという気持ちがあったようだ。
後日ダンボールが二箱送られてきた。ここにはおよそ百冊の大学ノートが入っていた。そしてこの中に寛さんが99というナンバリングをし、長谷川濬が「(北方感傷記)我が心のうた 66才の病老人の手記 ふるさとの思い出」というタイトルをつけたノートがあったのだ。最初にこれを読んだ時、「人生の最期に長谷川濬に詩神が宿った」「『神さま』がいた」と叫びたかった。戦後の長谷川濬の小説の特徴と言っていい饒舌な表現が消え去り、余分なものが削ぎ落されることによって、言葉が力をもつことになった。それは長谷川濬が記憶の底に留めていた函館の心象風景を、見事に映像化しさえしていた。あのバイコフの『偉大なる王』を訳したときのように、リズミカルで歯切れのいい文体がよみがえっていた。
さまざまな思いに胸がいっぱいになってきた。そんな時だった。墓前で手を合わせる私の耳に、春の風に乗って、確かに聞こえてきたのだ。
「ありがとう」という濬さんの声が。
後ろをふり返ると、そこには寛さんの笑顔があった。「今回は自分の本ができた以上に、うれしいんですよ」と言うと、寛さんは、「これは大島さんの本ですよ」と答える。この言葉は、つい数日前に打ち上げをしたとき、この本の装丁をした西山さんからも聞いた。そうかもしれない、これは長谷川濬と大島幹雄がひとつになって出来た本なのだ。そうならば、私も濬さんに言わないといけない、「ありがとう」と。
あなたの言葉が、私だけでなく、この言葉に魅せられた人々を突き動かし、この本をつくりあげることになった。本を愛する人々と、どうしても本にしたい本のために一緒に仕事を出来たことそれは至福の喜びでもあった。
ありがとう。でもどうです、いい本になったでしょ。