2012.03.21

第16回 敗北の希望学-福島横断紀行 その3

承前

郡山から会津若松へ

 翌朝ホテルから駅まで歩く。昨日は暗くて見えなかったが、地震の傷跡が目につく。ブックオフが入っていたビルはほぼ倒壊していたし、駅前の商店街にも崩壊したままになっているビルがいくつもあった。駅の中も工事していた。5月仙台に帰って町のあちこちで見た同じ光景である。今回の地震の被害がいかに広範囲にわたり、そして大きいものであったかをまざまざと見せつけられた。
 今日はここから磐越西線に乗り、会津若松に向かう。磐越西線の終点は新潟である。明日は新潟まで行こうと思っている。福島を横断し、新潟へ出るというコースを決めたのは、前日であった。ネットの路線探索では、こんなコースは生まれない。久しぶりに買った時刻表をめくりながらこのコースが決まった。

磐越西線で会津若松まで

磐越西線で会津若松まで

 8時32分快速電車は、郡山の駅を静かに出発した。この沿線も新緑が目に染みる風景が続く。磐梯山の近くも通ったが、3合目ぐらいから上は雲で見えなかった。9時42分に会津若松駅に到着した。ここから歩いて5分、今日泊まるホテルにリュックサックを預け、会津の町を歩くことにする。それは敗北者たちのたどった道を歩くことでもあった。

自刃の場から会津城を望む

自刃の場から
会津城を望む

白虎隊自刃の場

白虎隊自刃の場

白虎隊の墓1

白虎隊の墓1

白虎隊の墓2

白虎隊の墓2

 まず向かったのは、駅から1キロほど歩いたところにある白虎隊自刃の場となった飯盛山。ふだんは修学旅行や遠足の客、そして全国から訪れる観光客で賑わっているはずの名所なのだが、観光客は数える程度しかいない。
 白虎隊が自刃した場所まで歩く。少年たちは、追い詰められこの山に登り、そして城があるところから火の手があがるのを見て、もはやこれまでと自ら命を絶つ。ここから鶴ヶ城はあまりはっきりと確認できなかった。なぜ早まったのかとも思う。しかし少年たちは、死に急いだ。この死には、まったく希望がない、絶望の中での自死であった。彼らには父親も母親もそして兄弟姉妹もいただろう。例えとしては決してよくないが、第二次世界大戦の末期特攻隊の若者たちは自分の死が国のためになると信じて敵艦に突っ込んだ。だがこの白虎隊の若者たちはみずからの死が、藩のためにも家族のためにもならないのに、死んでいったのだ。悔しくてしかたがなかったのではないか。

近藤勇の墓

近藤勇の墓

 しかし暑い日である。陽差しが容赦なく差し込む。静かな町に下りて、ここから「いにしえ夢街道」を今度は鶴ヶ城を目指して歩く。途中近藤勇の墓の道標があったので、鳥居のある道へ入る。ここからまた上り坂をひたすら登ると、天寧寺という大きな敷地をもつお寺の境内にその墓はあった。近藤勇はここで亡くなったわけではない、しかし敗者であった彼には会津がふさわしいといえるかもしれない。

ソースカツ丼

ソースカツ丼

 ここから福島県立博物館と鶴ヶ城を目指す。2キロほど歩かなければならないのだが、暑さが結構きつくなってきたし、腹も減ってきた。途中町を歩いていてソースカツ丼という幟があっちこっち立てられ、ずっと気になったので、このカツ丼を食べることにした。博物館の近くのすみれ食堂でソースカツ丼を頼む。950円といういい値段ではあったが、デカイカツとさらに感動的なのはご飯とカツを繋ぐキャベツの存在。うまかったが調子こいて出されたキャベツに自家製ソースをかけ食べ続けたのが、あとで喉の渇きに苦しむことになった。

 福島県立博物館はよく整理された、いい博物館であった。見応えがあった。そういえば東北学を提唱し、震災後フクシマを歩き、フクシマについて発言し続けている赤坂憲雄は、この春からここの館長になっていたはずだ。いままで山形を基盤していた赤坂が、福島を拠点とした時に、今回の地震、津波、そして原発事故が起こった。3・11以降赤坂にとってフクシマは、間違いなく新たな東北学の拠点となるはずだ。

会津若松 鶴ヶ城

会津若松 鶴ヶ城

鶴ヶ城天守閣から1

鶴ヶ城天守閣から1

鶴ヶ城天守閣から2

鶴ヶ城天守閣から2

西郷邸跡碑

西郷邸跡碑

西郷邸跡の説明看板

西郷邸跡の説明看板

 博物館の隣にある鶴ヶ城に足を伸ばす。最近瓦を葺き替え、リニューアルしたばかりである。そこにこの震災ということで、観光の町としては大きな痛手になったはずだ。400円の入館料を払って、入ってみる。もともと焼き払われたところに一から作られた城ということで、たとえば姫路城のような歴史を感じさせるものはまったくない。新品のお城ということだ。中は博物館のようになっており、戊辰戦争の歴史を振り返るには良かった。
 城の近くに戊辰戦争当時の家老で非戦を唱えた西郷頼母の屋敷跡がある。船戸与一が戊辰戦争の血の絵巻をたっぷりと書き込んだ小説「新・雨月」で最も血なまぐさい場面となった、この西郷の屋敷で家族の者21人が自刃するところを思い出す。戊辰戦争の血なまぐささを象徴するところである。

 白虎隊も西郷の家人たちも、敗北の果て、なんの希望もなく斃れていった。
 敗北の果てに・・・
 敗北の果てに希望を見ることはできないのだろうか。希望は黙って天から降りてくるものではないだろう。自らでつくらないといけないものである。でもいま敗北の果てに希望を見ること、つくること、それしか「東北」が、「フクシマ」が、「イシノマキ」が生き残る道はないのではないか。
 私も寄稿した仙台学の「東日本大震災」の冒頭の文章は、「フクシマはわたしの故郷である」であった。赤坂憲雄が書いたものである。
「大きな傷を負わされた福島こそが、そのためのはじまりの場所、聖地になる。汚れた大地を甦らせるために、すべての技術や知恵を注ぎ込まねばならない。汚れた大地を囲い込んで、逃げることは許されない。福島の大地が甦るとき、そして、そこに、笑顔で人々が戻ってくるとき、そのときこそが復興の終わりだ」
 何ができるかはいまだにわからない。でも敗北の果てに、希望を灯すなにか見つけること、それこそ自分がやらないといけないことではないのだろうか。漠然と敗北の希望学という言葉が浮かんできた。

にしんの山椒漬

にしんの山椒漬

ざるそばと「ごつゆ」セット

ざるそばと
「ごつゆ」のセット

 今日の夕飯はそばということに決めていたので、会津若松駅のなかにあるそば屋に向かう。ここでにしんの山椒漬けとにしんの天ぷらでまずは日本酒。そして地元の珍しいそばの酒を追加。にしんの天ぷらがうまかった。締めはごつゆという会津の祝い事に欠かせないという汁とざるそばのセット。そばがうまかった。淡白なのだがコシがある。

喜多方から新潟へ

会津若松駅会津線ホーム

会津若松駅
会津線ホーム

蔵の町 喜多方

蔵の町 喜多方

時代を感じさせる蔵

時代を感じさせる蔵

軒下の燕の巣

軒下の燕の巣

駅前のコーヒー屋

駅前のコーヒー屋

 いつものように早めに駅にいき、ホームでぼんやり電車を待つ。今日は喜多方に寄って、ちょっと街見物をしてから、新潟直行の電車に乗ることにした。
 喜多方に着いたのは9時すぎ、電車は11時すぎに出るのでおよそ2時間街をたらたら歩く。喜多方は、蔵とラーメンを売り物にしている。レトロを意識した町並みで、街歩きにはもってこいの街かもしれない。まだ10時になったばかりというのに、二軒ラーメン屋が開いていた。そのうちの一軒は東京でも有名な坂内食堂だった。
 珍しいところに巣をつくっている燕を見ていたら、軒先を貸しているおばちゃんが出てきて、たぶん今日か明日巣立つんじゃないかなと言っていた。ここを巣立った燕たちは、また来春に戻ってくるのだろうか。
 歩き疲れ駅に戻ると、駅前に煉瓦というコーヒー屋さんを見つけ、ここでダッチコーヒーを呑む。ジャズが流れる小粋な店だった。
 ここは隣の駅を電車が出たあとにしか改札をしないという。いつものようにホームでぼんやりとすることができなくなり、駅の構内にある観光案内所をブラブラしていた。他の旅行客の人に対して案内所の人が、とにかく4月末まではひとりも観光客が来なくて、たいへんでした。こうして少しでもお客さんが来てくれてやっとまたやる気になったところなんですよと話していた。

 新潟行きの電車に乗り込む。ここから乗り換えなしで新潟まで行くことになった。土曜日ということもあるのだろうか、お客さんが多数乗り込んでくる。なんとかボックス席を確保。また車窓に広がる景色に見入りながらの旅となる。
 しばらくすると電車は阿賀野川に沿って走るようになる。

 昨日から「敗北の希望学」という言葉が頭の中を駆けめぐっている。こんな時に希望なんて言ってる場合じゃないだろうと思うかもしれない、しかし敗北のあとには希望しかないのである。希望を見つけなければ生きていけないではないか。ここまできたら希望を探すしかない、ほかに何があるというのだ。希望を探すために、希望を見つけるために、希望のともしびを灯すために、どんな小さなことでもいいからやるしかないのだ。
 車窓から阿賀野川の流れを、そして山々の緑が光に照らされているのを見ながら、そんなことを思っていると、少し身体に火照りを感じるようになっていた。
13時36分新潟着。福島を横断する旅は終わった。

 敗北の道をたどる旅は終わった。たった2泊3日の旅。何も見つからなかった。あたりまえである。ただもしかしたらこれから自分が何をしたらいいのかという、なにか糸口はつかめたかもしれない、それは敗北の道の果てには希望しかないということだったかもしれない。だから希望をつくるために、どんな小さなことでもやらないといけないそんなあたりまえのことなのかもしれない。それでいいではないか。