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2018.09.03 / 更新2018.11.05

第51回~ 桑野塾の開催概要と内容

第51回~ 桑野塾の開催概要と内容です。

  • 第51回 ●「プロコフィエフ来日100周年―1918年夏の日本滞在64日間を検証する」沼辺 信一
  • 第52回 ●「ゲットー蜂起75周年のワルシャワ・ユダヤ音楽祭レポート!」大熊ワタル&みわぞう(ジンタらムータ)
  • 第53回 ●「アクロバット、戦前戦後の日米を駆け抜ける」青木 深

第51回
●「プロコフィエフ来日100周年―1918年夏の日本滞在64日間を検証する」沼辺 信一

  • 2018年9月29日(土) 午後3時~6時
  • 早稲田キャンパス33号館434号室

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●「プロコフィエフ来日100周年―1918年夏の日本滞在64日間を検証する」沼辺 信一

東京・赤坂溜池の料亭「花月」でのプロコフィエフ(1918年7月2日)

東京・赤坂溜池の料亭「花月」での
プロコフィエフ(1918年7月2日)

別れの挨拶に訪れたプロコフィエフ、大田黒元雄夫妻と(1918年8月1日)

別れの挨拶に訪れたプロコフィエフ、
大田黒元雄夫妻と(1918年8月1日)

プロコフィエフも弾いたピアノによるCD《大田黒元雄のピアノ》演奏=青柳いづみこ、高橋悠治(ALM Records, 2016年録音)

プロコフィエフも弾いたピアノによる
CD《大田黒元雄のピアノ》
演奏=青柳いづみこ、高橋悠治
(ALM Records, 2016年録音)

 1918年6月1日、27歳の作曲家セルゲイ・プロコフィエフは東京駅に降りたちました。ロシア革命の騒乱を嫌い、新天地アメリカでの成功を夢見た彼は、シベリア鉄道と客船を乗り継いで、通過地点として日本に立ち寄ったのです。
 いくつかの偶然が重なり、プロコフィエフは日本に二か月間も滞在し、京都、奈良、軽井沢、箱根などを旅したほか、東京と横浜で国外初のピアノ・リサイタルまで開催しています。驚いたことに、若き作曲家の評判は極東の島国まで届いていました。評論家の大田黒元雄はプロコフィエフと親しく交際して、その言動を詳しく書きとどめ、愛好家の徳川頼貞は彼にピアノ・ソナタを注文しようとしています。
 来日100周年を記念して、プロコフィエフの日記や、大田黒と徳川が書き残した記録を読み解き、日本での彼の足取りを辿りながら、「プロコフィエフの生涯で最も謎めいていた二か月間」を検証します。来日時にプロコフィエフも弾いた大田黒元雄旧蔵のピアノによる演奏(CD)もお聞かせします。

●沼辺 信一(ぬまべ しんいち):編集者・研究家。
1952年生。ロシア絵本の伝播、日本人とバレエ・リュス、プロコフィエフの日本滞在など、
越境する20世紀芸術史を探索。桑野塾登場は五回目。
ブログ http://numabe.exblog.jp/

 

第52回
●「ゲットー蜂起75周年のワルシャワ・ユダヤ音楽祭レポート!」
大熊ワタル&みわぞう(ジンタらムータ)

  • 2018年11月24日(土) 午後3時~5時50分
  • 早稲田大学 戸山キャンパス33号館231号室

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●「ゲットー蜂起75周年のワルシャワ・ユダヤ音楽祭レポート!」大熊ワタル&みわぞう(ジンタらムータ)

ジンタらムータ@Festiwal Warszawa Singera

ジンタらムータ
@Festiwal Warszawa Singera

ワルシャワにて

ワルシャワにて

ゲットー蜂起75周年の夏、ワルシャワで開催された欧州最大級のユダヤ音楽祭
「Festiwal Warszawa Singera(SINGER'S WARSAW)」に招かれたジンタらムータが
中東欧ユダヤ(アシュケナージ)の民衆音楽クレズマーを通じて出会った
現代ポーランドと永遠の移民ユダヤの交錯する歴史・記憶!

 

●大熊 ワタル(おおくま わたる)
1960年広島県生まれ。
前衛ロックを経てチンドン屋に入門し、街頭でクラリネット修行。
90年代、クラリネット奏者として自己のグループを始動、添田唖蝉坊の墓碑銘にちなみCICALA-MVTAと命名。即興性・実験性と祝祭感が同居した超ジャンル的な音楽性が話題となる。
近年はよりアコースティックなチンドンユニット・ジンタらムータでの活動でも知られる。身体性、即興性に富んだアプローチで、映画・演劇・サーカスとのコラボレーションなど様々なプロジェクトに参加。チンドン・クレズマーの独自スタイルが話題となり、各国のクレズマー・フェスティバルから招聘が続いている。

●こぐれ みわぞう
チンドン太鼓、ヴォーカル、箏
幼少時より箏曲山田流を始め、11歳で師範名取襲名。演劇活動を経て、1997年ソウル・フラワー・モノノケ・サミットに参加しチンドン太鼓を始める。
シカラムータ・ジンタらムータを中心に、ダイナミックかつ華麗な演奏スタイルで新世代チンドンの旗手として活躍。
近年は歌手活動も本格化、ブレヒトソング、イディッシュ歌謡などに取り組む。

ジンタらムータ Webサイト http://www.cicala-mvta.com/

第53回
●「アクロバット、戦前戦後の日米を駆け抜ける」青木 深

  • 2019年1月19日(土) 午後3時~5時50分
  • 早稲田大学 戸山キャンパス33号館231号室

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●「アクロバット、戦前戦後の日米を駆け抜ける」青木 深

アメリカに渡った軽業師たち――

ヘンリー松岡 『アサヒグラフ』1947年9月10日号

ヘンリー松岡
『アサヒグラフ』1947年9月10日号

クレバ栄治 『J.T.B. Entertainment News』1954年頃

クレバ栄治
『J.T.B. Entertainment News』1954年頃

難波嘉一 『週刊サンケイ』1953年8月23日号

難波嘉一
『週刊サンケイ』1953年8月23日号

横井栄三(およびフローレンスと公子) 『少女世界』1951年1月号

横井栄三(およびフローレンスと公子)
『少女世界』1951年1月号

 ヘンリー松岡、クレバ栄治、難波嘉一、横井栄三。
 現代日本の芸能史ではほとんど記憶されていませんが、彼らは、第二次世界大戦後の占領軍/駐留軍向けヴァラエティ・ショーで活躍した芸人のうちの4名です。ヘンリー松岡は坂綱、クレバ栄治は足芸、難波嘉一は頭部倒立での階段登り、横井栄三は家族で演じる自転車曲乗りを売りものにしていました。米軍将兵を前にアクロバティックな芸を見せて戦後の混乱期を生き抜いた彼らですが、「アメリカ人の客」は決して初めての相手ではありませんでした。というのもこの芸人たちは、1900~30年代には数年または数十年をアメリカに暮らし、ヴォードヴィルやサーカス、見本市などの舞台で演じていたからです。
 今回の発表では、「見るだけでわかる」諸芸で彩られた戦後の米軍慰問ショーを鏡として、20世紀はじめから1960年代まで、太平洋をまたぎ日米を駆け抜けたアクロバットの残映を探ります。

 

●青木 深(あおき しん)
1975年神奈川県生まれ。東京女子大学講師。歴史人類学、日米交流史、ポピュラー音楽研究。
著書に『めぐりあうものたちの群像――戦後日本の米軍基地と音楽1945-1958』大月書店、2013、など。
論文に、「調査と表現をつなぐ時間――記録文学と歴史的民族誌の方法的検討」(『社会と調査』19、2017)、「縁と跳躍――山口昌男における『敗者』の手法」(『ユリイカ』45(7)、2013)、「エキゾティシズムを歌う――進駐軍ソングとしての『支那の夜』と『ジャパニーズ・ルンバ』をめぐる歴史人類学的研究」(『ポピュラー音楽研究』16、2013)、「戦後日本における米軍軍楽隊の活動と人的接触――1945-58年」(『ポピュラー音楽研究』14、2011)、など。


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