2012.03.21

第16回 敗北の希望学-福島横断紀行 その1

ここ数年気になりはじめた「東北」。今年はJR東日本の大人の休日倶楽部会員のための特別割引キャンペーンを利用して、また東北を旅しようと決めていた。
しかし、3月11日の地震と大津波――私は福島を旅しようと思った。観光客がすっかり途絶えた福島こそ応援すべきというと気持ちも少しはあったかもしれない。でもそれだけではない。なにか強烈に自分を福島が引き寄せるものがあった。それは「敗北」したものたちの声ではなかったか。

上野駅常磐線ホームにて

 2011年6月30日私は上野駅16番ホームで出発を待つ、8時上野発スーパーひたち11号の自由席に座っていた。まだ朝のラッシュアワーの余韻が残る他のホームとちがって、ここは行き交う人もまばら、列車に乗る人も少なく、ひっそりとしていた。
いまこうしてこのホームにいると、東北線や常磐線をつかって仙台に帰った学生の頃を思い出す。あの時上野駅常磐線のホームは地上ホームの一番端にあったはず、ここから仙台発着の常磐線の夜行列車を利用したことを思い出す。
 東北の人にとって上野駅は懐かしい駅だった。ここに来ると東北の匂いがした。いまこうして久しぶりにホームに立ってもそんな匂いはしてこない。上野が懐かしい駅だったのはいつの頃までだったのだろう。
 18才の時大学入学のため上京したとき、それは私が故郷を捨てた時でもあったのだが、あの時はまだ上野駅は懐かしい駅だった。

 ここ数年故郷のことが、生まれた街石巻のことが、そして「東北」のことが気になりはじめた。そろそろリタイヤが現実のものとなってきたことも関係しているだろう。10年前に石巻若宮丸漂流民の会をつくってから、里帰りだけではない、もうひとつ故郷に帰る道のりができたこともあるだろう。漂流民を追いかけているうちに菅江真澄と出会い、その東北旅日記を読み、彼が歩いた道を歩きたいと思い始めた。そして菅江に誘われ下北半島をバスで旅し、菅江真澄も見た「くも舞」を実際に見るため秋田を旅した
 こうした小さな旅を重ねながら、リタイヤした後は東北を歩くことをライフワークにしようとひそかに決意していた。
 JR東日本の大人の休日倶楽部会員のための特別割引キャンペーン(JR東日本管内4日間連続13000円)が6月下旬から2週間あるというのを知り、これを利用して、また東北を旅しようと決めていた。どうせだったら遠くの方がいい、JR東日本が新青森駅開通キャンペーンを展開していたこともあり、軽薄な自分はこれにすっかり乗せられて、五能線に乗るのもいいか、三内丸山の縄文遺跡を訪ねてみようかなどと旅のデザインをつくっていた。

 3月11日の地震と大津波は、こんな牧歌的な計画を吹き飛ばしてしまった。
 東北を旅することはあり得ないことになってしまった。
 しかしJR東日本は必死だった。開通したばかりで不通になった東北新幹線を五月の連休前に復旧させ、日本がひとつになったと大々的にキャンペーンを展開し、青森への旅をまた大々的に呼びかけていた。
 青森じゃないだろう、いま困っているのは、福島や宮城、岩手ではないか。観光客がまったくいなくなったところに行こうよと呼びかけるべきではないか。JR東日本管内4日間連続13000円というキャンペーンは新幹線が復旧したことで実施されることを知ったとき、私はこれを利用して福島を旅しようと思った。観光客がすっかり途絶えた福島こそ応援すべきという気持ちも少しはあったかもしれない。
 でもそれだけではない。なにか強烈に自分を引き寄せるものが福島にはあった。それはたとえていえば「敗北」したものたちの声ではなかったか。

 東北の歴史、それは敗北の歴史の繰り返しであった。アルテイも義経も北の地で戦い、敗北した。そして戊辰戦争で東北は完膚なきまでに打ちのめされた。この戊辰戦争を決した戦場が会津だった。上野の戦で破れた彰義隊は、まるで死地を求めるようにして会津に向かった。明治天皇の叔父にあたるのにもかかわらずいつのまにか彰義隊の支柱となった輪王宮も、上野の戦いのあと官軍に追われ、逃げ延び、目指したのは北であった。敗北する人たちはいつも北を目指す、だから敗れるという字と「北」が結びつき「敗北」となったのだろうか。
 江戸から命からがら抜け出し、船で脱出した輪王宮たちが最初に上陸した東北の地は、茨城と福島の境にある港町、平潟であった。私はこの平潟から福島を磐越東線と磐越西線をつかって横断し、会津を目指すことにしていた。
 今回の地震・津波と戊辰戦争を「敗北」という括りで一緒に捉えようとする愚かさは重々承知している。でもいま私がしなければならないのは、負けた人たちの声に耳を傾けること、それからはじまるのではないか、そんな思い込みがあった。「敗北」を実感することから、「敗北」を共有することからなにかを始めることができるのではという・・・
 私の最初の目的地は、「勿来」。輪王宮が会津に向かうために上陸した平潟港の最寄り駅であった。

続く