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2012.03.29

モスクワ サーカス紀行 その1
ボリス・ニキーシキン「クラウン・ドリームサーカス」

クラウン ボリス・ニキーシキン
 2012年2月14~19日、久しぶりのモスクワ出張は、サーカス大国ロシアの活力をひしひしと感じる旅になった。これを「モスクワ サーカス紀行」と題し、全4回に分けて紹介する。
 旅はまず、4月に愛知県犬山へ呼ぶボリスとの打ち合わせから始まった。

 

クラウン・デュオ「トリオ」の衝撃

ボリス・ニキーシキン

ボリス・ニキーシキン

アンドレイ・シャルニン

アンドレイ・シャルニン

クラウン・デュオ「トリオ」:ボリス・ニキーシキンとルドルフ・レベツキー

クラウン・デュオ「トリオ」:
(ボリス・ニキーシキンと
 ルドルフ・レベツキー)

 今回の出張の目的は、2012年3月17日からリトルワールドで開催される「クラウン・ドリームサーカス」の構成をクラウンのボリスと打ち合わせることである。
 ボリス・ニキーシキンは、今年28歳、父は鉄棒、母は跳躍アクロバットというサーカスファミリーに生まれ、小さい時からサーカスに親しみ、自らギター演奏しながら、ハンドバランスを演じる芸をつくり、現在はボリショイ・サーカスに所属する若いアーティストである。
 そんな彼がクラウンに興味を持ち始めたのは、かつて「ミックマック」というクラウンデュオで一斉を風靡したアンドレイ・シャルニンと出会ってからだ。アンドレイの指導のもとハンドバランスの芸をしながら、クラウンの勉強をする。3年前にジャグリングのアーティストで同じくサーカスファミリー出身のルドルフ・レベツキーとコンビを組み、クラウンのネタを三人で練り上げることになる。
 クラウンとして本格的にデビューしたのが、2年前サンクト・ペテルブルグで開催された「国際サーカス演出フェスティバル」においてであった。このとき私は初めてこのふたりの演技をみた。昨今サーカスのクラウンの面白くなさに、ほぼ絶望していたのだが、ふたりのクラウニングには腹の底から笑わされた。これだけサーカスでクラウンのショウを見て笑ったのは、本当に久しぶりのことだった。この時自分が撮影したビデオをあとで見たら、ほとんど自分の笑い声をずっと聞くことになった。
 メイクも衣装もまったくクラウンらしくない、ネタもテレビゲームやボイスパーカッションなどを取り入れた斬新なものだった。
 この時は直接話すことはできなかったが、彼の師匠格アンドレイと話し、このデュオが「トリオ」といい、10月から「ルナ・レガーロ」に出演するために、日本に来ることを知った。なぜ二人なのに、トリオなのかこの時にアンドレイに聞くのを忘れてしまった。

 10月ふたりが来日してすぐに会った。毎年サーカスを入れているルスツリゾートと姫路セントラルパークにプレゼンしたいと思ったのだ。初めて会う二人だったが、はきはきして、しっかりしたいい若者たちだった。話はほとんどボリスがしていた。何故ふたりなのにトリオなのと聞くと、ネタはアンドレイと3人でつくったからだという。ボリスのアンドレイに対する思いを感じた。
 ふたりとも仕事の話には乗り気だった。ただボリスがこれから始まるショウに不安を感じ、ナーバスになっていたのが印象的だった。

 11月ふたりの働きぶりを見に、大阪に行った。姫路のセントラルパークの担当の方も一緒だった。彼らの映像を見せたとき、ピンと来なかったので、ライブをみてもらうことになった。
 「ルナ・レガーロ」で、彼らはボーイに扮していた、客入れの時に客に絡んだり、ネタはサンクトで見たとき、このネタは日本ではどうなのかなと思っていたヴォーカル・パーカッションを演じていた。これは客とルドルフがヴォーカル・パーカッションで競い合うという内容なのだが、日本でこれだけ客が演じてくれるかどうか難しいかなという気はした。
 彼ら自身もそう思っていたし、映像を見た「ルナ・レガーロ」のプロデューサーもそう思ったのだが、試しに実際にやってみたら大受けし、このネタでいくことが決まったと言う。
 ライブを見る前に、彼らをつかうことに対して迷っていた姫路の担当の方が、見終わったあと、とても気に入ったようで「いいじゃないですか、イケメンだし、面白い、ポスターも彼らメインでいってもいいね」という話まで飛び出した。ふたりに知らせると大喜びだった。
 契約の話を詰め、合意に至り、あとは正式に契約をするばかりだった。契約は彼が次の公演地名古屋に来てから、3月には自分も犬山に行くのでその時にしようということになった。
 しかしあの日がやって来た。

震災、そして解散

 2011年3月11日ふたりは名古屋に、自分は犬山にいた。
 「ルナ・レガーロ」のサーカス部門を担当していたモスクワのボリショイ・サーカスが、震災のあと、非常事態なので派遣したアーティストを全員返してほしいと言ってきた。
 フジテレビの「ルナ・レガーロ」担当プロデューサーは、この要求を認め、メンバーに帰るか、残るかメンバ―各自にその選択を委ねた。「トリオ」のふたりは、帰る道を選んだ。地震が起きてからボリスとは何度かメールのやりとりはしていた。ただ自分のところにもボリショイ・サーカスから強硬なアーティスト返還要求が来ており、その対処に追われ、彼らとじっくり話し合うことができなかったのだ。
 彼らは日本を去り、そして1ヶ月後にボリスから、「トリオ」が解散したという連絡がきた。
 ルドルフがクラウンよりは、パーチのアクトをしたいということで、デュオは解散することになったという。
 震災の対応についてふたりの間でなにか意見の食い違いがあり、結果解散ということになったのではないかと思っていた。ルドルフの母親がかなり強硬にボリショイ・サーカス側に、帰還させるように連日総裁のところに日参したという話は「ルナ・レガーロ」のほかのメンバーから聞いていた。
 これに対してボリスは、そんなことはない、ただパーチのアクトをルドルフがしたいから、それだけが理由だと言っている。

 解散の理由はともかく、「トリオ」を日本に呼ぶという話はこれで消えてしまった。残念だった。せっかく見つけたいいクラウンだったのに、自分の手で呼べなくなったことも悔しかったが、とてもいいデュオだっただけに、わずか2年ちょっとで消滅するのが、なんとももったいなかった。ただこういうことはこの世界ではよくあること、あきらめるしかなかった。

新しいパートナーと「ドリームサーカス」

ボリスと新しいパートナーのアントン

ボリス(右)と
新しいパートナーのアントン

ボリスとアントンは同級生
ボリスとアントン

ボリスとアントンは同級生

 それから何ヶ月か後にボリスからまた新しいパートナーと一緒にクラウンをしている、映像を見てくれというメールが来た。同じネタを違うパートナーとしてもどうなのだろう、正直あまり期待していなかった。しかし見てびっくり。面白いではないか。ルドルフのような技の切れ、なによりもジャグリングのテクニックはないのだが、その分ネタのつくりに工夫が加えられ、面白さが生まれている。ここまで短期間でよく新たなパートナーと創ったものである。
 ちょうどリトルワールドから来春のサーカスは、いままでと違う、クラウンを中心にしたサーカスがやりたいという話が来た。
 何組かクラウンの資料を集め、この中にボリスたちのも入れておいた。社内的にはボリスたちが一番の人気だったが、リトルでもボリスたちが一番人気を集め、彼中心に番組をつくることが決定された。
 また日本に来れるということで彼は喜んでいたが、条件面での交渉はタフなものだった。若いのにしぶとい交渉をすることに舌をまいた。

 ふつうであれば、クラウンを中心に番組をつくることは一番楽なパターン、番組の間にクラウンを入れていけばいいのだが、リトルワールドはこのところずっとストーリー性をもったショー形式のサーカスを見せてきている。今回もクラウンをテーマになにかストーリー性をもった内容にしたいという要望が出された。
 自分なりにいろいろ考え、ドリーム、夢をテーマにできないかと思いついた。クラウンが夢を求めて、サーカス場にまぎれこみ、サーカスの団員たちと一緒に夢を探し、そして最後にその夢を見つける。そんなストーリーを考えて、それをボリスにもぶつけてみた。ボリスにすれば「ルナ・レガーロ」に一回出演しているだけに、日本側でつくる構成に従うということにまったく抵抗はなかった。ただこっちは「ルナ・レガーロ」をプロデュースするフジテレビではない、有能なスタッフが知恵を絞ってつくりあげた内容ではなく、ジョギング中に思いついたありきたりなアイディアにすぎない、しかも金もない、こんな内容を舞台にかけて大丈夫かという不安がどんどん募っていった。

 何度か練り直し、自分が考えたのはこんな内容になった――

 クラウンが、「オーバー・ザ・レインボウ」がバックに流れる中客席に現れる。彼は夢を探している。舞台に出演者が勢揃い。その中にクラウンが飛び込み、夢がどこにあるかを尋ねる。ショーが始まる。演技を終えたアーティストは、なにかもののひとかけらをクラウンに渡す。これはドリーム・ピース。このピースをひとつずつ舞台に用意されたパネルにはめ込んでいく。そして最後のひとかけらをパネルにはめると、大きなハートができあがり、このハートの中から風船が膨らんでいく。そして舞台袖から大きな風船が出てきて、出演者がそれを客席に投げ込む。

 夢のかけらをみんなで組み合わせ、それができたところで、夢が実現する。そんなたわいもない内容である。最初思いついたときにはなかなかいいアイディアだと思った。ただ時間が経つにつれ、なにかとってつけたような内容に思えてならなくなった。なによりこのドリームパズルから風船がふくらむなんてところはどんなセットを用意すればいいのだ。
 2010年から一緒に桃太郎イリュージョンをつくっているトゥイチーにも相談してみた。彼はとてもいいアイディアだが、セットをつくらないといけないねえと言った。そうなのだ。セットが問題だ。
 ボリスからも返事が来た、先生でもあり演出家でもあるアンドレイにも相談してみるという。ボリスが前向きに取り組もうとするのは感じられた。言われたことだけやればいいのだというのではなく、もうひとつ突っ込んで考えてみたいという姿勢が感じられた。メールやスカイプではなく、やっぱり顔も見ながら、話し合う必要を感じた。この打ち合わせにトゥイチーとアンドレイも呼べばいい、ふたりはとても親しい関係だし、この四人が一堂に会し、知恵を出し合えば、なにかできるのではないか、不安なまま日本でみんなが揃ったところでつくるよりは、大きな骨格となる部分はつくりたい、それで今回モスクワまで来ることになったわけだ。

モスクワにて

 2012年2月15日、キエフ駅のそばにできた巨大なショッピングセンターで待ち合わせ、ここのカフェで打合せが行われた。途中からアンドレイも加わった。
 夢がテーマというのは出発点、それを40分ほどの公演でどう表現していくのか、いろいろなアイディアが出された。夢とはなにかということが、ポイントとなった。3時間ほど堂々巡りのディスカッションが繰り広げられたが、ぱっとしたアイディアが出てこない。そんな時アンドレイが、ボリスは男、男にとっての夢は、ガールフレンドをゲットすることではないかと言い出した。
 この時夢はドリームピースという抽象的なものから、具体的なものになった。
これに引っ張られるかのように、ボリスが、「サーカスのアーティストになる」という夢はどうだろうと言い出した。
 これはピンと来た。
 ここで四人がいろいろアイディアを出し始めた。もっぱら年寄りは合いの手を出すだけで、ボリスが次から次へとアイディアをだしていく。自分がネタでやってきたことをもとにしているから話が早い。他の出演者のアクトをみて、その順番をきめながら、だいたいこんな内容となった――

 客席でふつうの客のひとりとして公演の始まりを待っているひとりの若者。開演前に客席でお客さんと絡む、ショーが始まると舞台にとびだし「僕もサーカスに入りたい」と叫ぶところからショーが始まる。
 ローラーバランスのパロディーをしたり、自分も下手なジャグリングをしたりしながら、演目をつないでいって、最後はデュオによるクイックチェンジのあと、ボリスも挑戦、パンツ一丁となったところで、メンバーが彼をクラウンとして認め、クラウンの衣装、カツラ、赤い鼻をつけてあげる。ここでボリスは「ウラー、僕もサーカスの芸人になったぞ」と叫んだところで、風船が客席に投げ込まれるというのがエンディング、これがあらかたの内容であった。
 これにはとってつけた感じがない、わかりやすいし、短いショーの構成としてはメリハリもある。自分の中でも手応えがあった。これだったらお客さんに受け入れられるという手応えであった。

ボリスの新しいネタ「テニス」

ボリスの新しいネタ「テニス」

「ベルチンスキイ」というネタ

「ベルチンスキイ」というネタ

リトルワールド公演でもこの格好になる

リトルワールド公演でも
この格好になる

 およそ4時間にも及ぶ長い長い打合せとなった。しかも一滴のアルコールも口にしていない。いいショーができる、そんな手応えを感じた。ドリームをテーマにというのは自分のアイディアであったが、それを人任せではなくボリス自身が自分で考えだしたというのが、大きな意味を持つ。

 打合せが終わり雑談をしているときに、ボリスはゆくゆくは自分だけのショーをつくりたいとも言っていた。彼はいわいる天才肌のクラウンではないだろう。努力型のクラウンである。天才肌のクラウンは独特の間を生まれつき備え、この間が笑いを生み出す。これはもって生まれたものとしかいいようがない。
ボリスにはこの間はない、ただこの間をつくるためのさまざまなアイディアをつくりだすエネルギー、熱意が彼にはある。いいクラウンになるんじゃないかな・・・

 われわれは2週間後の日本での再会を約してここで別れた。


→「クラウン・ドリームサーカス」上演中!【野外博物館リトルワールド】



(続く)